●● 氷帝DEおさわり ●●
つまらないバカ話がきっかけ。
私は新聞部なんだけど、この夏、我が氷帝テニス部が地元枠で全国大会に出場決定したっていうことで号外を発行するという大仕事を終えたところ。なんとも嬉しい激務をこなした後の開放感にあふれる中、新聞部のメンバーのみんなで、男子テニス部レギュラーについてあれこれ話してた。
言うまでもなく、みんなすっごいかっこよくてテニスが強くて有名で人気があって。うちの学校で、テニス部男子がきらいなんて女子はまずいないと思う。ちなみに新聞部員は女子ばかりだから、ガールズトーク炸裂で、そんな話で盛り上がっていたら、ある後輩が
「でもね、テニス部レギュラーなんて雲の上の人って感じで、同じ学校の男子でいながらもアイドルみたいで手が届かない存在ですよねー」
なんて言うの。
だからね。
それは違うよ、と私は言ったわけ。
そりゃ、テニス部の子たちは超がつくほど人気者だけどさ。
私たち新聞部は、学内の先生も含めていろんな有名人を取材するよ。
でも、ちゃんといろいろ真剣に話を聞く中で、その人の見てるものを理解してなるほどって共感したり納得したりして、それを学内の皆に伝えるように新聞記事を書いてわけでしょ。その新聞を作ってる部員が、テニス部の子達を「雲の上の人」なんて言ってちゃダメだと思う!!
だって、同じ中学に通ってる生徒なんだからさ。
って、私が改めて言うと。
「じゃあ、部長は男テニレギュラーに気軽に手が届くって言うんですかぁ〜」
なんて、後輩がはやしたてる。
おいおいおい、私がこれまで培ってきたはずの新聞部魂はどうしたっていうのよ!
よーしわかった、そうまで言うならやってやろうじゃないの。
私と部員達で話し合ったミッションはこうだ。
至極、単純。
今日中に、私がテニス部レギュラー全員の手を握ること。
できたら、部長である私の勝ち、できなかったら負け。
負けたら、私は副部長を含む部員全員(といっても5人だけど)にサーティーワンアイスクリームをおごらなければならない。
勝てばもちろん私がおごってもらうわけだけど、それにしてもよく考えたらこれって私にばかり不利な勝負だよね。
でも、いいの。
私は部長なんだから、それくらいは頑張らないと。
さて、勝負の話が出たのは昼下がりの出来事なので、これからテニス部の夕練が終るまでに私はミッションをコンプリートしなければ、
どうしたものかな。
皆にえらそうに言ったものの、手を握るって私、ふつーに男の子と手を握るとかしたことないし、そういうのどうやったらいいのかわからない。
「さあ部長、誰からいくんですか」
私がテニス部の練習スペースまで出向き、腕組みをして仁王立ちになっていると2年生の副部長が、にやにやしながら私をせっつく。
キッと副部長を睨み返した。
「きまってるじゃない。キングから!」
ここは正攻法だ。
テニスコートに向かって歩いて行く跡部景吾に、私はずかずかと近づいて行った。
不思議なものだ。
普段、プライベートだったらとても跡部に自分から近づいて行こうなんて気にはならなかったかもしれない。でも、新聞部の部長としてなら、堂々と行ける。ま、今日の用事は新聞部の活動には関係ないけどね。
跡部は私に気づいて一瞥すると、足を止めた。
「アーン? 新聞部長か。号外の記事はサンキュー。急だったが、良い仕事をしてくれた」
そして、そんな事を言うのだ。
私の背後に控えている新聞部の子たちのハートがズキュゥンと撃ち抜かれた音が聞こえた気がした。
「え、ああ、新聞部としてあれくらい当然だよ!……あの、改めて全国大会出場おめでとう。優勝の記事、書かせてよね」
私はぐいと右手を差し出した。
彼は左手をくいっと額の辺りにかざしてから、ククッと笑って「あたりまえだ」と言うと、右手で私の手をぎゅっと握った。
