● 青春波止場純情編6  ●

 真田弦一郎と柳蓮二の前に正座をするは、明らかに戸惑って萎縮しているのが見てとれた。
 沈黙の続く和室で、重々しい咳払いをして口を開こうとする弦一郎を、蓮二が軽く手を挙げて制した。
「わかっている、弦一郎」
 落ち着いた声でそれだけを言うと、をちらりと見て穏やかに微笑んだ。
「心配せずとも、俺は何も口外しない」
 ほっとしたような弦一郎のかすかな吐息が部屋に響いた。
、言った通りだろう、蓮二は信頼できる男だ。心配するな」
 はちいさくこくりと肯くが、あいかわらず表情はかたいまま。
「蓮二、聞かれてしまったついでだ。何か良い手がないか、一緒に考えてくれまいか」
「良い手?」
 長身の男二人、正座をしたまま顔を見合わせる。
「そうだ。がジャッカルとうまくいくようにする、何か良い手だ。例えば……そうだな」
 弦一郎は眉間に手をあててしばし考えを巡らせる。
「こういうのはどうだ」
 ポンと膝をたたいて、蓮二とを交互に見た。
が狼藉者にからまれるところを、通りかかったジャッカルが助けるというのはどうだ。俺と蓮二でやくざ者に変装すれば良いだろう」
「えー……」
 の小声と、蓮二のため息が部屋に響いた。
「……弦一郎。確かにトラディショナルで有効な手かもしれないが、俺とお前が変装というところはさすがに無理があるな」
「ううむ、そうか……」
 ぐっと腕組みをして、再度弦一郎は頭をひねった。
「では、こういう設定はどうだ」
 再度、ポンと膝を打つ。
が、高い木を見上げ困っている。風で、手にしていた大切な物が飛んで木にひっかかってしまったのだ。通りかかったジャッカルが、木に登ってそれを取ってくれる。風で飛んでしまったそのの大切な物とは、ジャッカルにしたためた恋文であり、それを目にしたジャッカルは……」
 熱く語る弦一郎を、今度はが顔を赤らめて制した。
「真田くん、私、ラブレターなんて書かないよ! そんなクサ……いや、ベタなのはちょっと無理だと思う!」
「ベタだと!?」
 彼女の言葉に、弦一郎は思わず口調を荒げた。
「まあまあ、弦一郎」
 そこに静かな蓮二の声。
「確かに、少々古典的すぎるな、弦一郎。お前はもう少し今時のドラマなどを観た方が良い」
「何だと! 俺はきちんと月曜夜のドラマを見ているのだぞ! 今の案も、そういったドラマを参考にしたものだ!」
「お前が見ているのは、水戸黄門だろう。月曜8時からではなく、9時からのドラマを観ろ」
「むう! なら、お前には何か良い策があるというのか!」
 バン! と机を叩く弦一郎を尻目に、蓮二は筆を手に取って半紙にさらりと書をしたためた。

春風駘蕩

「色恋はなかなか思い通りにならぬもの。あれこれ策を弄するのはかえって逆効果だ。まずは落ち着いてゆっくりとしているのがよかろう」
 半紙を、に差し出した。
、お前はテニスコートに見学に来たことはないだろう? まずはジャッカルがテニスをしているところなどを見てはどうだ?」
 は目を丸くして、その半紙を受け取った。
「……あ、うん、でもいいのかなー、見学とかって……。真田くん、いつも見学の女子がうるさいって言ってるし」
 蓮二はふふっと笑う。
「静かに見ている分にはかまわない。そうだろう、弦一郎」
「ああ、うむ、そうだな」
 答えながら弦一郎は、がテニスコートのフェンスの向こう側にいる姿を想像してどぎまぎしてしまう。彼女は自分を見に来るのではないとわかっているのに。



 テニスコートでトレーニングにいそしむ弦一郎は、コートの外の見学者のことなど普段ほとんど気にしない。雑誌の取材や他校からの偵察などで他人から見られることには慣れている。今さらいちいちそんなことで、トレーニングへの集中を乱されたりはしないのだ。
 が、この日は水分補給のためにベンチに向かった一瞬、フェンスの向こうの見学者の中にの姿をみとめた。
 蓮二が言ったとおりに、彼女は見学に来た、それだけのことなのだ。
大勢の見学者の中のひとりに過ぎない。
 自分で自分にそう言い聞かせるのだが、彼女の立っているその場所を、見ないようにするたびどうしても意識してしまう。わかっている。見ないようにする、という時点で気にしているということなのだ。
 彼女がそこにいるということを、懸命に自分の意識から振り払うようにトレーニングを続けたが、結局インターバルの時になるとあきらめたようにふと顔を上げてタオルで汗を拭きながらのいる場所を見る。
 彼女の視線を追うと、当然ながらそこには丸井ブン太とダブルスのトレーニングをしているジャッカル桑原がいた。
 の口元はうっすら開いてほころび、意識しているわけではないだろうが、なんとも幸せそうに微笑んでいる。

