● Blue Valentine’s Day  ●

 神尾アキラと初めて話をしたのは、不動峰中学に入学して間もない頃。
 軽音部に入った私は、ベースを担当することになった。
 その日は自分の楽器を持ってきていなくて(お父さんのベースを借りて使うことになってた)、部室の備品のアコギをストラップでぶらさげていい調子でいたんだ、放課後。
 軽音部の部室は1階で校舎裏に面していて、すぐ外に出られるようになっている。校舎の影にいい感じにベンチがあるものだから、私はギターをいじりながらぶらぶら歩いてた。
 本当はリードギターをやってみたいなという気持ちもちょっとあったけど、同じ1年の子ですっごいギターと歌の上手い子がいたから、まあ仕方がない。それより、私がベースを借りて弾いてみたら先輩に「おっ、いいリズム感してんじゃん。正確なベースだな」って言われて、そのことがゴキゲンだった。
 私はベーシストで決まりだけど、まあ、ちょっとギターの弾き語りなんかにも憧れる。
 慣れないアコギを弾いて、お母さんがたまに弾いてる「ゆず」の曲をうろおぼえで唄った時だった。
 思い切り笑い声が聞こえた。
 あわててギター弾く手を止めて顔を上げると、そこにいたのがテニスバッグを背負った神尾アキラだったのだ。
「……悪ぃ悪ぃ。ギターは結構上手いじゃねーか、と思ったら、お前、音痴なのなー」
 くくくと笑いながら言うのだ。
 後ろの髪は思い切り短く刈り上げていて、それなのに前髪は長いというちょっと変わった髪型で、それまで聴いてただろう音楽プレイヤーのイヤホンを外して足をとめていたのだ。
 私は結構ノリノリで弾き語ってたものだから、思わずカーッと顔が熱くなる。
「うるさいなー、私、ほんとはベーシストだもん。今日は楽器持ってきてないから、部室のアコギで遊んでるだけだし!」
「そっか、ベースか。わりわり、お前、同じクラスだったよな?」
 俺、神尾、とさらりと自己紹介する彼は口は悪いけど不思議と嫌な感じではなくて、私も自分の名を伝えた。
「そっか、か。じゃあな、俺、テニス部なんだ」
 彼は笑顔で手を振って小走りで去っていった。
 中学に入学したばかりのころって、学生服を来た男子が妙に男っぽく見えて少しおっかなくて話しづらい気がしていたけれど、神尾は不思議と自然に話が出来た。
 スポーツドリンクを飲むみたいに、自然に染み込むような。
 そんな、印象。

 それ以来、教室で顔を合わせると、私と神尾は自然に音楽の話をする。神尾は音楽を聴くのがとても好きみたいで、CDを良く貸し借りするの。
 そういうことがとても楽しかったし、私は私で軽音部で1年女子で組んだバンドがなかなか調子よくて楽しく過ごしていたんだけど、神尾の部活の方はなかなかそうもいかないようだった。
 テニス部の話になると、少し表情が曇って、そしてテニス部の先輩ってのはどうもあまり評判が良くないんだっていうことはすぐに耳に入って来た。
 けれど、しばらくたってから転校してきた先輩のもとで、暴力沙汰なんかも乗り越えながら新しいテニス部を立ち上げて、見事に全国大会まで勝ち進んで行ったっていうのが、彼の中学1〜2年の間のストーリー。
 つまるところ、彼がそんな具合にあまりにもテニスに熱い青春を送っているものだから。
 いろいろな楽しい話やバカな話を交わす毎日の中、私はおくびにも出すことができなかったんだよね。
 私、神尾を好きかもっていうことを。
 そして、1年生の終わりがけの2月のバレンタインにチョコを贈ろうという時は、もう既に遅かった。
 だって。
 だって、彼は既に恋をしていたんだ。
 新テニス部を立ち上げた転校生、橘先輩の妹の橘杏ちゃんに。
 ほんと、神尾はずるいよね。
 神尾だったら、きっといつでもタイミングを見計らって告白できるからって、先延ばしにしてたら、いつのまにか勝手に恋しちゃうんだもの。
 

