ブオーノ!ブオーノ!



 俺は泣き虫で、喧嘩の弱い牛で。
 昔からなかなかそれは変わらない。
 このところ、昔の自分がよく使う10年バズーカで10年前に呼び出される度、なんだかその時に垂らしていた鼻水の味まで甦ってくるようで、おかしくなってしまう。
 まったくしかたのないバカ牛だね、自分ときたら。
 でも、いいんだ、泣き虫のままで。
 泣き虫のままでいさせてくれた、若きボンゴレたちよありがとう。
 10年前に舞い戻るたび、俺は心でそう礼を言う。

 でも、泣き虫でまったくダメな自分に嫌気がさしていた頃もあった。
 あれは4〜5年前だったか。
 いつものように喧嘩に負けて、大声で泣いて、泣きながら一人川原を走っていたんだ。
 あちこち痛いし、弱い自分が情けない。そしてどうしても、涙が止まらない。
 走っていたら川原で転んだ。
 その頃の俺はどんどん背が伸びて、気に入りの牛のツナギを新調してもすぐに小さくなってしまっていた。これまたキツくなってきていたツナギが、転んだ時に見事に破れてしまった。
 転んだ痛みと、大きく裂けた脇のかぎ裂きで、俺の涙は止まらなかった。
 わあんわあんと声を出して泣き続けた。
 なんでこんなに、何でも上手くいかないんだろう。
 そしてなんでこんなに泣き虫なんだろう。
 背ばっかり大きくなって、中身はぜんぜん変わらない。
 泣きついでに、めちゃくちゃに手足を振り回して暴れた。
 その時、手に硬いものがひっかかった。
あっ、と思った時にはもう遅くて、俺の頭の右の角がぽーんと宙に浮いた。
そしてそれはしぶきを上げて、川に落ちた。
俺は鼻水を垂らしながらも、あわててざぶざぶと川に入る。
夏だけれどやはり水は冷たくて、そんなに深い川でもないのに自分の足は思うように動かなかった。川底を覗き込みながら進んでいると、腰の辺りくらいの深さになった時、大きな石につまずいて水の中で転んだ。
泣きすぎてしゃくりあげていた俺は、思い切り水を飲んでしまい、まるでおぼれたようにもがいた。
ああ、もう最低だ。一人前のボスになって、世界に君臨しようという男が、なんでこんな事になっているのだろう。咳き込み、もがきながら、また涙があふれてきた。わあわあと叫ぶ。
その時、水しぶきとは違うキラキラとしたものが目に入った。
そして俺の両脇が抱えられ、ぐいっと川の中で立ち上がらされた。
「どうしたの? 大丈夫?」
 キラキラとしたものはピンク色の石がついたネックレスで、声の主は俺よりも少し背の高い女の人だった。
「……俺の……角が……」
 俺はあいかわらず咳き込んだままで、まともにしゃべれない。彼女はざぶざぶとその辺りを歩くと体をかがめてから振り返った。
「これ?」
 その手には白い角が握られていた。
「……ありが……とう……」
 俺は彼女の顔を見上げる事もできず、まだ咳き込みながら礼を言った。

