● 土曜の夜、君と帰る 2 --- こいつの命が惜しければ武器を捨てろ ●

「彼女、 さん。まだつきあってなかったんだ」
 校舎を出て、ゆるい北風の侵入を防ぐようにマフラーを巻きながら、精市はなんでもないように言う。俺はポケットの中の腕時計を見て時間を確認した。我々のお目当ての古書店のある街へ向かうバスの到着まで、しばらくある。
「ああ?」
「とりあえず部活も引退したし、そろそろつきあってるんだと思ってたよ」
 精市はまだその話をやめなかった。
「さあな。別に俺は急く方ではない」
 俺が言うと、清市はおかしそうにくくくと笑う。奴は俺のポーカーフェースになど慣れたものだ。まあ、こちらもそれは承知の上なのだが。
「柳はそうかもしれないね。でも女の子っていうのは、焦るし流されるものだよ。彼女、去年バレー部の男にチョコ上げたりしてただろ?」
 俺の表情を伺うようにして笑う精市に、しょうがないなというようにため息をついた。
「ああ、そういうことはしばしばあるようだな。いろいろな男に興味を持ってみたり」
「なんだい、ずいぶんと余裕じゃないか」
 今年の二月は、ずいぶん暖かい。
 俺はマフラーを外して鞄の中にしまった。
「人が誰かを思う気持ちというのは自由だ。まあ、無駄な抵抗だがな」
 俺がそう言うと、精市は一瞬驚いたように目を見開いてそしてまたあの笑顔。
「どっちを向いてみたところで、結局のところ彼女は柳に思いを寄せざるを得ないってことかい?」
 当たり前だろう、というようにうなずいてみせると精市はまた笑った。こいつにはこれくらいがちょうどいい。
 時計に目をやると同時に、目的地に向かうバスがやってくるのが見えた。
「自信家だね。その上に、結構な意地っ張りだ。自分から彼女に思いを告げたりしないのかい?」
「言っただろう、俺は別に急ぎはしない。それに、俺の気持ちというのは十分態度に出しているはず。伝わっていないというのなら、それまでだろう」
「へえ。参謀らしいといえば、参謀らしいね」
 精市はさらりと言うと、到着したバスに乗り込んだ。


***************


「幸村くんてさ」

 翌日、古書店で入手した本に集中していると、背後から声。振り返らずともわかる。 だ。
「ああ、精市がどうかしたか?」
「部活、引退してからちょっと印象変わったよね? 彼女でもできた?」
 本から顔を上げてゆっくりと振り返った。
「さあ、そういう話は聞いていないな」
「でも、すごくモテるでしょ?」
「そうだろうな」
「去年も、バレンタインにすっごく沢山チョコレートもらってて、そんでちゃんとお返しもしてたらしいって聞いた」
「そうか。まめな男だからな」
 俺は彼女の意図をはかるように、表情を見た。
 かといって、こういったことは珍しくない。
 俺が、いろいろなデータを集め持っていることを彼女は知っているから、いつもちょっと興味を持った男のことを俺に尋ねて来るようなことはたびたびだ。
 だから、俺は去年の彼女のバレンタインの事件のことも知っていたわけだが。
「全国大会の前までは、幸村くん、優しそうな顔はしてたけどやっぱりどこかぴりぴりしてたもんね。今は、だいぶやわらかくなった気がする」
「それに関しては俺も同感だ。一つの熱い試合というものは、人を大きく変える。あいつなりに思うところがあったのだろう」
 冷静に答えながらも俺は、 が思ったより精市をきちんと見ていたことが意外だった。
「ふうん。それにしてもさ、私、柳くんって何でもわかっちゃってるから、柳くんにかなう人っていないよなーって思ってたんだけど、幸村くんって、さらりと柳くんを『こいつ、結構単純なんだよ』なんて言っちゃってさ、なんかすごいなーって思った」
 そう言って は笑うのだ。
 俺は、それまで がほかの男の話をするときとは、少し違う気持ちになった。
 その気持ちが何なのか、分析するまでもないのだが。