キングの手は力強い。びっくりするくらい、力強い握手。
私の頭の中では氷帝コールが大音量で鳴り響いた。
「なんや、。なにを跡部と手ぇ握り合うてんねん」
その時、傍らでくすくす笑うのは忍足侑士。
「ち、違うって! 全国大会出場おめでとうって握手してんじゃん!今日、号外を出したとこだから!」
私があわてて言うと、彼は丸眼鏡のブリッジをクイと持ち上げてまた笑った。
「そかそか、ほなら俺も手ぇ握らせてもらお。全国では負けへんでぇ」
忍足ってば、こんな丸眼鏡かけてなんだかのらりくらりふざけたようでいるのに、ちゃんと見るとかっこいいんだよね。近寄りがたいのか、話しやすいのか、つかみどころがない。
でも、多分、優しい。
彼の握手は、跡部の最初っからガツンとくるような握手とちがって、すうっとなじむように手がつつまれたかと思って、はっと気づくといつのまにかしっかり強く握りしめられてる、そんな力強さ。
どっちの握手も、強い選手の握手って感じ。
力が伝わってくる。
「じゃ、二人とも頑張ってね」
二人を見送って、そして私は得意げに新聞部の子たちを振り返った。
どう! あっというまに二人クリアよ!
「部長! 今の手はこれで打ち止めです!」
すると、副部長がそんなことを言うのだ。
「えっ?」
「だって、全国大会出場おめでとうで握手なんて、ちょっとずるいじゃないですか!」
言われてみればそうかもしれないけど。
「そうですよ! 次からはその手はナシの方向で!」
他の部員達も副部長を援護射撃だ。
そう言われたら仕方がない。ひとまず一つ策は封じられたけど、手強そうな跡部をさくっとクリアできてよかった、と胸をなでおろす。
と同時に、さっきの二人との力強い握手がよみがえった。
ああいの、なんだか勇気がもらえる。力が湧いて来る。
よし、頑張るぞ。
二人の握手が、こんな方向へのパワーにつながってるとは思いもしないだろうけど、もらったもん勝ちってことで。
さて、握手が禁じてとされた今、他のレギュラーメンバーにはどうやってアプローチすればいいかなー。
とまあ、そんなことを考えながらテニスコートの周りをうろうろしてる私の後ろには、ぞろぞろと部員たちがついてきているわけで。
周囲にはどう映ってるのかと気にしてみるけど、まあ新聞部の取材の延長とでも思ってくれてるだろうか。
「だって、部長がちゃんと男テニレギュラーたちの手を握る瞬間を見ないと、成立しないじゃないですか。このアイスクリームバトル」
副部長はいつのまにか名称までつけている。
「私たち全員が審判です!」
部員たちも声を上げた。
なんだかおかしなことになってきちゃったな……。
いや、しかしもう後戻りはできない。
それにしても、これから先の攻略をどうしたものかなーって考え込みながら歩いていると、突然ヒュッと鋭い音がした。そして次の瞬間、手を引っ張られて身体のバランスが崩される。
「おいっ! ぼーっとうろついてっと危ねーぞ!」
バランスを崩した私の身体は何者かに支えられていて、視線の先には黄色いテニスボールが転がっているのが見えた。
「新聞部のくせに激ダサだな。長太郎がサーブの練習をしてるコートには近づかないってのが常識だぜ」
猛烈なスピードの流れ球に当りそうになった私を助けてくれたのは、宍戸亮。ご存知、男っぽくて熱いナイスガイだ。
そういえば、2年生レギュラーの鳳長太郎くんのスカッドサーブはコントロール精度を上げるために、特訓中だって取材でも言ってたっけ。
体勢を立て直した私の手を、宍戸くんはあわてて離した。
ほんの一瞬だったけれど、彼の、これまた力強くてちょっとごつごつした手の感触はいつまでも残った。
今、私、ちゃんと宍戸くんの手、握ってたよね!?
