● だいすき  ●

 もうすぐ夏休みだなーなんて思いながら、授業中、上の空の私は窓の外を眺めてた。
 だって、私が座ってる窓際の席からはちょうどグラウンドが見える。
 今日はそこでA組の男子がサッカーをやっているのだ。
 そして、キーパーとして大魔神のようにゴールを守っているのは、私の大好きな真田くん。
 凝視せずにおれようか。
 授業もそっちのけで、私は眼下の彼に見入っていた。
 ああ、これが授業中じゃなければ、愛用の双眼鏡を出して見入ることができるのに!
 遠目だから、真田くんがどんな怖い顔をしてゴールを守ってるのかは見えない。
 だけど、さっきから1本たりともシュートを許していないのだけは確認できる。
 さすが真田くん。かっこいい……。
 ずっと見ていたいけれど、ゲームはチームが交代になったようで真田くんはコートから出てしまった。
 あーあ、あのかっこいいキーパー姿もっと見たかったのに。
 そんな事を考えながら、私はこっそり携帯電話を取り出した。
 当然真田くんと番号の交換なんかしてないけど、私は柳くん香里菜ちゃん経由で真田くんの携帯の番号とメルアドは知ってる。
 もちろん、それを使おうなんて気はない。
 ただ、時々、自分の携帯に登録した
『真田弦一郎』
 という名前と、それに並ぶ彼の電話番号と携帯のアドレスを見てるだけで、ドキドキワクワクするのだ。
だって、この数字やアルファベットの羅列。
 不思議。
 これで、真田くんとつながることができるんだ。

 世界中のどこにいたって。
 どんなに離れていたって。

 なーんて言ってもね、こんな同じ学校にいたって、まともに話をするのも一苦労なんだけどさ。
 そんなことを思いながら、私は携帯のメール画面を開く。
 当然出しもしないけど、真田くんのアドレスを宛先にしたメール画面。
 なんだかすごいなー。
 ここで一発送信ボタンを押したら、私のメッセージが彼に届くんだ。
 そう思うだけで嬉しくて、じっと画面を見つめる。
 いつか、真田くんとメールをやりとりしたり、そんなことができるようになるといいなあ。
 私はじっとその本文もなにもない画面を、どきどきしながら見つめる。
 
 あなたのことを、お慕い申し上げています。
 

 そんな文章を打って、われながらおかしくて、当然すぐに消した。
 やっぱり真田くんが好きだな。
 そうやって字にすると、自分の中の気持ちがほかほかしてくる。
 けど、お慕い申し上げますなんて、真田くんにはぴったりだけど、私には柄じゃないよねー。

 真田くんのことがだいすきです
 

 うん、こんな感じだね。

! !」

 にやにやしてる私に、ついに先生の怒号がとんだ。
 やば! 調子にのってだらだらしすぎた!
 あわてて携帯を仕舞おうとして、んん? と私は再度画面を見た。

 送信完了

 私は、自分の心臓がびっくりするほどの激しく動き、さあっと顔が冷たくなったかと思うと額にばーっと汗がにじむのを感じた。
 そして、激しいめまい。

! さっきからおかしいと思ってたら、具合が悪いのか?」

 一転して心配そうになる先生の声。
 私は脳貧血になったような気分の悪さでしばらく声が出ない。

 さっきのメール、真田くんに送信された? いや、された! まちがいなく!
 なんってまた、ベタなミス! 
 もう真田くんの携帯に届いてる?
 まだこの立海の廊下あたりをさまよっているなら、なんとか途中で捕まえることができないだろうか。
 電話会社に電話して、なんとか電波を! 電波を止めてもらうことはできない!?
 とにかく最高潮に混乱した私はあらゆる考えを頭でめぐらしながら、顔面が蒼白なまま。

