● Mr.ダストデビル --- 2. 敵に囲まれる ●

 あれは確かに切原赤也だった。
 私は家のお風呂で、両膝をかかえながらゲーセンでの赤也の顔を思い出す。
 ちょっと得意げな笑いを浮かべた、あの、ガキっぽいくせに生意気な表情。
 ヴェレダの入浴剤を入れたお湯を、ばしゃばしゃと顔にかける。
 今日は、結局あれから悠樹とは気まずくて、あの場所を後にしてすぐに彼は『テスト勉強しなきゃなんねーし、帰るか』と言ってさっさと帰ってしまった。すっきりしないけど、ちょっとほっとしてしまったのは事実。
 そして、家に帰って来てもあれからフォローのメールもない。
 彼とのことがいろいろ気がかりなのは当然だけど、もう一つの問題。
 赤也のこと。
 正直、助かったんだけど、あいつ、あのことどう思ったんだろ。
「あー、もう!!!」
 お湯を頭からかぶった。
 くそ、面倒な奴に見られちゃったな!



 翌日、教室の自分の席に座ってると、隣の班の子が声をかけてきた。
、どうしたの。なんか難しい顔しちゃって。テストなんか、 は余裕でしょ?」
「え? あ、そうでもないけどさ」
 返事はうわの空。
 頬杖をついてうつむきながらも、視界の端っこで赤也の席を見てる。あいつ、いつも教室に来るのギリギリだから、どうせまだ来やしないんだけど。
 ぐっと机につっぷして頭をぐりぐりと左右にまわしたりしてると、ポンと後頭部をたたく手。
「よっ」
 顔を上げると、赤也。なんだ、今日は早い!
 ぎょっとして、でも何か言おうとするけど、やつはさっさと自分の席について、漫画を読み始めた。
 テスト期間くらい勉強しろっつの。
 なんて思いながら、私はちょっとイライラ。
 だって、さっきの挨拶してきた時の赤也。
 俺、知ってんだぜ、みたいな妙に得意げな表情だった。
 それで、私の反応を見てるんだ。
 ガキのくせに、こういうことには敏感なんだよな、こいつ!
 
