● ハニカム  ●

 よくある話だ。
 1つ歳が違うというだけで、永遠においてけぼりなんてことは。
 この俺がそんな気持ちになるなんて、きっと誰も思いもよらないだろうけれど。



「あ、なあなあ、財前くん、ちょうどよかった。この前小春に預けといた部費の予算要求の原案もろた?」

 学食で俺がアジフライ定食を食べていると、ふわりと声をかけてきたのは、。3年生の生徒会メンバーで、小春先輩と同じく会計担当のお人や。
 俺はドボドボにソースをかけたアジフライをしっぽまでぎりぎりかじってから、そのしっぽを皿のはじっこに追いやった。
「はあ、もろてますよ。おおきに」
 彼女は俺が誘ってもいないのに、自然に隣の席に腰をおろした。
 ふんわりと卵でとじられたかつ丼が、彼女の今日の昼食のようだった。
「来年度の予算要求の時期になったら、あれを参考にしてな。去年までは小春が人員やスケジュールの詳細を提出してくれて、うちが部費の配分なんか書類作っとったけど、今度からは財前くんが頑張って部費確保せなあかんやろ」
 さんは特にテニス部の関係者というわけではない。
 が、生徒会でたまたま小春先輩と仲が良かったらしく、以前一時期テニス部の部員数が少なくて大幅に部費が削減されそうになった時、かなり力を貸してくれたらしい。それ以来、テニス部は部費の面でなにかと彼女に世話になっているというわけだ。
 さんはかつ丼ののったトレイをテーブルに置くと、左手にひっかけていた、女子が良く持っている小さなトートバッグをごそごそとさぐる。
「あとな、あとな、ちょとこれ味見してみて」
 中から小さなタッパーを取りだして、ぱかっと蓋をあけた。
「はあ、何すか、それ」
 俺は二つ目のアジフライをかじりながら、言う。
 まあ、中身が何なのか、一見してわかってはいるけれど。
「今週はバレンタインやん。週末の休みの間にな、練習でチョコクッキー作ってみてん。生徒会の子ぉらと、あとテニス部のみんなにあげよと思って。ちょと試食してみて」
 俺は箸を置いて、さんが差し出したタッパーからこげ茶色のクッキーをひとつつまんだ。
 ほろ苦く甘さを抑えたそれは、ばりばりと程よい歯ごたえだった。
「……どない?」
 さんは真剣な目でじっと俺を見た。
「……どないって……フツーですわ」
 俺が言うとさんはふううっと息を吐いた。
「フツーか、うん、まあ硬すぎたりまずかったりしなければ合格やんな、まええか」
 さんは、ウンウンと自分で納得したようにうなずきながら、割り箸をパキンと割った。
「……さんて、ほんま八方美人ですよねぇ。バレンタインにみんなに菓子配ったりとか。そんなんせんかて、さんは十分人気者ですやん」
「いけふははー」
 かつとご飯をほおばりながら、さんは眉をひそめてもごもごと言った。
 俺になにかと「いけずやなー」と言うのは彼女の口癖なので、聞き返すまでもなかった。
「ほんまのことっすわ」
 お茶を一口飲んで、クッキーの甘さを洗い流し、もう一度アジフライに戻った。
 その時、俺とさんの間ににょきっと包帯の巻かれた手が出る。
「財前ええもん食ってるやん」
 通りすがりの白石先輩がクッキーを一枚つまんで、口にほうりこんだ。ん〜エクスタシー、といつもの決まり文句。
「美味いやん、
 そう言いながら、俺のむかいの席に腰を落ち着けた。食器を下膳に行く途中だったようだ。
 白石先輩が座ったすぐ後、ふわりと背後から風を感じた。
「浪速のスピードスターが出遅れたでぇ!」
 がつがつ、とクッキーを二枚掴んでいくのは謙也さんだった。
「おう、美味いやん。できれば、チョコだけやのぉて、ホラあれや、市松模様みたいになったやつもええな」
 突然の闖入者に、さんは苦笑い。
「なんやねん、もう、まだ本番ちゃうで試食やのに、みんなで食べてもたら意味ないやん。それに、謙也、市松模様のクッキーなんてハードルあげんといてや」
「バレンタインやねんから、それくらい気ばれやー。それより、来月は卒業式やろ、校長は思い切りネタ仕込んどるみたいやから、気合い入れてコケなあかんらしいで」
 謙也さんが浮かれた調子で言う。
「冬の寒さと受験勉強で身体もなまっとるからなあ。毎年卒業式の大コケで身体いわす卒業生おるらしいし、ウォーミングアップしとかなな」
「えー、まじ?」
なんか、運動不足なんちゃうか」
 3人が会話をする中、俺はトレイを持ってガタンと立ち上がった。
「ほな、俺、食い終わったんで。先輩方、ごゆっくり」
「あっ、財前くん!」
 さんが何かを言いかけるが、俺は皆の顔も見もせずテーブルに背を向けた瞬間。
「はぁ〜ん、桃色片思い!」
 腰をくねらせながら走ってきた小春先輩の顔が目に入ってきて、ぎょっとする。
「ああん、クッキーおいしそ! よばれよ!」
 俺は軽くため息をついて、今度こそテーブルを後にした。
「あんたたち、だめねぇ、せっかく財前くんがと二人でおったのにぃ。アタシだってクッキーよばれたかったけど、割り込むんずっと我慢しとってんでぇ」
「ちょ、小春、うち、べつに予算案の書類の話しとっただけやし」
「いや、俺かて、そっとしといたろ思ててんけど、なんやちょと気まずそうやったしやなー」
「スマン俺はクッキー食いたかっただけ」
「あんたら勝手にあれこれ言わんといてやー」
 背後から聞こえる会話が遠ざかる。