ふりかえって部員たちを見ると、その視線はすでに審判というまなざしではなく、明らかにハート型になっていた。
「ごめんごめん、でもありがとう、宍戸くん、助かったよ」
二つの意味で。
お礼を言いながら改めて彼を見上げると、彼はちょっと照れくさそうにブルーのキャップをぐいと深くかぶり直した。
「長太郎のやつ、全国大会に向けて気合入ってっからな」
私は足下に転がったテニスボールを拾う。
「全国大会でも、宍戸くんと鳳くんでダブルス?」
「ああ」
彼はニカッとうれしそうに笑う。
宍戸くんは、本当に男の子って感じ。
ね? 決して雲の上の人じゃないよ、ちゃんと話のできる同じ氷帝学園の男の子なんだよ。
跡部だって忍足だって。
そうやって、なんだかじーんとして彼をみつめていたら、背後から走り来る足音。
「宍戸さーん!」
コートの方から走って来る長身の男の子。鳳くんだ。
「すいませんでした! ボール当りませんでしたか? 怪我はありませんか?」
彼はあわててそう言うと、私にむかって深々と頭を下げた。
「うん、大丈夫。うろうろしててごめんね」
「えっと、新聞部の部長さんですよね? いつもお世話になっています。号外も見ました!」
礼儀正しい子だなー! 前に取材をした時も思ったけど、ものすごく身体が大きいのにとても繊細な雰囲気できれいな顔立ち。それでもやっぱり激しいあのサーブ。
「全国大会、頑張ってね」
拾い上げたボールを差し出すと、彼はその大きな手で受け取った。というか、鳳くんの大きな手は私の手のひらごとボールを包み込んでしまった。
「あっ、す、すいません……」
彼はあわててそう言うと、ぱっと手を離し、私もつられて手を離してしまうものだから、ボールがコロコロと地面に落ちた。
私と鳳くんは、これまた同時にそれを拾おうとすしてかがんで同時にボールに触れた。お互いの指先にも。
って、少女マンガか!
あまりのベタな展開に私は吹き出してしまいそうになるけれど、目の前の鳳くんはまたもや「す、すいません!」と言ってぺこりと頭を下げる。
こんなに背が高くて王子様みたいにかっこいい子なのに、ほんとまっすぐというかなんというか、宍戸くんがかわいがるだけあるなー。
私はスカートの裾をはらいながら、立ち上がった。
「全国大会でのスカッドサーブ、期待してるね!」
そう言うと、彼はハイッと嬉しそうに、また大きくお辞儀をした。
「……鳳くんってほんっとかっこいい……」
「いや、私は宍戸先輩の方が……」
部員達は口々に盛り上がっている。
「部長! 一体何なんですか、この楽勝ペースは!」
副部長はちょっと釈然としないとでも言うように、腕組みをする。
「ふふふ、私にアイスを奢る準備をしといた方がいいよ」
ちょっと調子に乗ってみた。
「でも、まだ半分ですからね」
ええと、あとは芥川ジローくんと岳人、そして2年生の樺地くんと日吉くんか……。
むむむ……、あとの二人の3年生はノリのいい奴だからなんとかなるとして、2年生が手強そうだな……。
腕時計を見ると、部活の終了時間まであと30分足らずではないか。
まさにタイムリミット!
よし、なんとかなりそうなところからやっつけよう。
芥川くんと、クラスメイトの岳人だな、まずは!
ふと顔を上げると、ベンチの傍をぴょんぴょん飛び跳ねながら走る岳人が見えた。
よっしゃ!