 そんな彼とは私は2年生になっても同じクラスで、あいかわらず教室では音楽の話をして、彼はたまに軽音部のイベントを見にきてくれたりするから、そんなことでも盛り上がったり。
 そして、この2年生になった2月、彼が考えていることはもう手に取るようにわかる。

「橘さんが卒業か、寂しいなあ。でも橘さんが卒業しても、俺たちの手で全国行くぜ、そして優勝するぜ。それにつけても、今年は杏ちゃんからチョコもらえるかなあ」

 私の言葉に、神尾はキッと目を吊り上げて顔を赤くした。
「最後のは余計だろ!」
「えっ、思ってないの?」
「……いや、思ってない、ことは、ないけどよ……」
 彼は長い前髪をかきまわして、唇をとがらせつぶやく。
 恋する男の子の顔だなあ。
 ついつい、ぷっと吹き出してしまい、うっせーな何笑ってんだよ、と神尾に椅子を蹴られる。
 笑ったり、調子に乗ったり、意地悪を言ったり、すねてみせたり。
 神尾が見せる、私やクラスの友達なんかの前でのそんな姿を、好きな女の子の前でしてみせたらきっとすぐに仲良くなれると思うんだけどな。
 アキラくん、なんて言って時々神尾に話しかける、彼の思い人の前では、こいつってば妙にガチガチになって必死で、普段のかっこよさの半分も発揮できてない感じだからね。
 だからといって、アドバイスをして応援する気はこれっぽっちもないけど。
「今年はさー、少なくとももらえることはもらえるんじゃない? 彼女から」
「もらえることはもらえるって、どういうことだよ」
「だからさ、去年はまだそんなに親しくなかったわけじゃん。でも、今年はこの夏の試合を共に乗り越えてきたっていう連帯感もあるから、彼女だったら少なくともテニス部のみんなにはチョコをくれると思うよ」
「……だよな、やっぱりそういうの、だよな」
 眉をハの字にして、目を閉じてはあっとため息をつく。
 彼が目を閉じている隙に、じっとその顔や頬杖をついている手を見た。
 睫毛は結構長くて、鼻筋が通ってる。頬を覆う指は長くて、きっとギター弾いたら様になるだろう。

 やっぱり好きだな。

「でもまあ、義理っぽいやつでももらえたら、こっちのもんだろ。いーんだよ、それでも!」
 自分で自分を納得させるためか、バンッと机を叩いて私を睨んだ。
「ああ、そうそう、一昨日、軽音部の前通ったら練習してんの聴こえたけどさ、お前、ベース上手くなったよな!」
「わかる? お父さんにも誉められて、実は今度ねベース買ってもらえることになったんだ! 今まではお父さんのお下がりだったけど!」
「まじかよ、スゲーな! ……お前のベースってきっちりしてて安定してっから、どのバンドでやっててもああが弾いてんなってわかるぜ」
「さすが神尾だね、違いの分かる男!」
 言ってやると、すぐにドヤ顔になる。
 こういうとこ、好き。
 でも、神尾は他の女の子が好きなんだよね。

 初めて、彼が好きだという橘杏ちゃんとすれちがった時。
 私は納得したもの。
 熱量の違いに。
 神尾は本当にテニスを好きで、そして同じテニスという熱の渦にいる彼女の熱量は確かに大きい。
 私とは楽しく音楽の話をするけれど、やっぱりチャンネルが違う。
 そんな気がした。


 今年のバレンタイン、どうしようか。
 去年のバレンタイン、実は神尾に渡そうとチョコレート味のパウンドケーキを作って学校に持っていっていた。
 けれど、やっぱり渡せないんだよね。
 神尾が欲しいのは、それじゃないってわかるから。
 結局そのケーキは、部室で皆で食べた。
 違和感ないでしょ、パウンドケーキくらいなら、友達同士で食べるのに。
 いかにも、最初から逃げ道を作っていた、当時の私。