 ほんま、先輩方、うざいっすわ。

 俺がと初めて会ったのは、テニス部に入部して少したってからのことだ。
 前述のように部費のことで、小春先輩が彼女を伴って部室にやってきた。
 生徒会の女の先輩というから、どんなにおカタい人かと思えば、ふわりとした雰囲気のきれいな人だった。そんな人が近くにいれば、好きになることに理由はいらないだろう。
「なあなあ、財前くん」
 と彼女に声をかけられるたび、心が躍ることは否めなかった。
 彼女は俺が彼女を好きだということを、たぶん察している。
 そんな彼女を、俺は好きで、そして嫌いだ。
 俺が彼女を好きだと知りながら、気軽に学食で声をかけてきて笑顔でクッキーを差し出すような彼女が嫌いだ。
 涼しい顔で、他の3年生たちと卒業式の話に加わる彼女が、嫌いだ。


 学食でクッキーの試食をした翌々日が、2月14日だ。
 こういう学校なので、当然その日は朝から大盛り上がりで、ボケたりツッコんだり。しかしながら、そういうお祭り騒ぎの影にかくれて、ひそやかに恋が生まれている気配も当然ある。そんな日だ。
 俺も教室でいくつかのチョコをもらい、放課後に部室へ行くと、案の定引退した3年生たちが集っている。
「何集まってるんすか、先輩らウザいっすわ」
 俺がぼやきながらバッグを床に放ると同時に、部室の扉がノックされる。
「みんな、おる?」
 だった。
ちゃん、お菓子お菓子! クッキーなんやて?」
 金ちゃんが待ってましたとばかり扉に走り寄る。
「うわ、金ちゃん、そないにがっつかんでも、ちゃんとみんなの分あるから」
 さんは、大きなバッグから金ちゃんにリボンでラッピングされた小さな紙袋を差し出した。
「はい、クッキーやで。カバンにつっこんで潰してまわんようにね」
「今すぐ食うから、大丈夫や!」
「ははは、、金ちゃんな、今日もろたチョコもう全部食ってもうたんやて」
 白石先輩はさんから紙袋を受け取りながら笑う。
「おっ、、リクエストしたとおり市松模様やん!」
 謙也さんは紙袋の中を見て、うれしそうに声を上げた。
「もー、けっこうめんどくさかったんやでー」
 彼女は笑いながら、俺の前にやってきた。
「はい、財前くん、バレンタインのチョコクッキー。こないだは試食につきおうてくれておおきにね」
 彼女がくれたのは、他の誰のものとも違わない、薄いピンクの紙袋。中身は2種類のクッキー。
「……どーも」
 俺はそれだけを言って、奥へ着替えに行った。
 着替えてから戻ると、さんはもういなかった。
 彼女からもらうものをもらった3年生も散り散りになって、金ちゃんはとっくにコートに出ているようだった。
「財前」
 残っているのは白石先輩だけ。
「……、お前ともう少し話したそうやったで」
 俺はため息をついた。
「そーいうんの、ウザいんすわ」
 俺が周りからあれこれ言われることを是としないことくらい、白石先輩だったらわかっているはずだ。
「気に入らないんすわ。あの人、どうせ俺が惚れとるって知ってはるんでしょ。知っていて、周りをちょろちょろして、俺の反応面白がってるんでしょ。年下や思て」
 今まで心の底でくすぶらせていたことを、はき出した。
 白石先輩は、あいかわらずの涼しい顔。
「財前がそう思うんやったら仕方ないけどな。けど、男やったらそこも含めて受け止めたらなあかんのとちゃうか。ま、好きにしたらええけど」
 白石先輩は礼儀にはうるさいけれど、他人のことにあれこれ口を出さない方だったから、そんな言葉が意外で俺はじっと先輩を見た。
「それにしても俺らも卒業やし、みんなで部室に揃うこともこれからはなかなかないやろな。俺と謙也は同じ高校やけど、小春やユウジや銀さんや千歳は違う学校やし」
「まあ、みんなそれぞれに偏差値ちゃいますしね」
「言うとくけど、俺ら、あんまり過去を振り返る方とちゃうやん。OBとして四天に顔を出すこともそうそうないと思うわ、財前くん」
 そして、また優しい笑顔で言うのだ。
「……来てくれなんて、思てませんわ。ウザい先輩方が引退していって、せいせいしてるんわかりますやろ」
「けどな、財前」
 白石先輩は続けた。
「残念かもしれへんけどな、俺も含め、高校に上がっても皆テニス部に入るつもりみたいなんやわ」
 意識をして耳を貸そうとしなくても、笑顔で話す白石先輩の声はいつのまにか俺の脳にしみ混む。
「テニスを続けとったらな、なんだかんだ言うてすぐ顔を合わすことになんねん。絶対にまた一緒にテニスをする。お互いが、いつ、どこにおってもな」
 優しくて、しかし強い目で白石先輩は言った。
「ま、財前くんが強ぉなってたら、の話やけど」
 俺は、ハ! と言い捨てた。
「先輩こそ、高校に入ったら1年生やないすか。まずは球拾いから頑張って下さい」