彼の姿を走って追いかけるけど、やはり新聞部の私とテニス部レギュラーの中でも際立って身が軽い岳人とでは勝負にならなくて、あっという間に姿を見失った。
「だめだ……つかまえることすらできない……」
アイスクリームまで楽勝ペースかと思ったら、もしかしてヤバイのかもしれない。
息切れをした私は、岳人を追うことを諦めて走るのをやめてとぼとぼと歩いた。はー、久しぶりに走ったらほんと息切れする。運動不足だなー。
傍のベンチにの背に手をついて身体をささえようとすると、ずるりとその手が滑ってしまった。
「ぎゃっ!」
ベンチの背に体重をかける算段だった私は、ずっこー!と上半身がベンチに倒れこんでしまう。多分、後ろからはパンツ丸見え。
肘や掌が受けるだろう衝撃を想像していたら、なぜかふわりとした感触。いや、正確に言うとぐにゃり? とにあく、やわらかいものが私の上半身を受け止めた。
何が起こったのかは確認するまでもなくて、はっきり言おう。
私は、ベンチで熟睡している芥川ジローの真上に頭から突っ込んだ形になったのだ。
下半身はベンチの背にひかかって、じたばたしてる状態。
ちょっと、これは人に見られたらすっごい誤解をされてしまう体勢なんだけど! 部員の皆、早く助けに来て!
足の浮いた変な体勢で、しかも芥川くんの上にのしかかってるから、自分の両手で身体を支えられなくてなんともならない。
たーすーけーてー!
足をジタバタさせていると、ふわりと身体が浮いた。
みんな、助けに来てくれたんだ! やっぱり持つべきものは仲間だよ、ありがとう! なんて思いながらハタと、私の身体を持ち上げるその大きな手に気がついた。
振り返るよりも先に、私の胴体を抱えるその手に触れた。
ゆうに私の2倍くらいのサイズのその手の持ち主は、容易に想像がついた。
「……ウス」
私を抱え上げてそっと地面に立たせてくれたのは、2年生の樺地くんだった。
「あっ……あ、ありがとう……!」
すっかり驚いてしまった私は、そんな言葉しか出ない。
樺地くんといえば、新聞部のインタビューのとき、「勝つのは氷帝です」としか言わなくて記事を書くのに困ったっけ。
でもインタビューの時の彼のまっすぐで澄んだ眼を見ていたら、確かにこれ以上の言葉はいらないなーって、しみじみ思ったっけ。
「あの……、全国大会出場おめでとう。ほんとは関東優勝して出たかったかもしれないけど、でも、全国で優勝すればいいもんね。私たち新聞部も、なんだか舞い上がっちゃってどう応援したらいいかわかんないけど、でもとにかくすっごく応援してる。頑張ってね」
私は彼のその、小さいけれどきらきらとした眼を見上げながら言った。新聞部とは思えないレベルの語彙で、せいいっぱいの言葉を。
樺地くんって不思議な子だ。普段会話をすることなんてないのに、でもどうしてだか素直にこういう言葉を伝えられる。
「……ウス……」
彼はそれだけを言うと、力強く何度もうなずいた。
うん、これで十分。
嬉しい気持ちが溢れて、そして次には急にてれくさくなった私は、ベンチで寝とぼけてる芥川くんに視線を落とした。
「あっ、あのさ、樺地くん、芥川くんを探しに来たんじゃない? 起こさないとだよね?
ウス、と答える彼を尻目に、私はゆさゆさと芥川くんをゆさぶる。まったくもー、2年生の後輩に世話をかけちゃって!
「芥川くん、おきなよ! 樺地くんが探しに来たよ!」
ベンチの前にまわって、上から覗き込んで声をかけると、彼はようやくもぞもぞと身体を動かし始めた。よかった、さっき私が上からかぶさっちゃった時はまだ熟睡してたと見た。
「芥川くん!」
パチッと眼を開けた芥川くんと眼があった。
彼はふわわ〜と大きなあくびをすると、私を見てニカッと笑う。
「新聞部のちゃん、俺の上は寝心地よかった? もっと寝ててもよかったのに」
私の顔がカーッと熱くなる。
「な、な、な、何言っるのよー! 寝ぼけてないで、早く起きなよね!」
不必要なまでに声を張り上げてしまう。
「よーし、練習するぞー! だから、ちゃん、起こして」
芥川くんはニカーッと笑ったまま、私に両手を差し出した。
振り返って樺地くんを見ると、彼はちょこんと頭を下げて会釈をする。
えっ、ヨロシクお願いしますってこと?