、とりあえず保健室へ行け。おい、保健委員、連れて行ってやってくれ」

 先生が言うので、私はゆっくりと立ち上がった。

「あ、いえ、あの一人で大丈夫です。授業中、迷惑をかけてはいけませんから……」

 私はつきそいを断って、とりあえずふらふらと教室を出た。
 壁を伝いながらゆっくりと歩く。
 どうしよう!
 どうしよう!
 私は真田くんを好きになってから、数々の危機に陥ってきたけれど、これほどのピンチは初めてだ。
 どうしよう。
 ふらふらしながらも、なんとか懸命に考えた。
 柳くんが言っていたことを思い出す。
 真田くんは携帯のメールは滅多に使わないって。それに、そんなにしょっちゅう携帯をいじる方じゃない。
 ということは、もしかしたら放課後まで私のメールを見られることはないかもしれない。
 なんとかして柳くんに協力してもらい、真田くんがあのメールを目にする前に消去してもらうようにする?
 いや、でも……。
 それには、私が乙女チックに真田くんのアドレスを入れたメール画面を見てムフムフしてたなんて白状しなければならない。今更、とは思うけど、どうもそれは恥ずかしい。
 真田くんに、かるーい感じで
『ごめん、間違いメール送っちゃったの、見ないで消して』
 って言う?
 いや、だめだ!
 だって、真田くんは私が真田くんのアドレスや番号を知ってるなんて、知らない。自分が教えてないのに知ってるなんて、なんかストーカーみたいじゃん!
 あ、真田くんは私のアドレスも何も知らないんだから、変な間違いメールって思ってくれるかな?
 だめだ!
 私はバカみたいに自分のフルネームまで添えてしまった!
 じゃあ、どうする?
 放課後、真田くんを尾行し、彼が携帯を手に持った瞬間に全力で襲いかかる自爆テロ?
 だめだ!
 あんな屈強な男の子にかなうわけがない。
 私の中では、世界の終焉が近づいているような、そんな絶望感。
 だって、これまでの人生、これだけのピンチにあったことがない。
 受験の時だって、これほど途方にくれたことはない。
 例えば、電話会社に爆破予告をして、今からすぐに日本中の携帯電話を全部回収するよう指示を出すっていうのはどうだろうか。
 いや、それではグローバルすぎる。
 もっと局地的にいこう。
 立海理事長に、立海大附属中学の爆破予告の電話をし、生徒を全員避難させる。そして、その隙に私が真田くんの鞄から携帯を探し出して、例のメールを消去!
 なんて、ついにはテロリスト的考えに至った時だった。
 私が通りかかったのは、3年A組の教室。
 真田くんのクラスだ。
 今は体育で誰もいない。
 私の心臓はドッドッと高鳴り、その音は静かな廊下に響き渡るほど。
 私はそうっと教室に入った。
 真田くんは今は体育の授業だ。
 当然携帯は置いて行っているはず。
 完璧に熟知している真田くんの席に、私はゆっくりと足を向けた。
 机の横には、体操着を出したりした後なのか鞄がそのまま置いてある。
 いつもよく見る、真田くんの大きめのショルダーバッグだ。
 あの中に携帯が入ってる?
 その側まで行って、鞄を見つめるけれど、当然私はどうにも躊躇してしまう。
 だって、やっぱり、ひとの鞄を勝手に見るなんて。
 だけど、これには世界の存亡がかかってる。
 私は不自然なくらいに激しく脈打つ心臓をおさえながら、震える手でその鞄の取手を持った。
 けれど!
 その鞄はびくとも動かないのだ!
 いや、正確に言うと床に張り付いたかのように重い! 一体何が入ってるの!?
 もしかして、爆弾!?
 ふとどきな動きをする私への罠!?
 一瞬そんなことを考え、私ははじかれたように真田くんの席から離れた。
 そして大きくため息をつく。
 ま、そんなわけないんだけど。
 やっぱりだめだ。
 真田くんの鞄を勝手に探るなんて、できないよ。
 よろよろとA組の教室を出て、そして廊下でまためまいがしてしゃがみ込んでしまった。
 涙が出て来る。
 もう、打つ手はない。
 世界は終わるんだ。
 ほんの少し前、真田くんが私のあげたタオルを使ってくれてるのを見て、そして真田くんと一緒に歩いてタオルの話なんかして。
 そんな、『もしかして、ちょっとは仲良くなれた?』なんて調子に乗ってたことが遠い昔に感じられる。
 私、なんでこんなバカみたいなことしちゃったんだろ。