 さて、訳知りの赤也は、休み時間も昼休みも特に何を言うわけでもなく、だから私も別段反応するわけもなく一日は過ぎた。
 結構ストレス。
 赤也の様子を伺いながら過ごすなんて。
 こんな風だったら、朝イチにヤイヤイからかわれた方がましだったな。
 放課後、そんなことを考えながら靴箱のとこで靴に履き替えてると、ふと人の気配。
 ローファーに足をつっこんで顔を上げると。
 そこにはちょっと驚いた顔の赤也。
 赤也とここで会うのは珍しい。
 だって、赤也は放課後になると弾丸のように飛び出して行くか、それかクラスの友達と思い切りだらだらだべってくか、そのどっちかだから滅多に靴箱のとこで会ったりしないんだよね。
「あ、赤也……」
 なんか喉にひっかかったみたいなヘンな声しか出なかった。
「おう」
 赤也はスニーカーのかかとをふんずけて、いつもどおりの顔。
「昨日……」
 あれ。切り出したものの、私、何て言えばいいんだろ。何を言わなくちゃいけないのかな。
「ええと、ありがと」
 相変わらず、ちょっとなんだか上手く声が出ないような気がするけど、私はまずそれだけを言った。背中を、汗が一筋ながれるのを感じた。
 赤也はまた驚いた顔をして、スニーカーのつま先をとんとんと地面で押さえた。
 私たちはどちらからともなく、二人で並んで歩き出した。
「ま、ちょっとびっくりしたけどよ。 サンが、プリクラ撮りながら彼氏といちゃついて、エッチなことされそうになって泣き入れてるなんてさ」
 私は足をとめて、赤也を睨んだ。
「ああ、悪ぃ悪ぃ。だって、 あんなのもっとヨユーかと思ってたからさ」
 赤也はさらりと言った。
 その飄々とした顔を睨みながら、私は大きなため息をつく。
 確かにね、『クラスメイトなんてみんなガキ』って感じで気取ってる私が、つきあってる彼とああいうことになってギャーギャー取り乱してたなんて、超かっこわるい。
 自意識過剰かもしれないけど、やっぱりそんな風に思っちゃうもん、私だって。
「で、場所変えて続きやったわけ?」
 私はやつのそんな言葉を無視して、ちょうど通りがかった自動販売機でオレンジジュースを買った。
「あ、俺、コーラね」
 当然おごりってことね。
 私はため息をついてコーラのボタンを押すと、ごろりと出て来たそれを手にして赤也に放った。
「投げんなよ」
 あわててそれを受け取った赤也は、キャップを外しておいしそうにごくりと飲んだ。
「そう睨むなって。別にさ、他の奴に言わねーし」
 半分くらいを飲んで、赤也は一言。
 赤也って、本当においしそうにコーラ飲むなあ。私は炭酸は苦手だから、彼の飲みっぷりにちょっと感心する。
「ただ、 があんな風なの、ちょっと意外だっただけ」
 だから、そう思われんのが嫌なんだよね。ま、しょうがないだろうけど。
 私は眉間にしわをよせたまま、オレンジジュースを喉に流し込んだ。
「彼氏、背ぇ高ぇしイケメンじゃん。まだしてねえの?」
 そして、ガキみたいな質問。ってうか、男って感じの質問か。
「赤也には関係ないじゃん。赤也はホイホイすぐにする方?」
 私が聞き返すと、赤也はちょっと表情を曇らせる。
「俺は別に、つきあってる女いねーし。まあ、やらせてくれるっつんならするかもしんねーけど」
「でも、どうせ、キスもしたことないんでしょ」
「ねーよ! ケッ、 だって、キス以上になるとびびってんだろ」
「そうよ! 悪い!?」
 私はついに開き直って声を上げた。
 赤也は目を丸くして、空になったコーラのボトルをペットボトル入れに放った。
「…… でもびびんのか」
 そう言って、くすっと笑う。不思議と、憎たらしくない笑顔だった。
 私も赤也にならって、飲み干したボトルを放る。
「そうだよ。びびるっつの。なんでわかんないかなー」
 最後の一言は、悠樹に対する文句。
「男はどうなの? 赤也もさ、最初にいざってなったら、どう?」
「へっ、俺? うーんそうだなー、びびるってか、まあ緊張すっかもしんねーな。失敗したり上手いこといかなかったら、恥ずかしいよなーなんて」
「でしょ? いろいろ緊張するし、恥ずかしいしさ……」
 なんか、妙な感じに盛り上がって、私たちはしゃべりながら自転車置き場まで一緒に歩いた。
 赤也、なんかもっと意地悪くいろいろからかってくるのかなあなんて思ったけど。
 話してたら、なんだか昨日お風呂のなかでもやもやしてたことがちょっとすっきりした気がした。
 ガキでバカだけど、赤也は基本的にいいやつなんだよね。



 そんな具合に私の中での赤也株が上昇してたのは、ほんの数日のことだった。
 その後、ちょっとした事件が起きたのだ。
 
 テストも終って一息ついてたその日、昼休みに購買部でジュースを買おうとしてると、赤也がうろうろしてた。
「赤也、赤也の好きなチーズ蒸しパン、まだ残ってたよ」
 あれ以来私は、赤也に対しては『この童貞に幸あれ』という気持ちで接する方向でいたので、日々小さな親切を施すことにしていたのだ。
「おっ、マジで? サンキュ」
 赤也が笑ってピースサインを出すと、そのもじゃもじゃ頭を後ろからぐしゃっとつかむ大きな手。
「うわっ、やめてくださいよ!」
 彼の背後には、仁王先輩と丸井先輩。
 テニス部の三年の、すっごい人気の先輩だ。有名だから私も彼らの名前と顔は知ってるけど、もちろんちゃんとした面識はない。
 へー、やっぱりかっこいいなーなんて思って見てると、丸井先輩がにこっと笑って私を見る。
「なに、赤也のクラスの子?」
「そーっスよ」
 赤也は丸井先輩の手を頭から振りほどいて振り返りながら言う。
「あ、 といいます」
 私はとりあえず自己紹介をしてみた。まあ挨拶くらいはね。
「ん?  ?」
 すると、静かに笑って二人を見てた仁王先輩が私を見るのだ。
「へー、 さん」
 赤也の頭から手を放した丸井先輩も私の名を繰り返して、じっと見る。
 なに? 
 ちょっと意外な反応に驚いてると、赤也が二人の背を押した。
「俺、そっちのチーズ蒸しパン取りたいんですから、通してくださいよー」
 三人の後ろ姿を見ながら、私はとりあえず野菜生活を手にして、レジに向かった。

