● CORE  ●

「うわ、マジかよー」

 夏休み明けの席替えで、俺の開口一番。
 新しい席の位置は俺の好きな窓際、ちょっと後ろ。悪くない。
 ただ、隣の奴に少々問題があった。
 問題、っていうのは語弊があるかもしれない。
 なにしろ、その隣の奴っていうのはとびきりの美少女なのだから。

「あ、隣、丸井くんなんだ」
 
 隣のは、ふわっと笑って軽く頭を下げた。
 長いつやつやの柔らかそうな髪に、色白で肌理の細かい肌。大きい眼をふちどるまつ毛は長くて、スレンダーでいながら当然胸はでかい。雑誌の表紙を飾っていてもおかしくないくらいのルックスだ。
 そのと隣の席になるのがなんで問題かって?
 こいつはちょっと変わってる。
 は、クラスで隣の席になった男から告白されるとすぐにつきあうっていうことで有名。
 ただし、そいつがどんなに冴えないオタクっぽい奴でもだ。
 というか、むしろがいわゆるイケメンとつきあったところを見た事がない。
 おどおどとした自信なさそうな奴でもと隣の席になると、これまたってのがなかなか話しやすい奴なものだから、いろいろ話して親しくなって、そうするとやっぱり好きになるものだから、ダメ元で告白をする。そうすると、あっさりつきあっちまうわけだ、は。最初、周りの奴はびっくりしてたけどそういうの2年生の時から有名だったらしい。で、そうやってと付き合うようになった奴はどうなるかって? 隣の席でいるうちはラブラブで過ごす。で、また席替えをするだろ? もちろん、だからといってすぐにが相手を捨てるとかじゃない。席が離れた男は、が心変わりするんじゃないか気が気じゃなくてやきもきするし、次に隣の席になった 男は『今度は俺 かも』って期待を抱くもんだから、当然揉める。そこで、どういったことが起こるのか詳しくは俺も知らない。けど結果的に席替えをすると、いつのまにかは新しく隣の席になった男とつきあうことになってる。
 つまり、そういう奴ってこと。
 説明が長くなっちまったけど、そういう女子と隣になるって、ちょいと面倒だろぃ?
 席に着く時、仁王の前を通り過ぎると奴は俺を見てニヤリと笑った。こいつ、面白がってやがる。ちくしょーめ。

 で、俺はにチャレンジするのかって?
 当然、パス。
 面倒くさいことは極力避けるのが、丸井ブン太の信条。
 そうそう、ジャッカルの奴はみたいのがどストライクに好みらしくて、3年になった時『お前のクラスのあの子、めちゃくちゃ可愛いじゃねーか』なんて鼻息を荒くしてたけど、俺はすぐさま『ぜってーやめとけ!』って忠告したくらいだからな。俺は面倒事を嗅ぎ分ける嗅覚には自信があるんだ。
 
、今日は帰りどうする?」

 駆け寄って来て、俺の方をちらちら伺いながらに近寄るのは、の「彼氏」の高橋だ。つまり、前にの隣の席だった奴。

「ん? 部活終るの待ってるよ」
「あ、いいよ、俺、今日は部活休むから。授業終ったら、すぐに帰ろうぜ」
 うん、とは頷いてにこっと笑った。
 へえ。
 確かに、こんな目で嬉しそうに真正面から笑いかけられたら、イチコロなんだろうな。
 そんなことを思いながら、二人を見ていると高橋に睨まれた。
 高橋が新しい自分の席に戻った頃を見計らって、俺はに言う。
「あのさ、
「ん? なに、丸井くん」
「高橋に言っといてくんねー? 心配ご無用だって。俺、を奪う気はさらさらねーし」
 俺が言うと、は目を丸くして、そしてまた笑った。
 さっき、高橋に向けて笑ったのとはまた違う、なんていうんだろう、女友達と笑い合うみたいな笑顔。
 へえ。
 俺はまたちょっと驚いた。
 馴れ馴れしいわけでもないのに、ふと垣根が取れるような。
 恋人に媚びるような笑顔じゃないのに、妙に惹き込まれるような。
 やっぱりモテモテの美少女は違うな、というようなとびきりの笑顔なのだ。
「わかってる、ありがと。私と高橋くんは大丈夫よ」
 そして、また、へえと思う。
 俺は正直、こいつがどうして隣の席になった男のうちの一人とすぐにつきあうのかわかんねー。
 ただの気まぐれか、もてあそんでるだけなのかと思ってた。
 でも、こいつ、ほんとに高橋が好きなんだなっていうことが伝わる。
 別にそれが悪いってわけじゃないけど、やっぱり変わった奴だよなあ。

