● 石田銀の鬼イカセ!  ●

 小雨が降る初夏の日曜日、私は大好きな人の家を訪ねる。
 石田銀……銀さんは私のひとつ歳下の恋人。
 四天宝寺中学を卒業した彼は、大阪の高校に進学をした。
 彼はテニス特待生で四天に来たので、卒業後は東京に帰ってしまうのかと寂しく思っていたから、私は嬉しくてたまらない。
 銀さんは、大阪に来てから宮大工になりたいと思うようになったらしい。
『親父も大工やからな、ワシが大阪で宮大工目指したい言うたら、大阪で勉強を続けることを許してくれたんや』
 春にはそんな話をしてくれた。
 銀さんはホンマ大人でしっかりしてるなーって感心する。
 そんなわけで、高校生になった彼は、大晦日に話していたように四天の寮を出て一人暮らしをして学校に通っている。
 で、一人暮らしをするっていうからワンルームのアパートか何かかと思ったら、広い庭付きの古い一軒家なのだ。
 なんでも、アパートを借りるよりも安くて広く、古くて立て付けの悪い部分を自分で勝手に治したり改修していいというところが気に入ったらしい。
 盗まれて困るものなどないし、このワシの寝込みを襲う強盗などまずおらんやろ、とセキュリティについては不問のようだった。
 古い一軒家は確かに銀さんのイメージにぴったりで、まるで昔からそこに住んでいるかのようにしっくりした様相で、春、初めて訪れた私を迎えてくれたっけ。そして、畳だけは真新しくなっていたその部屋のいぐさの匂いにつつまれて、私は初めて彼に抱かれた。

 高校でもテニスを続ける彼は、やはりなかなかに忙しくて、今日は雨で部活が休みだということで遊びに行くことにした。
「銀さーん、あがるでー」
 玄関は当然施錠されていないので、がらっと戸を開けて声をかけて中に入る。
 居間に入ると、銀さんは藍染の作務衣で座禅を組んでいた。
 まあ、いつものことだ。
「お母さんが銀さんに持ってったり言うて、おかずとか漬け物持たせてくれてん。冷蔵庫入れとくな」
 瞑想中の銀さんにそう声をかける。
 私が冷蔵庫の開け閉めを終ったころ、銀さんはいったん目を開いた。
はん、いつもすまんな。おおきに」
 そう言って、大きく呼吸をした。
「あと、般若心経を詠んだらおしまいや。ちょと待っとってくれんか」
 銀さんは休日家にいる時には、朝起きて掃除や家事を一通り終えた後に、瞑想して般若心経を唱えるというのが寮にいる時からの習慣らしい。そりゃ寮長にもなるわ。
 夏をひかえたこの季節、晴れた日は暑いくらいだけれど、雨の日はほどよい室温。梅雨になったら、きっとじめじめするだろうなあ、なんて思いながら私は銀さんの前に座った。
 高校になって身長も190センチをこえた銀さんは、ほんとうに身体が大きくてがっしりしていて、背筋を伸ばして座禅を組む様はまさに屈強な修行僧。
 学校の友達に、「うちの彼氏、歳下やけどめっさかっこええねん、見て見て!」って写真を見せても、いまいちストレートな同意は得られないんだけど、すっごいカッコいいと思うんだよね。
 ごついけれど形の良い坊主頭、顎のライン、切れ長の目、筋肉に覆われた身体、大きな手。
 以前は、私の自転車のパンクを直してくれる時にしかじっと彼を見つめることができなかったけれど、今はこうして部屋で瞑想する彼を見ることができる。
 こうして彼を見ていると、つきあうようになって1年近く経つけれど、今でもとてもどきどきする。
 特に、銀さんの体温、手の感触、吐息まじりの声を知るようになってからは。
 っていうか銀さん!
 私、今日、思い切り勝負下着やねんけど、般若心経はやっぱり省略できひんわけ!!