 川から上がると、彼女はずぶぬれになったワンピースの裾をぎゅうっと絞って座り込む。
 ようやく咳がおさまった俺も、ぶんぶんと頭を振って髪にしみこんだ水を飛ばし、そっと隣に座った。
「……ありがとう」
 俺はもう一度礼を言ってから角をもとの場所に収めると、丁度自分の目線のところにあるピンクの石のネックレスから顔を上げて彼女を見た。
 栗色の長い髪の、とても美しい人だった。
「いいのよ、大丈夫だった?」
 彼女はしぶきに濡れた髪をかきあげながら、笑って俺を見た。
 俺は何も言えず、小さくうなずくだけ。
「怪我、したの?」
 彼女は俺の傷を見て、少し心配そうに言う。
 俺は首を横に振った。
「違う、これは、喧嘩で負けただけだ」
 言ってから、しまった、と思う。
「それで泣いてたの?」
 俺は自分の顔がかあっと赤くなるのがわかった。そんな俺の様子を見て彼女も、しまった、という表情になり、俺は思わず立てていた両膝に顔を埋める。
 痛いし、情けないし、恥ずかしい。
「ごめんね、私もここでちょっと考え事してたから……きみが泣いてるの見えちゃったの」
 また涙があふれて、声は殺すけれど、大きく肩が揺れてしまって、泣いてるのは隠せないだろう。
 俺はしばらくそのまま泣いた。
 彼女はじっと座ったまま。
 どれだけ時間が経っただろう。
 今更声を殺すのもばかばかしくなって、ひっくひっくとしゃくりあげている俺に、彼女はようやく声をかけた。
「……ガム、食べる?」
 顔を上げると、彼女は俺にガムを一枚差し出した。
 俺は何も言わずに受取ると、口に入れた。
 ブルーベリーの甘い味。もぐもぐと噛んでいると、なぜだか不思議としゃくりあげていたのが収まってきた。
「……俺、一人前のマフィアにならなきゃいけないのに、泣き虫だし喧嘩に負けてばかりなんだ」
 俺は聞かれもしないのに、しゃべりだす。
「へえ」
 彼女は微笑んだまま、じっと俺を見た。俺はまたなんだか恥ずかしくなる。
「マフィアは泣き虫じゃいけないの?」
 彼女は俺を見ながら、不思議そうに言う。
「そりゃあ」
 俺はガムを噛みながら深呼吸をした。
「立派なボスは、泣き虫じゃダメだと思う。強くないとダメだ」
 俺がそう言うと、彼女もガムを噛みながら俺をじっと見て、また視線を川の方へ向けた。
 空は真っ青で、川の水面がキラキラとまぶしいくらいだった。
「……きみは、どんな時に泣くの?」
 彼女は川の流れを眺めながら、俺に尋ねた。
「どんな時って……」
 俺は濡れた髪をごしごしと擦りながら言った。
「痛かったり、つらかったり、くやしかったり、悲しかったり……そんな時だよ」
 俺の答えを聞くと、彼女は俺に顔を向けた。俺は自分の無様な格好も忘れて、彼女の穏やかな笑顔を吸い込まれるように見つめた。
「そんな時は誰だって泣きたくなるわ。違う?」
「……でも、えらいボスは誰も泣いたりしないよ」
「そんな事ないわ。みんな、そんな時、きっと心で泣いてるのよ」
「こころで?」
 俺が、よくわからない、というように彼女を見上げると彼女はクルクルと首のネックレスを指でもてあそんだ。それが、彼女の癖のようだった。
「……痛かったり、つらかったり、くやしかったり、悲しかったりしたら、誰でも泣きたいのよ。きみはきっと、そういう人の気持ちがすごくよくわかるから……泣き虫でも、心の強いボスになれると思うのよ。きっとね」
 ゆっくりと話す彼女を見ながら、その言葉の意味を考えた。
「……お姉さんもそういう時は泣きたくなる? 泣く?」
 俺がそう尋ねると、彼女はネックレスをもてあそぶのをやめて少し考え込むようにまた川面を見た。
「うん、泣きたくなる。泣くときもあるし、泣くのを我慢するときもあるかな……」
「どうやって泣きたいのを我慢するの?」
 彼女はまたしばらく黙って川面を見つめ続けると、首のネックレスを外した。指にひっかけて、くるくると振り回す。
 そして、それをぽーんと放り投げた。俺が声を上げる間もなく、それはキラキラと輝きながら川の水に落ちていった。
 俺があわてて立ち上がろうとすると、彼女はすっと手を伸ばして止める。
「こんなふうにしてね、我慢するかな」
 穏やかなままの彼女を見て俺は、あっと思った。
 なんだか彼女が、心で泣いているような気がしたからだ。
 そして、自分がその時に10年バズーカを持っていなかったのが口惜しくて仕方がなかった。
 彼女が川の水から助け起こしてくれたように、彼女をぎゅうと抱きしめたかったけれど、俺の腕も胸も、まだ彼女を包み込めるほど大きくない。
 俺が他人のために10年バズーカを使いたくなったのは、思えばそれが初めてだったかもしれない。
 どうしてそんな事をしてしまったのかわからないけれど、俺は気づいたら、彼女に口付けをしていた。
 彼女の柔らかい唇はブルーベリーよりも甘かった。
 唇を離して、俺は必死な顔で言っていたと思う。
「泣かないで……」
 彼女は驚いた顔で俺をしばらく見ると、ふふっと笑った。
「うん、ありがとう」
 彼女は笑いながらも、目の端からひとつぶ涙をこぼしていたのを覚えている。
 
 後で何度も何度も10年バズーカを持ってその川原に行ったけれど、彼女に会う事はなかった。
そして俺はその頃から牛のツナギを着るのをやめて、背はあいかわらずどんどん伸びていった。
 でもやっぱり、泣き虫で喧嘩の弱い牛で。
 それでも、多分あの時の彼女と同じくらいの歳になった今ならば、もっとしっかり彼女を包み込む事ができるだろう。彼女を泣かせたヤツなんて、吹き飛ばす事ができるだろう。
 そして彼女が言っていた事の意味も、わかるような気がする。
 だから、10年バズーカよ、いつかあの時の彼女に会わせてくれないか。
 あの時よりももっと甘い、とびきりのキスを彼女に贈りたい。

了(2007.2.26)




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