 置いていかんといてくださいよ。

 俺はそんなことを、口に出したことも顔に出したこともないはずなのに。
 白石先輩はくくく、と笑った。
「ま、俺たちはどこへ行ったかて、必ず会うねん。けど、はちゃうで」
 ふとまた持ち出されたその名前に、手にしたラケットをぎゅっと握りしめる。
「来年のバレンタインデーには、は四天宝寺中にはおらんのやで。……なあ財前、別にどっちから先に好き言うたかてええやないか。そんなに、からバレンタインに特別なチョコをもらいたかったんか? 女の子は傷つくのんが怖いもんなんやから、仕方ないやろ」
 白石先輩は包帯を巻いた方の手をさらりと撫でながら言うのだ。
「……まじ、ウザいっすわ!」
 俺はラケットを置いて、部室を足早に出た。

 言われんでもわかっとる。
 そして、いちいち言わんでもわかってくれ。

 生徒会室へ向かう廊下を走る。
 渡り廊下のところで、の後姿をとらえた。
 俺の足音に気付いたのだろうか。
 彼女は振り返って目を丸くした。
さん」
 呼吸を整えてから、俺は彼女の名を呼んだ。
「どないしたん、財前くん」
 彼女の手には、生徒会メンバーに渡すだろうクッキーたちが入った紙袋。
 呼吸を整えた後、深呼吸をした。
「どないなつもりなんすか」
「え?」
 今日は穏やかな天気だけれど、渡り廊下にふきこむ風は冷たい。
 彼女の膝小僧が寒そうに見えた。
「あないクッキーで、ごまかされへんすよ、俺は」
 彼女をにらみつけながら、俺は一歩近づいた。
「だいたい、それ。生徒会メンバーにも、俺たちがもろたんと同じクッキーあげますやろ。そういうのんとか、あと、謙也さんのリクエストに応えて市松模様のクッキー作るとか、そういうのん、やめといて欲しいんすわ」
 不満そうな俺の表情を、彼女はじっと見つめていた。
 そして、今度は彼女が一歩、俺に近づく。
「……ほしたら、うち、どないしたらええ? 財前くん?」
 俺の目を見て、まっすぐに、少し泣きそうだ。

置いていかんといてくださいよ。

「卒業しても、俺のそばに居ったらええねん」
 彼女の腕を掴んで、引きよせた。
 手からクッキーの入ったバッグが落ちたけれど、彼女は俺の手を振りほどかない。
「そばに居ってええの……?」
 俺の胸のあたりで、小さな震える声で言った。
「だから、居れって言うてますやろ」

置いていかんといてくださいよ。

誰も俺を置いていこうとなんかしていないって、俺は本当は、前から知っていた。
春が来るのは、こわくなんかない。

2013.2.14 「ハニカム」

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