「魔訶般若波羅蜜多心経」

 私のそんな邪な思いはよそに、銀さんは般若心経を唱え始めた。
 銀さんの唱えるそれは何度も聴いているので、音の感じはわかるけれど、意味はよくわからない。
 銀さんの低い落ち着いた声の般若心経は決して嫌いではないし、むしろ耳にここちよい。でも、滅多に一緒に休日をすごせないのに、般若心経が先? などと、修行の足りない私は、思ってしまうところもあったり。
 そんなに時間がかかるお経じゃないというのはわかっているけれど。
 
 ほんのちょっとした悪戯心だった。

「観自在菩薩」
 唱和を続ける銀さんの前で、私は服を脱ぎ始めた。
 カットソーとオーガンジーのスカートを脱いで、畳んだ。
 気配を感じたのか、銀さんはふと目を開けて、そしてぎょっとした顔をして一瞬唱和を止めた。
「……色不異空 空不異色……」
 それでもまた目を閉じて、唱和を再開。
 銀さんに見せたいと思った、レースの上下揃いの新しい下着はちゃんと目に入っただろうか。
「色即是空 空即是色」
 般若心経のこのフレーズの言葉を、銀さんは好きなのだと言っていたっけ。意味を聞いたけれど、わかるようなわからないような。
 ああ、私はやっぱり、銀さんの声、好きだな。
 ぞくぞくする。
 作務衣の下の、筋肉質なたくましい身体を思い出して胸の奥が熱くなる。
 下着姿のままで、銀さんの前ににじりよった。
 銀さんは目を閉じたまま。唱和が続く。
 いつまでも聴いていたいな、という気持ちになった。
 そして、一方的に彼をじっと見つめていたい。
 一瞬乱れた銀さんの唱和は、また平静を取り戻していた。
 けれど、じっと彼を見つめていた私は、座禅を組んだその真ん中、作務衣の上着の裾が大きく隆起していることに気づく。
 私はそっと手を伸ばして、銀さんの作務衣の上着の紐を解いた。見事な腹筋が現れて、ため息をつく。そして、私はためらうことなく彼の腰の紐を緩め、作務衣を持ち上げていたものをあらわにした。
 般若心経は聴こえてこない。耳に入るのは、少し荒くなった銀さんの呼吸の音。
 すっかり硬くなっている彼のものに指を滑らせ、顔を近づけると先端に口づけた。雫を舐め上げる。
「……ふっ……不生……不滅 不…垢 不浄……不増……不っ……減」
 震える声でそう続けた後に、深呼吸を何度か繰り返す音。
 私は彼のものを口の中に銜え、舌で形をなぞった。
 うめき声とともに銀さんの腹筋に力が入るのを感じる。
「……銀さん、続けて……」
 私は一度唇を離し、そう言った。銀さんに触れながら、銀さんの般若心経をもっと聴きたい。
「……是故空中無色 無受想行識」
 声を耳にしみ込ませながら、私はまた彼のものを口に含んだ。にじみ出るものを舐めとりながら、舌で、唇で、彼の形や熱、力強さをたっぷり味わう。
 胸の奥に灯った熱は、いつしか私の身体中に広がっていた。
 一度身体を起こすと、銀さんが座っているちょうど向こう側の小さな箪笥の引き出しを開けた。置き場所は知っている。
 取り出した避妊具を、すっかり熱くなった銀さんのものに装着した。
 般若心経はまた止まって、銀さんは速い呼吸と深呼吸とを交互に繰り返している。
 私は下着を脱いで、放った。本当は銀さんに脱がせて欲しかったのだけれど。
 座禅を組んだ銀さんは、私にとってまるで巨大な座椅子みたい。
 がっちりとした太股に手をかけて、私は彼の両膝に跨がった。
 銀さんの声を聞いて、銀さんに触れて、熱くなったものを舌でなぞり、それだけで私は十分準備ができたことが自分でわかっている。
 銀さんのものは熱くて硬い杭のようで、手を添える必要もないくらい。
 ぬるりとあてがって、位置を合わせたらゆっくりと腰を落として行った。
「……んっ……」
 いつものことながら、その圧倒的な質感に声がもれる。こんな大きなものが入ってしまうなんて不思議、などと思いながら。
 ゆっくりと私の中におさまっていった銀さんは、火にくべられたかのように熱い。じっくりと私にも伝わる熱。とろけるような一体感に、私の中がまたじわりと濡れていく。
 両脚で銀さんをぎゅっとはさみこみ、彼にしがみつくように抱きついた私は大きく息を吐いた。
「……なあ、銀さん……お経、続けて……」
 私はもう一度言った。
 私の中で、彼の熱い杭がびくんと動く。
「……無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法」