**************


 精市と古書店に行った数日後、俺は教室に残って本を読み、そして はまた残って課題をやっていた。
 振り返らずとも、 がどこでどんなふうにつまづいているのかなど、俺には分かる。
 けれど、俺はすぐには手は出さない。
 彼女が自分でぎりぎりまでやって、もうだめだという頃、やっと目をやる。
 そして、彼女が助けを求めて来て、初めて手を出す。
 もちろん、助けを求めきれず途方に暮れてしまっていれば、俺とて手を出さざるを得ないのだが。
 恋しい女だから。
 コツコツコツコツとシャープペンシルで机をたたく音が早くなってきたら、降参の合図だ。
 俺はゆっくりと振り返った。
「どうした、なかなか進まないのか」
 言うと、彼女は不機嫌そうに顔を上げる。
「……ここ、どうしてもうまく行かない。公式は合ってるでしょ?」
「公式は合ってるが、展開の仕方が違う。ケアレスミスが多いな」
「あっ……そうか! もー、わかってんのになー!」
 彼女は悔しそうに、計算をしなおす。
は、答えは見えているのに遠回りをしてばかりだ」
「そりゃ柳くんは何でもわかってるから、言えるんだよ!」
 そんな彼女の様にふっと笑って、再び本に目を落とそうとすると教室の前の扉から精市が現れた。今日は、先日入手した本を交換しあう約束をしていたのだ。
「やあ、相変わらず仲良さそうだね」
 精市は本を手にして、教室に入って来た。
「あ、幸村くん。もー、別にそんなんじゃないんだよ。たまたま席が前後ろでさ」
「柳は勉強が得意だから、いろいろ教えてもらえて便利だろう?」
「でも、教え方が意地悪だからねー」
  は言って、笑う。
「精市、この前の本、お前が読みたいと言っていたやつだ」
 俺が風呂敷包みを差し出すと、精市はそれを受け取った。
「ありがとう。じゃあ、こっち、俺の分ね」
 精市が自分の持って来た本を俺に差し出してかがむと、 がふと顔を上げた。そして幸村の方にぐっと顔を近づけるので、俺は少々驚く。
「あ、ねえ、幸村くん」
「なに?」
「幸村くんって、なんかいい匂いがするね。シャンプーかな?」
 彼女が言うと、幸村は笑いながらポケットに手を入れた。
「ああ、これだよ」
 取り出したものは、生成りの布地の袋を細いリボンでしばった小さな袋だった。
「去年、家の庭で収穫したラベンダーをドライにしたものだよ。こうやって匂い袋みたいにしたのを、サシェっていうんだ。ラベンダーの香りにはリラックス効果があるからね、愛用してるんだ」
「へえ」
  は感心したように精市の手の中のその袋を見つめた。
 ほら、と手渡されたそれにそっと顔を近づけた の口元が、ふわっとほころぶ。
「そう、この匂い! すっごくいい匂いだね」
「ラベンダーにバラを少し混ぜてある。どっちも家の庭で育てたものだよ」
「へえええ、幸村くんの手作りなんだ。すごいね」
「よかったらあげるよ。俺は男だからポケットにしまってあるけど、 さんは女の子だから鞄なんかにぶらさげても可愛くていいんじゃない?」
 精市がちらりと目をやった の鞄には、梅の模様の匂い袋がぶらさがっていた。
「ええ、これ、もらっちゃっていいの?」
「いいよ。まだいくらでも作れるし」
「うわ、ありがとうー。幸村くんからこんなのもらっちゃったって皆に話したら、うらやましがられるよ、きっと! 今度、何かお礼するね!」
 妙にテンションの高い彼女の声を背に、俺は本を鞄にしまった。
「精市、そろそろ行くか。今日は赤也の練習を見てやる約束だったろう」
「ああ、そうだね。じゃ、 さん、また」
 俺は を振り返らずに教室を出た。



「精市、なかなかにご機嫌だな」
「そういう柳は、少々不機嫌だね?」
 楽しげに話す奴に対しても、俺はまったく表情は変えてはいないはずだった。こういうカマかけが、精市は上手いのだ。
「言っておくけど、 さんは嫌いなタイプじゃないよ、俺。ストレートにかわいらしくて健康的だ」
「別に、聞いてないだろう」
「もう一つ言っておくけど、当て馬みたいなのは好きじゃないからね。興味を持って近づいて来られたら、こっちも本気で迎え打つタイプだから、俺」
「そういうことも、別に聞いていない」
 俺は相変わらず表情ひとつ変えていないが、頭の中に思い浮かぶのは、なぜか西部劇のシーン。
 テンガロンハットをかぶってにやりと笑った精市が、ドレスを着た を後ろ手に縛ってこめかみに銃を当てているのだ。
 そしてその前で、保安官の姿をした俺が、銃を足下に置いて両手を上げている。
 そんなシーン。

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2009.2.14

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