私はギュッと握り締めていた拳を開いて、そっと芥川くんに差し伸べた。
彼はひょいっと私の両手をつかんで、軽やかに起き上がる。
ほとんど体重なんてかからなくて、羽のようにふわりと飛び起きた。芥川くんの手は、いかにも今まで寝てましたって風ににホカホカしてた。焼きたてのスポンジケーキってこんな感じかな?
「へへ、ちゃん、サンキュー!」
立ち上がった芥川くんは、大きく伸びをして、放り出していたバッグを背にかけた。彼のスポーツバッグはミニマムで身軽だ。
「新聞部の号外見たよ! あーいうの作ってもらうとさ、うっれC! ありがとね!」
芥川くんが、おひさまみたいな笑顔をぐいっと私に近づけてくるものだから、私はなんだか火照った顔のまま、ぎょっとして棒立ちになってしまう。
「今日は目覚めすっきりだC、さーて樺地、練習行こ!」
さっきから練習練習言ってるけど、よく考えたらもう部活も終わる時間だよ、芥川くん。きっと、跡部からお叱りの呼び出しで樺地くんは探しに来たにちがいない。
そんなことを思いながら彼の元気一杯に走り出す後ろ姿を見送っていると、その後ろをついていく樺地くんが振り返って、またちょこんと会釈をした。
私の掌に残る感触は、とてつもなく大きくて優しい包み込まれるような手、そして焼きたての甘いスポンジケーキみたいでいながら力強い手。どっちも全国大会で優勝を目指すスポーツ選手の手。
手って、不思議。
触れてみると、その人そのものがイメージできて、そしてそのイメージはたいがい本人にぴったりだ。
ふと自分の手を見る。
私の手。
私の手にも、自分らしさが出てるのかな?
なんてしみじみ考えていると、背後からの気配。
「何、物思いにふけってるんですか、部長! ジロー先輩の手、どんなんだったんですか、部長!」
くわっと眼を見開いた副部長が、いきなり私の手をつかんだ。
「……うらやましい……! この勝負、全員参加のデスマッチにすればよかった……!」
そうだ、副部長は芥川くんのファンだっけ。
「ほら、だから、みんな手の届かない男の子なんかじゃないよって言ったじゃん。私だって、こうやってお触りできるんだから」
クヤシー! と言わんばかりの副部長は、キッと腕時計を指し示した。
「部長、いい気になってないで、時計を見てください。タイムリミットは近いですよ、財布の準備はいいですか?」
言われてみて、自分の腕時計を見た。
やばい、あと10分あるなしだ!
あと、えーとえーと、岳人と日吉くん?
まず二人の姿を探すところから!
そうだ、この時間だったらもしかしたらクラブハウスのあたりにいるかもしれない、急げ!