 と隣の席になった一日目はそうやって過ぎた。


 
 っていうのはそういう奴なので、今まで見かけては「へえ、やっぱり可愛いな」とか「胸、でけーな」くらいに思うことはあっても、積極的に観察をしたことはなかった。関わるのが面倒だからな。
 しかし、隣の席になると否応無しに様子がわかる。
 普通、これだけの美少女でモテモテだったりしたら、クラスの女子からは敬遠されるか一目置かれるかそんなところだろう。
 でもこいつは、なぜか付き合う男が隣の席になった冴えない男、みたいなことばかりなものだから決して女子から遠巻きにされることがない。むしろ、「ってばせっかく可愛いのに、どうしてあんな奴とつきあっちゃうの!」と周りから説教されるくらいだ。
 なんて言いつつも、女どもは自分の彼氏が席替えでの隣になると、当然他の奴と交代させるってのが暗黙のルールだけどな。
 つまりそういう事情もあって、の隣には彼女のいないモテない男が配置される確率が高いというわけだ。
 俺はというと、彼女もいねーし、特に交代させられることもないままなわけだけど。
 隣の席からを見ていると、新しい発見をした。
 こいつは、見た目が目立つということの他は、意外と普通の奴なのだ。
 ノートの隅に漫画キャラクターの落書きをしてたり、スマホの待ち受けは自分ちで飼ってるらしいブス顔の猫の写真だったり(そのブス猫の写真をぼーっと、たまにニヤニヤしながら眺めていたりする)。
「そういえばって、部活なにやってんの」
 ふと尋ねると、歴史研究会だという。
 普通っていうか、基本的には結構地味な奴なのかもしれない。
 きっとは、男から言いよられたりさえしなければ、静かな日々を送っていることなのだろう。
 というのは、俺がたまにと何気ない雑談をしていたりしても、こいつの彼氏の高橋がちょろちょろとやってきては俺を牽制し、勝手に火花を散らして行くのだ。
 俺はお前の彼女に手を出す気はないっつの。という光線を目から出しても、奴には通じないらしい。

「高橋の奴、記録に挑戦じゃな」

 昼休み、を引き連れて学食へ向かう高橋の後ろ姿を眺めながら、仁王がにやりと笑った。
「記録?」
「席替えの後のと、どのくらい保つかって話じゃ。今までは早ければ2〜3日、少なくとも1週間で別れて、は次に隣の席になった男に告白されとるじゃろ」
 そういえば席替えをして2週間ほどになる。
 仁王がニヤニヤしながら俺を見るので、俺はグリーンアップル味のフーセンガムを膨らませていたらパチンとはじけた。
「仁王、席を替わってやろうか?」
「はは、遠慮しとくナリ。俺が面倒事は嫌いなん知っとるじゃろ。ま、そのうちお前さんに他の男から席を替わってくれちゅうオファーがくるさ」
 高橋の記録もそれまでだ、なんて話していた。
 そう、確かにそうだ。
 それまでのことだ。
 俺がの隣の席にいるのも。

 そう考えると不思議な物で、滅多に近くで見る事のない美少女をこの機会に堪能しておくか、なんて気になる。
 よく手入れのされた極上の髪と肌、大きな目につんとした鼻、ふっくらとしたピンクの唇、魅力的な胸にすらりとした脚。
 文句なしの美少女は、何気なく話しかけて「ん?」と返事をする時の声や吐息、伏せていた眼を上げる瞬間なんかはどきっとするような雰囲気だった。それでいて、決して話しかけにくい印象ではなく、どんな取るに足らない話題がきっかけでも妙に話が盛り上がる楽しい奴だ。これは多分元々のこいつの性質で、どんな奴がどんな風に話しかけてもなんだか楽しい感じになるんだろうな。隣の席になった男がどんどん彼女を好きになるのも仕方がない。だって、普段あまり女子から相手にされないような地味で大人しい奴が、これだけの美少女と会話をしてそれなりに楽しく盛り上がったりしたら、まあ好きになるよな。で、告白をしたらオッケーをもらえるわけだから舞い上が るのも仕方がない。
 がそういう奴だってのは前から知ってたけど、やっぱり不思議だ。
 は、自分から誰かを好きになったりしないんだろうか。

「好きって言われたらすっごく嬉しくて、私も好きになっちゃうの」

 そういえば1学期の頃、が女友達とそう話しているのをちらりと聞いた事がある。
 そりゃ、そういうこともあるか。
 けど。
 隣の席からを見てると、やっぱり不思議だよなあ。
 きっとこいつに手に入らない恋なんてなさそうなのに。
 これだけ話しやすい気安い奴でも、何を考えているのかなんてわかんないもんだな。