 そんなことがあった同じ日、私が所属してる国際交流委員会の集まりがあって、その話し合いを終えてさあ帰ろうという時、そういえば次回開催の日程をメモするの忘れたことに気づく。確か、ちょっとした学校行事があって定期開催の日程とずれるからって、先生が板書したんだっけ。
 廊下を歩いていた私はくるりと踵を返して会議室に向かった。
 扉が半開きで、中から話し声がする。ああ、まだ誰か残ってるんだ、なんて思いながらも気にせずに扉に手をかける。
さんって、あれでしょ」
 ふと中から漏れ聞こえる、私の名。一瞬、私がいるのをわかって声をかけられたのかと返事をしそうになったけど、それを飲み込んだ。
「確か北中の三年のバスケ部の彼とつきあってんだよね。あ、チア部の子に聞いてみようよ。チアはいろんな試合行くからバスケ部も知ってんじゃない?」
 続くのは、どう聞いても私のうわさ話のようだったから。
 おそるおそる中をのぞくと、話してるのは二年の女子。うん、女子テニスの子たちだ。
「確かにちょっとキレイで結構男子に人気じゃん。そりゃ、赤也もねえ!」
 赤也!? 突然出て来たその名前に私はつい声が出そうになる。
 赤也が一体なんだっての?
 それからは少しの間、私に対するコメントがいくつか。委員会で一緒だけどクラスは違うから、ちょっとしか話したことない子たちだけど、まあ私に対して好意的なコメントではなかった。
 私はドクドク騒ぐ心臓をおさえて、そっとその場を離れた。

 どうもいやな感じだ。
 購買部で赤也の先輩に会った時の彼らの様子も、ちょっと気になる。
 私は携帯を取り出して、赤也にメールを打った。
 内容はこうだ。
『部活が終ったら、駅裏のローソン。一人で来い』
 最初はいくつか絵文字入れてたけど、ちょっと考えて絵文字は全部消した。
 この方が緊張感があるだろう。果たし状っぽくて。
 私は一足先に指定の場所に行って、雑誌を立ち読み。
 ここは、意外と学校の子に会わない。皆、表側の方の店に行くから。週半ばをすぎると、ジャンプを買い損ねた子が売れ残ってないか探しに来たりするけど。穴場だからね。
 ファッション雑誌の巻末の星占いを見てため息をついて顔を上げると、ちょうどそこには自転車に鍵をかけてる赤也がいた。私と目が合うと、いかにも気まずそうな顔。
 ああ、もうピンと来た。
 こいつ、絶対何か心当たりがあるんだ。
 私は雑誌を棚に返して、腕組みをして赤也が入って来るのを待った。
「わり。待った?」
 肩をすくめて入って来る赤也に、私はあごで冷蔵ケースをさす。
「ハーゲンダッツ、ストロベリーで」
 赤也はダッシュでストロベリーのカップをレジに持って行った。