私はとっさにクラブハウスに向かって走った。
以前、取材に行ったテニス部のクラブハウス、新聞部の部室とちがってゴージャスだったなーなんて思い出しながら、近道してやれと芝生の植え込みを通り抜けようとしたのがいけなかった。
次の瞬間、私は豪快につまづいて、養生中の芝生の上にべったりとうつぶせになっていた。
こういう時、とっさに痛いとか思わないよね。
恥ずかしさと残念さで、頭がいっぱい。
「……はーっ……」
もうこれで試合終了だ。
顔を上げるのもいやになってしまい、私は地面にはいつくばったままため息をついた。
だって、一人で起き上がるの恥ずかしい。
早く新聞部のみんな、来てくれないかな。
みんな運動苦手で走るのキライだから、たらたら歩いてるんだろうな。
「何やってるんですか」
頭の上からの声は、副部長のそれではなかった。
「しっかりして下さいよ。起きれますか?」
声が近くなってきて、声の主が屈んでくれてるんだということがわかる。
おそるおそる顔を上げた。
心配半分、呆れ顔半分、といった表情の日吉くんだった。
座右の銘は下剋上。
忘れもしない、取材の時の第一声。
私はどうやってリアクションを返すか戸惑ってしまい、とにかくゆっくり身体を起こして、制服についた芝生を払い落とした。
「……いや、あの……ちょっと、つまづいちゃってね」
「芝生養生中にて進入禁止って書いてあるでしょうが」
はー。
2年生男子に説教される、3年生・新聞部部長なんて、情けなさすぎる。
私がうなだれていると、日吉くんは私に手を差し出した。
「いつまでも座り込んでると、蟻にたかられますよ」
西日に照らされた彼の髪はつやつやで、転んだ私に手を差し伸べてくれるその姿はまさに王子様。
いいの? この手?
日吉くんは、早く、とせかすようにもう一度ぐいっと手を私に近づけた。
彼の手をつかむと、すぐさま力強く引っ張り上げられた。
「……新聞部部長がどんくさそうな走りっぷりで芝生に入っていくから、大丈夫なのかって見てたら案の定だ。なかなか起き上がらないから、頭でも打ったかと思ったじゃないですか」
ぎゃっ、私がつまづいて地面に張り付いて、恥ずかしくて起き上がれなかったというストーリーの一連を見られてたんだ!
恥ずかしすぎる!
「なーにしてんだよ、日吉!」
恥ずかしさのあまり、私が両手で顔をおおっていると、耳慣れた元気のいい声。
岳人だ!
もう着替えてバッグ持って下校の準備してる、はやっ!
ってことは、タイムアップも秒読み。
「ああ、この新聞部さんがあまりにも見事に転んでたもので」
「日吉くんに助けてもらってさー」
私が言うと、岳人はふーんと言いながら近づいて来た。
「さっき、手ぇつないでただろ」
「えっ、ちがうちがう、立ち上がるのに手をかしてもらってたんだよ!」
私はあわてて日吉くんの顔をうかがうけど、彼は意にも介してない様子。
「じゃあ、これからは養生中の芝生には踏み入れないよう気をつけてくださいよ、先輩」
彼はクールにそれだけを言うとクラブハウスに向かった。
残されたのは、私と岳人。
「お前さ、今日、跡部や侑士とも手ぇつないでただろ」
「えっ? ああ、手つないでたんじゃなくて、全国大会おめでとうって言って握手してたんだよ」
私はあわてて答えた。
「ふーん、だったら、同じクラスの俺に真っ先にそう言うべきじゃね?」
それもそうだ、ごめん、岳人。
「うん、そうだよね。全国大会、頑張って、岳人」
私が手を差し出すと、岳人は右手を掲げて見せた。
よし、時間ギリギリでクリア!
ぐい、と私が岳人の手をつかもうとすると、すかっと空振り。
同時に、部活終了時間のチャイムが鳴り響いた。
「ばーか、お前と握手なんかしねーよ!」
岳人は天高く掲げた右手をふいっとポケットにしまい、そして左手を差し出す。
「握手なんかしたって、すぐ手ぇ離さなきゃなんねーだろ?」
彼はそう言って、左手で私の右手をつかむと、ぐいぐい引っ張って歩き出した。
「握手より、手ぇつなぐ方がいいって。暑いし、アイスでも食っていこうぜ」
岳人に手を引かれながら、私は振り返った。
にやにやとした新聞部員たちが、手を振って口々に何かを言っていたけど、それはチャイムの音にかき消されて聞こえなかった。
2013.9.14