 席替えをして3週間目になる頃の昼休みのことだ。
 高橋がの席に来ず、珍しい事もあるもんだな、なんて思いながら学食に向かおうとすると、校舎の中庭で高橋がクラスの男子たちと連れ立って歩いている姿が見えた。普段つるんでいるような仲間でもなく少々険悪な雰囲気で、俺は意外に思いながら2階の渡り廊下からそいつらを眺めていたんだ。
 ちょうどその時。
 同じく学食にでも行こうとしているのか、が一人で渡り廊下を歩いて来た。
 俺が立ち止まって外を見ていることに気づいたのか、彼女も足を止めた。
「あ、丸井くん。高橋くん見なかった?」
 そう聞いて来るものだから、俺はくいと中庭を指差した.
 中庭に目をやったは一瞬にして険しい表情になった。のそんな顔を見るのは初めてで、俺は雷でも落とされたような気がした。唇をぎゅっと結んで、眉根を寄せる。整った顔のやつがそんな風にすると、それだけで迫力だぜ。そんな表情に見入っていると、は何も言わずにその場から走り出した。普段、比較的おっとりしている彼女からすると、意表を突かれる行動だ。
 次の瞬間、俺も走り出しての後を追っていた。
 がどこへ向かっているのかは、わかっている。
 上履きのまま外へ走り出て、俺はの背後から肩をつかんだ。
「お前が行ってどうするよ」
「丸井くん!」
 は俺が後を追っていたことにはまったく気づいていなかったようで、飛び上がらんばかりに驚いていた。
 足を止めた彼女は、肩で息をしている。さして運動の得意そうではない彼女なりの、全力疾走だったのだろう。
「……高橋くんを、助けて」
 は呼吸が苦しくてそれ以上言えないのか、それとも言う必要がないと思っているのか、言いたくないのかはわからない。
 けど、俺にはそれだけで十分だった。
「まかせろぃ!」
 俺は高橋たちがいるらしい、中庭の奥の生け垣のあたりに向かう。この辺は植樹の陰になっていて、まあなにかとたむろするには格好の場所となっているのだ。
 案の定、高橋と他4人ほどのクラスの男子がそこにいた。

「高橋、お前、いつまでとつきあってんだよ」
「いいだろ、悪いか」
「よくねーよ。もう席替えも済んだんだ、替われっつの」
「さんざんいい思いしただろ、さっさと切れろよ。俺たち、これからくじ引きして、丸井と席替わってもらう奴を決めんだわ。丸井なら、別に女に不自由してねーしみたいなの興味ねーだろ」
「いやだよ、俺、まだあいつとやってねーんだ。もうちょっとだけ待ってくれよ」
「ばーか、お前がグズなだけだろ。しらねーよ、そんなの」
 一人の背の高い男が笑いながら高橋の襟元を掴み、高橋がヒッと声を上げる。
 俺はフーセンガムを思い切り膨らませ、わざとパチンと音をたててはじかせた。
 男の一人がその音で振り返り、ぎょっとした顔をする。