 バス停のベンチでアイスを食べながら、尋問タイムだ。
「で、赤也。私にダッツをおごらされるようなことをした、心当たりがあるんでしょ? 一体、何してくれたの?」
 赤也はガリガリくんをかじりながら、こめかみを押さえた。
「……うーん、なんていうか……名前を借りたっつか……」
「わかるように話してよ。女テニの子がさ、すごく不穏な感じで私の話をしてたんだよね」
 赤也はぎょっとして顔を上げた。
「マジ!? くそ、ぜってー誰にも言わねーって約束だったのに!」
「だから、何なのよ!」
 赤也はガリガリくんを食べ終えて、観念したように大きくため息をついた。
「……この前、部活が終った後に仁王先輩と丸井先輩と話してたんだけどよ。まあ、いつものことなんだけど、あの人たち、すぐに俺のことを『赤也は童貞だからな』ってバカにすんだよ」
「本当のことじゃないの!」
 イライラしてた私は思わず怒鳴る。
「いや、そりゃそうだけどさ。あんまり言われてムカツイたもんだから、この前は、『俺、童貞じゃないっスよ。一年の時に経験ずみっス』って言っちゃって」
「見栄っ張り!」
 つっこまずにおれない。
「しょーがねーだろ! すると仁王先輩が『ほう、相手は誰じゃ? 名前を言うてみぃ。すぐに出てこんようじゃったら、ま、見栄をはるための嘘じゃな』なんて言うもんだから……」
「まさか、そこで私の名前を言ったんじゃないでしょうね!」
 すかさず怒鳴ると、続くは沈黙。
 赤也の額には汗が流れていた。
「いや、けどさ、二人に、絶対他に言わないでくださいよって念を押したんだよ」
「そんな約束、守られるわけないでしょ!」
 ガリガリくんの棒をかじりながら、赤也はうつむいたまま。
「一体なんだって私の名前なんか言ったのよ! 他にも、赤也を好きで告ったことのある子とか、仲のいい子とかいるでしょ!」
 私は怒り心頭で、抑えが利かない。
「だって、なんてーか だったら、ちょうどこの前のことで貸しがあるし、いいかなーって。あ、別につきあってたとかそんな話はしてねーから。 、彼氏いるからそんな話はちょっと悪りぃだろ?」
「つきあってないのに寝た、みたいな方がもっと悪いよ!」
 怒りで手が震えてしまう。
 手の中のハーゲンダッツのカップがやわらかいことに気づいた。
 すっかり溶けてしまった。
「ダッツ、おかわり!」
 私が叫ぶと、赤也はダッシュでローソンに走る。
 深呼吸を繰り返してちょっと落ちついた私は、赤也が買って来た新しいハーゲンダッツを今度は溶けないうちに完食した。
 そうか、あの会議室での女テニの子たちの話は要するにこういうことだ。『 は赤也をつまみ食いしたらしい。で、今は他校の男とつきあってるらしい。やりたい放題だね』的な、ね。
 赤也はバカでガキだけど、まあ可愛いとこあるしいい奴だし二年だけどテニス部レギュラーだしで、結構一部の女子には人気なんだ。三年の先輩でも赤也を好きだっていう人がいるらしいとも聞く。
 つまり、その可愛い赤也ちゃんを食い散らかした女が私ってことになるわけで、話題としては面白さ抜群。で、私は、普段からちょっとクールぶってたりするとこもあるから、陰口なんか言われやすい。
 まだ『 は一年の時に赤也とつきあってたらしいよ』みたいな話だったらマシかもしれない。けどこれ、つきあってもいないのに赤也の童貞を食って、しかも今は他に彼氏がいるくせに、赤也を友達っぽくキープしてる、みたいな感じになるわけじゃん。
 陰口のターゲットとしては最高の設定だ。赤也好きの女子が、まるっと敵になるってわけか。
「どうしてくれんの!」
 頭の中で想像したそんな設定に、私は思わず爆発してしまった。
「いや、だからごめんって。ついノリで言っちまって。ま、うわさ話なんてすぐに皆忘れるってば」
「何のんきな事言ってんの! 女テニの子、チア部の子に悠樹のことを探り入れるみたいなこと言ってたよ! もー、いろいろ詮索されんの、嫌なの!」
 赤也は、手にしているガリガリくんの棒をばきんと折った。
「えっ、チア部に!」
 さっきから困ったようなへこんだ顔ばかりしてた赤也が急に真剣な顔になる。
 ちょっと意外だった。
「チア部、それはヤベぇ……」
 そしてそんな風につぶやくものだから、私は胸がざわりと騒ぐ。
「何!? まだ何かあるの!?」
 私は空になったアイスのカップを置いて、赤也のネクタイを引っ張る。
「ええ……ええと、うーん、言えねえ!」
 赤也は私に頭を揺さぶられながらも、かたくなにそう言うのだ。
 一体何!? この期におよんで、まだ何かあるわけ!? もう勘弁してほしい!

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2009.1.20

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