 だいすきです。

 なんて。
 今の段階では誕生日にタオルをあげただけでも、あんなに目くじらを立てる真田くんだもの。好きですなんて言おうものなら、本当に世界は終焉を迎えてしまうにちがいない。
 少女漫画だったりしたら、あんなメールを間違って送ってしまったことがきっかけでラブラブに、なんて展開もあるかもしれないけど、真田くん相手じゃありえないよ。
 どうせ誰もいないしな、と私はしゃがみこんだままめそめそと泣いた。

!」

 聞き慣れた怒号。
 顔を上げると、なんと体操服の真田くんが立っていた。
 
 世界は終わる。

 私は目に涙を溜めたまま彼を見上げ、何も言うことができなかった。

、どうした。気分が悪いのか!」

 いつも通り厳しい顔だけど、さすがのこの私の様子に、真田くんは怒るというよりびっくりしたようで身を屈めてきた。
「あ、うん、授業中にちょっと気分悪くなって……保健室に行く途中だったんだけど」
「保健委員のつきそいはないのか!」
「一人で大丈夫って思ったから……」
「そんなに泣くほどに具合が悪いのなら、一人で大丈夫なわけないだろう! 少し、休んで行け」
 真田くんは私の腕をつかむと、教室に連れて入ってくれた。
 真田くんの手はものすごく大きくて熱くて力強くて、ていうか、真田くんに触れるのって初めて! もうびっくりしてしまう。
 彼は私を自分の席に座らせてくれた。
 真田くんの席!
 ひゃー。
 なんて思ってると、彼は隣の席に座った。
 そして、あのばかみたいに重たい鞄を軽々と持ち上げると中をさぐった。
 やばい!
 携帯を見られたら!
 私はまたドバーっと冷や汗が出るのを、ハンカチで拭った。
「さ、真田くん、体育の時間でしょ? どうしたの?」
 私はとっさにそんなことを尋ねる。どうか彼が携帯を見ませんように。
「ああ、先生の持っていたストップウォッチが壊れて、職員室の予備のも出払っているようなので、俺のものを持って行こうと思ってな。たしか、鞄に入れてあったはずだ」
 真田くんがこういう時にいちいち携帯をチェックするようなタイプには見えないけど、もし見られたらどうしよう! 
 だいすきです、なんて!
 今、この真田くんの鞄を強奪して走り去りたい!
 いや、私が強奪するのはこのクソ重たい鞄じゃなくていいの、携帯だけなんだけど。
 彼の携帯をどうやったら強奪できる!?