「俺は、席替わんないぜぃ」

 俺がそう言うと、その場の全員が俺の方を見た。
は俺とつきあう事になったんで、シクヨロ。そういう訳だ、高橋、お疲れさん。ガムでも食う?」
 ウィンクしながらガムを差し出すと、高橋も他の奴らも腑抜けたような顔になった。しばらく仲間内で、なにやらぶつぶつ言い合っていたが、一人二人とふらふらその場を離れて行った。
 最後に残った高橋も結局ガムは受け取らなかったが、俺を恨みがましそうな目で睨む。
「なんだよ、丸井は女にモテるだろ。あんな尻軽に手を出す必要ないじゃねーか。あいつ、お前とはもうやったのか?」
 シャツを整えながら言い捨てる高橋に、俺は飛びついて襟元を締め上げた。
 どうして俺はこんなに頭に血が上ってるんだ?
「あのな、高橋。はお前の事、本当に好きだったんだぜ」
 珍しく俺の声は低くドスがきいていて、高橋の奴びびって返事もできねーのかと思ったら、俺の締め上げた力が強すぎたらしい。ハッとして手を離すと、奴はしばらく咳込んでからその場を走り去って行った。
 軽くため息をついて、俺は新しいガムを口に放り込む。フレッシュでさわやかなグリーンアップルの香りが広がった。
 木陰から、がそっと覗いているのが見えた。俺と目が合うと、ゆっくり申し訳なさそうに近づいて来る。
「……ありがと、丸井くん」
、お前さ。知ってたんだろ。高橋や他の男たちが、お前の事あんな風に言ってるっての」
 は顔色も変えず、何も言わない。
「お前、あいつらが言ってる通りの奴なわけ? だから、言われても構わねーの? 違うっていうなら、言わせとくことないだろ」
 自分のことでもないのに、俺はなんだか腹が立ってきてしまったのだ。
「私、ずるいんだよね」
 は俺から1メートルくらい離れたところで立ったまま、そう言った。
「1年の時に、すごく好きな先輩がいたことがあった。小学校の時から塾が一緒の先輩でね、サッカー部のすっごく素敵な人でずっと好きだったの。中学に入ってすぐに好きですって告白したら、彼も私を好きって言ってくれて、うれしくて仕方なかった。けど、人気のある先輩だったから、私、3年生の女子からびっくりするくらい怒られちゃって。それに、彼と同じ3年生で私の事を好きだって言う人が他にいて、先輩、その人から殴られちゃったんだよね」
 安っぽい少女漫画みたいな話だな、なんて思いながら聞いていた。
「結局その先輩とはつきあうことはなかった。それ以来、男の子を好きになるのにはびくびくしちゃって。でも、クラスでたまたま隣の席になったような男の子と何気なく仲良くしてると、意外に平和でそれなりに楽しくて、ああこういう風だったら穏やかに過ごせるんだなーって。隣になって私を好きになってくれた男の子と私が大人しくつきあっていれば、他の女子からあれこれ言われることもないしね。ずるいよね。だから、そうやって私を好きになってくれた子を、私も一生懸命心から好きになったんだ。その子が私を好きな限りは、ずっとその子だけを見るように。その子ができるだけ楽しい気分で一緒にてくれるように」
「だから、あんな高橋みたいな奴でも助けようとしたのか?」
「……痛い目にあったりせず、元気でいてくれたら、それでいいの。だって、好きでつきあった男の子だもの」
 こいつの言ってることなんて、下らない漫画のネタにもならないようなことだ。
 それなのに、そんな安っぽい話をしているは、凛として雄々しい。自分自身と自分の男を全力で守り続けて来た
「……お前さ、男から惚れられて、ちやほやされるだろ? そういう時、なんて言われんの?」
「は?」
 俺の唐突な質問に、は首をかしげた。
「だからさ、そうだな……可愛いとか、美人とか、胸でけーなとか、以外で」
「えっ……? そ、それ以外はあんまり言われたことないけど……」
 の表情からは、さっきまでの凛とした雄々しさは消えていて、いつも隣の席にいるちょっとぼけーっとした感じの顔になっていた。
 俺はにやっと笑う。
「お前とつきあった奴ら、見る目ねーな。お前、確かにカワイイけど、雄々しくて男前だぜ。そういうの、誰も知らねーんだろぃ」
 はその大きな目を更に丸くして、俺をじっと見た。
 俺の胸の奥がジンジン痺れる。
 おいおい、これって、やべー。
 拳で胸をどんどん叩いてみたけれど、その胸の奥の甘い痺れは身体中に広がるばかり。
の伝説は、これで終わりだ」
 俺はぐいと前に出て、のすぐ近くい立った。
「え?」
「だから、学年一の美少女なのに、なぜか隣の席になった男とすぐに付き合っちまうの伝説さ。俺で最後だ」
 彼女はまだぽかんとした顔をしている。
「俺はお前が今まで付き合った誰よりもいい男だぜ。この丸井ブン太様に惚れてりゃ、間違いない。俺を好きになれよ」
 彼女の大きな目を、つよく射抜くつもりでじっと見た。
「俺はお前がやきもきしなくてもちゃんとお前を守るし、俺自身強いから、何があっても平気だ」
 Vサインをしてウィンクをしてみせた。
 生物の授業で見せられたDVDを思い出す。花のつぼみがふわーっと開花する映像、まさにあれ。
 目の前のの頬がカーッと赤くなって目がちょっと潤んで、まさに満開という瞬間、彼女の両手がその顔を覆った。
「……ごめん、びっくりしちゃって。丸井くんみたいにカッコいい男の子からそんなこと言われたの初めてで、どうしたらいいかわかんない……」
「マジかよ、お前、あんなに男をとっかえひっかえだったのに、そんなに恋愛貧乏なのか」
「恋愛貧乏なんてヘンな言い方しないでよ」
 顔を覆った手を無理矢理ひきはがして、その顔を覗き込んでやった。
「どうしたらいいかわかんないなら、とにかく俺について来な」
 がこくんとうなずくので、俺はほっと胸をなでおろした。
 これから仁王に「記録に挑戦か」なんてからかわれても、余裕でVサインを出してやる。
 仁王の事を思い出してから次に頭に浮かんだのは、褐色の肌の相棒。
 やっべ!
 俺がとつきあうんだって、あいつにどうやって打ち明けよう。
 グラマラスな色白美人が大好きな、俺の大事な相棒に。

2014.11.13

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