 銀さんが唱和する般若心経で興奮するなんて、こんなことをするなんて、私はおかしくなってしまったのかもしれないけれど、それでもいい。
 だって、すごくドキドキして気持ちがいい。
 時々声がつまるものの、いつものようにゆっくりとした唱和が再開された。
 彼の低い声とリズムに合わせて、ゆるく腰を動かす。
「……んんっ……ふうっ……」
 軽く動かすだけなのに、驚くほどの快感が身体中を貫く。
 たっぷり濡れた私は、もう十分にスムーズだ。
 何度か緩く動いた後、大きく腰を上げてからまた腰を落とす。銀さんの先端から根元までを確認するように味わった。
 銀さんも小さく声をもらし、唱和が止まる。
「……あかん、やめんといてっ……」
 銀さんの声を聞いていたい。
 はぁはぁと部屋に響くくらいの荒い呼吸を繰り返してから、銀さんは唱和を続けた。
「無眼界乃至無意識界 無無明」
 そう、これがいい。
 やっぱり銀さんは素敵。
 銀さんにしがみついて、彼の声に合わせて腰を動かしていると、私の熱はどんどん高まっていく。
 いつしか私の熱は、銀さんの熱も般若心経のリズムも追い越してしまっていた。濡れた粘膜の音が部屋に響く。
 流れるような快感につつまれるだけでは満足ができなくなってくる。恥ずかしげもなく、自分がより快感を求めて腰を振ってしまっていることにはもう気づいていたし、それはもう止められなかった。
 銀さんの声はときどきつまり、うめき声が混じるけれど、彼は唱和を続けた。
 私、本当にだめ。いつも銀さんを置いてきぼりにして、先にいってしまう。
 今回だって、これはほんのフライングだけにするつもりだったのに。
「……ごめん、銀さんっ……まだお経、途中やのに……うち、もう我慢できひん……」
 私は腰をこすりつけるように激しく動かす。もう、自分のどの部分をどうすればいいか、十分わかった。熱くて硬いごつごつとした銀さんのもので、自分の中をかき回す。あと少しでたどり着く。
「故説般若波羅蜜多呪……!」
 力強い声が響く。
 銀さんの両手が私のヒップをぐいと掴んだ。
「掲諦掲諦 波羅掲諦 !」
 力強く腰を突き上げる。
 やっぱり銀さんはすごい。
 あと少しでたどり着くところ、あっという間に私を登りつめさせた。
 恥ずかしいくらいの声を漏らして、銀さんにしがみついたまま私は激しく収縮する。しがみついていないと倒れてしまいそうなくらい、気持ちが良くなって身体中の血液が逆流しそう。銀さんの声が遠い。
 普段は私がいくと、銀さんは一旦動くことをやめてくれるのだけど、今日は違った。収縮して敏感になっている私を激しい動きで突き上げ続けてから、身体をびくりと大きく震わせ、うう、と声を漏らす。私の収縮とともに、中でびくびくと吐精していることを感じた。
 ぎゅうっと私を抱きしめながら「般若心経……」と耳もとでつぶやく。
 これは、知ってる。最後の一言だ。
 すっかり荒くなった呼吸が落ち着いた頃、銀さんは決まりの悪そうな顔で私を覗き込む。
「……ちゃんと最後まで詠んだで。般若心経」
「せやったら、もうキスしてもええ?」
 私たちは抱き合ってつながったまま、舌をからめあう。
 中で彼のものがむくりと動くのを感じた。
「……あかん、また……」
 銀さんはあわてて身体を離し、避妊具の始末をした。
「……ごめんな、邪魔して。こんなんして、びっくりしたやろ……」
 不意に冷静になった私は、おそるおそる銀さんを見上げる。
「……ずっと前に、こんな夢を見た」
 彼は眉間にしわをよせて、そうつぶやく。
「え? 夢?」
 意味が分からず、私は聞き返した。
「だから、夢や。寮で寝とる時、はんにこういうことをされる夢を見たことがあって、今でもよく思い出す。……そのことを見透かされたんか思て、びっくりしたんや」
 気まずそうに言う彼をまじまじと見た。
「……そうなん! ……銀さんって意外にエッチやな!」
 心底意外に思ったものだから、ついそう言った。
「だから、前に言うたやろ。はんのことを思うと、ワシの煩悩は百八ではきかんとな」
 私、やっぱり、ほんとに銀さんが好きやなあ。
 裸のままでぎゅっと銀さんに抱きついた。
 銀さんの大きな手が背中を覆う。
「うちも百八じゃきかんよ。言うたやん」
 そう言ってもう一度キスをした。
 今日は、百八じゃきかない私たちの煩悩をこれから一つずつ確認していくことになるだろう。


2013.10.27

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