「真田くん!」

 私はひっくりかえりそうな声で叫んだ。
「うむ、なんだ?」
 彼は鞄を探索する手を止めて私を見た。
「あのね」
 なんだか、自分の口から出る自分の声が、他人のものみたい。声が震えているのがわかる。
「あの、真田くんの携帯の番号を教えてもらえないかな……」
 震える声で言うと、真田くんはちょっと驚いた顔で私を見る。
「……ああ、うむ、かまわんがちょっと待て。俺の番号、一応電話で確認をしよう」
 また、『どうしてだ!?』なんて怒鳴られるかと思っていたから、私はちょっとびっくりししまった。
 だけど、こうあっさりと事が進んだら次の手順に急がなくては!
「さ、真田くん! 私、今、メモとか持ってなくって、あの、よかったら真田くんの携帯で私の番号を発信したら履歴が残るから、そうしてもいい?」
 そう言って私は真田くんに向かって手を差し伸べた。
 一歩間違えれば世界が終焉を迎えてしまう諸刃の剣。
 私は賭けに出た。
「あ、ああそうか。俺は携帯の操作はあまり得意ではないからな、そうしてもらえると助かる」
 彼はそう言うと、鞄から携帯を取り出して私によこした。
 私は安堵のあまり、頭がくらくらするがなんとか持ちこたえる。
 真田くんの少々古いタイプの携帯電話の画面には『メール着信あり』の表示。
 私が携帯を手にしていると、彼は相変わらずストップウォッチを探索中。
 その隙に、私は自分が送ったメールを確認すると、消去した。
 それはもう完膚なきまでに!
 そして、彼の電話で私の番号を発信する。
「はい、ありがと」
 時限爆弾のタイマーを、あと1秒のところで解除して世界を救ったような気分になり、すっかり晴れ晴れした私は彼に携帯を返した。
「ああ」
 彼はそれを受け取って、画面を見た。
「……これがの番号か?」
「うん? そう」
 私が言うと、彼はなにやら画面を操作している。
 もしかして、登録してくれてるの!?
 ちょっと意外な気がしてびっくりしてると、彼と目が合った。
「……かかってきたときに、誰からかわからないと困るだろう」
 すると彼は眉間にしわをよせて言うのだ。
 私は世界を救う事に夢中ですっかり考えがとんでしまっていたけれど、今、私と真田くんは正当に携帯の番号の交換をした!?
 急に顔が熱くなってきた。
「あ、うん、そうだよねー」
 私がじっと見ていると、彼はなんだかやりづらそうに携帯のボタンを押している。
「……俺は手が大きいからな、どうも細かい操作がやりづらいのだ」
 言い訳をするように言う彼の手元を私はじっと見た。
 たしかに、古いストレート型の携帯は彼の手にはボタンがちょっと小さいかもしれない。
、下の名前はなんていうのだ?」
「え? あ、
 こういう字だよ、と机に指で書いてみせる。おお、ちゃんと名前まで入れてくれるのか。真田くん、律儀だなあ。
 なんて呑気にしてるけど、私はまだドキドキしたまま。
 だって、真田くんと携帯番号の交換だよ? こんなことできる日が来るとは思っても見なかった。
「あのさ、真田くん、メールアドレスも聞いていい?」
 そして、私はせっかくの機会だもの、と更なる勇気を出してみる。
「アドレス? うむ、かまわんが、俺はあんまり携帯のメールは使わんぞ」
 うん、知ってる。
 きっと、手が大きいから文字が打ちにくいんだよね?
 真田くんは、勝手にしろというようにまた携帯を私によこした。
 私は彼の目の前で新規メールを作り、私のアドレスを打ち込んだ。
「これで私の携帯に送ったらいいんだけど、せっかくだし、何かメッセージ入れて」
「なに? 別にメッセージなどなにもない。今ここで話しているではないか」
 真田くんは眉間にしわをよせたまま。
 既に世界を救い終えた私はすっかり気が大きくなってるのか、せっかくなんだから、なにか一言入れてよ、なんて言って彼に携帯を押し付ける。
 真田くんは、不機嫌そうにフンといいながら、ひとこと『常勝』と入れて送信ボタンを押した。
 送信完了。
 今頃、教室の私の携帯にはほかほかのメールが届いているんだ。
 うきうきしながら、彼の手元を見つめていると真田くんは携帯を鞄にしまい、そしてようやくストップウォッチを取り出した。
「で、気分はどうなのだ?」
 当然ながら、私はいつのまにかめまいも頭のくらくらする感じもなくなっていた。
 ドキドキ感だけは残ってるけど。
「あ、うん、なんかこうして休んでたらよくなった。このまま教室に戻れそう」
「ならん! 大事を取って保健室に行くべきであろう! グラウンドに出るついでだ、俺が一緒に行ってやる」
 えー、もう問題は解決したから、大丈夫なんだけど。
 ま、いいか。
 彼と連れ立って教室を出て廊下を歩くと、他のクラスではいつも通りの授業中。
 世界は終わってなんかいない。
 それどころか、新世紀の到来。
 だって、私、真田くんと携帯の番号とアドレス交換したんだよ!
「行っておくが、俺は夜は9時か10時には寝るから、それ以降は電話には出れんぞ」
 えっ、9時とか10時って、真田くん、小学生並み!? というか年寄り!?
 なんてびっくりするも、彼が一応そんな時間のことまで言ってくれることが意外。
 私、便宜上番号はきいたけど本当にかけたりはしないのに。畏れ多い。
 だけど、こう言われてしまったからには、一度くらいかけた方がいいだろうか。
 でも、きっと電話口で『何の用だ』なんて厳しく言われるんだろうなあ。
 真田くんに、一体いつどんな用事で電話しよう。
 考えてみれば、なかなかの難題。
 だけど、私の携帯に登録されている真田くんにつながあるあの数字の羅列。
 あれが、今度こそ本当につながったんだなって思うと嬉しくて嬉しくて、私はにやにやを押さえられないまま、真田くんの後ろを歩いた。
 真田くんは難しい男の子だけど、話すたびに好きになる。
 大きな背中にむかって声には出さずに、だいすき、と言ってみた。

(了)
「だいすき」

2008.9.21

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