 好きだなあって思ってるだけで楽しいんだ。

 弦一郎は彼女のそんな言葉を思い出した。
 ああ、本当に見ているだけで幸せそうだ。
 恋をしている
 思えば、同じクラスになって、彼女を好ましい女子だと感じたとき、すでに彼女はジャッカルに恋をしていたのか。
 ジャッカルに恋をしている彼女を、自分は好きになった。
 弦一郎はこころの中でそう言葉にしてみて、軽くため息をついた。
 恋をして思い悩んだり、幸せそうに微笑むは、やはり可愛らしいと思う。
 ただ、その相手が自分でないということが問題なのだが。
 春風駘蕩などと、ひどくのんびりとした言葉を蓮二は彼女におくっていたが、弦一郎はこれから、さっぱりどうしたらいいものかわからない。
 わかるのは、とにかく自分はテニスのトレーニングに励むべきだという、それだけだった。

 部活動の時間も終わりに近づき、見学者もまばらになったころ、はまだ同じ場所にいた。レギュラー陣は一年に片付けを命じ、コートを後にする。
 ジャッカルがタオルを手に、コートを出て行った。
 そんな彼を、がじっと見ているのを、コートの中から弦一郎は見守っていた。
 ジャッカルがコートを出て、の前を通り過ぎようとする。の手がぎゅっと握り締められるのが見えた。
 が何かを言おうとする瞬間、ジャッカルの背中を切原赤也がおもいきりバシンとたたく。
「ジャッカル先輩! 帰りにゲーセン寄らないスか!? 丸井先輩は行くって言ってましたよ!」
「なんだよ、オイ、また俺におごらせる気かあ?」
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよー」
 楽しそうに話す二人は、の前を素通り。
 ジャッカルはを一瞥することもなく、部室に向かった。
 はそんな二人の後姿をじっと見つめる。
 ついつい息を殺していた弦一郎は、ふうっと大きく息をつく。
 なんというか他人事ながら、とジャッカルはまるでそれぞれテレビの違うチャンネルの番組に住んでいる者同士が如く、重なることがない。というより、ジャッカルが出ているテレビ番組を、がじりじりとしながら茶の間で見ているようなものか。
 そんな、もどかしいようなほっとしたような気持ちで彼女を見ていると、今度は彼の背中をぽんと叩く者があった。
 柳蓮二だ。
 彼はそのままトンと弦一郎を促してコートを出た。
、初めて見学してみてどうだった?」
 そして立ちすくむに声をかけた。
「あ、うん、テニスのことってあんまりわからないけど、すごいね。面白かったよ」
 そう言うと、にこっと笑う。彼女のその目の下のふくらみを見ると、弦一郎は自分の胸がきゅっと熱くなるのを感じた。
「桑原くんって、後輩の子にも慕われてるんだね。男の子同士って楽しそう」
 はジャッカルと言葉をかわせなかったことを残念がることもなく、こころから嬉しそうに微笑む。
「ああ、あいつは面倒見がいいからな」
 ぎゅっぎゅっと帽子のつばをさわりながら、弦一郎は彼女の笑顔を見る。
 今日は、きっと彼女の中に、たくさんのジャッカルの姿が蓄積されたことだろう。
「もうすぐ下校時間だ。遅くなってしまったな。、俺と弦一郎が着替えるまで少し待っていろ。俺たちで送って行こう」
 さらりと蓮二が言うと、は驚いたように手を振る。
「えっ? いいよ、そんなに暗くないし大丈夫」
「いや、見学に誘ったのはこっちだ。なに、用心するにこしたことはない。なあ、弦一郎」
「あっ、うむ、そうだな、蓮二」
 弦一郎は、自分が女子を送って行くという発想がなかったので、少々驚きながら相槌を打った。それになんとも、自然な申し出方である。
 弦一郎はまるで自分だけが取り残されたような、妙な気持ちになった。
 蓮二はいつのまにか、こういったことにもソツのない男になっていたのかと。


 を送って帰る道すがら、蓮二はテニスの簡単なルールの説明や、ジャッカルのプレイスタイルなどをわかりやすくに話していた。
 さすがにそういう説明は得手のようだ。時に弦一郎も補足をしながら、会話は途絶えることなくの自宅にたどりついた。
「柳くん、真田くん、あの、今日はどうもありがとう。見学させてくれて、いろいろ教えてくれて、楽しかった」
 手を振るに、弦一郎は軽く頭を下げる。
「ああ、
 軽く手を挙げてから、蓮二は思い出したように言った。
「明日、昼休みにまた和室に来るといい。ジャッカルのデータを、簡単にまとめて持ってくる」
 彼の言葉に、は恥ずかしそうに笑った。
「うん、ありがとう」
 が自宅の門の中に入るのを確認すると、弦一郎と蓮二はだまって歩き出す。
 二人になった帰り道、地区大会のオーダーのことなどを話すが、弦一郎はどうにも集中できなかった。

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2008.5.18

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