、今年はチョコどうするの、何作るの。早く言っといてくれないと、お母さんだって材料買って来ないといけないんだから! 何食べたいのか、ちゃんと友達に聞いて来なさい」
 家では、ハナッから友チョコと決め付けてる母親がせっついてくる。
「えーと、えーと、ちょっと待ってて! 考えるから!」
 2年近い片思いは、母親の買い物の都合でせっつかれるのだ。



「おはよー」
 2月14日、朝学校に行くと、すでに神尾が席についていて、いつもよりゴキゲンな顔をしていた。なんとなく心のうちを察することができる。
「よっ、! 今日は天気いいな!」
 なんて、柄にもなく天気の話。
「朝練の時に、もうチョコもらったの?」
 私が言うと、彼はびくりとする。
「え、あ、いや、そうなんだけど、なんでわかんだよ!」
 わかるにきまってるじゃん。
 という一言は胸に仕舞って。
「……これな」
 見せろとも言っていないのに、神尾は嬉しそうにバッグから包みを取り出した。
「杏ちゃんが、テニス部のみんなに一人ずつくれたんだぜ」
 薄いピンクに小花模様の包み紙が、金色の「Sweet Valentine」というシールで止めてあり、リボンには見覚えのあるロゴ。
「……いいなー、そこのチョコ結構美味しいよ」
「まじか、楽しみじゃねーか……! 橘さんがここのチョコが好きらしくて。しかも橘さん家では今夜、橘さんがチョコケーキを焼いて家族で食べるらしいんだぜ! 明日、切り分けたのを持ってきてくれるって言ってた……!」
 お兄ちゃんの手作りチョコケーキを翌日にもらうのか、ビミョウだなあ……なんて思いながら彼を見ているけれど、神尾は大好きな橘兄妹からのチョコに感無量のようだった。
 こんなに喜んでいる神尾を見ると、バッグの奥底の私のチョコはやっぱり今年も出番はないみたい。
 教科書やなんかの奥におしつぶされそうな、私のチョコのつつみは、そのまま息を潜めて一日をすごす。


 放課後、ベースをぶらさげて練習がてらうろつくふりをして、私はチョコの包みを持って部室の外のベンチに座った。
 今年、作ったのはトリュフ。
 去年のパウンドケーキよりもう少し気合の入った感じの、ビターチョコとホワイトチョコの2色。ころころっとしてるのが、ちょっとテニスボールみたいでいいでしょう。
 ピンクの緩衝材にふわふわと鎮座させて箱に詰めた。
 お母さんには、なになに今年はまさかの本命チョコ? なんてからかわれたけど。
 結局、部室でひろげてみんなで食べようかどうしようか少し考えていた。
 もちろん、そうしないとこのチョコの行き場がないわけだけれど、どういうわけか今年のチョコたちは妙に愛しくて。
 だって、なんでもないようにしてこのチョコを食べてしまったら、私の恋が本当に終ってしまうような気がするのだ。
 かといって、神尾に渡すわけにはいかない。
 だって、そんな一方的に私の気持ちを押し付けるわけにはいかない。
 神尾がこんなチョコをもらって、困るのはわかるから。
 だって、神尾は真面目で優しい子だもの。
 チョコのつつみを、ぎゅっと握り締めた。
 ごめんね、私の恋たち。
私が不甲斐ないばかりに、お前たちはなかったことになってしまう。
涙がぽろりとこぼれた。

「うわっ、おい、どうしたんだよ!」

 突然の声に驚いて顔を上げると、神尾。
 1年のあの時と同じだ。
 私はあわてて涙を拭くけれど、神尾のあわてぶりからすると私が泣いてしまっていたのは見られたに違いない。
 この校舎裏のところは多分新テニス部のテニスコートへの近道だからか、普段はあまり人が通らないのに、神尾は時々通るんだ。
 私は眉間にしわをよせて彼をにらみつけた。

「……なんでもない」

 と、言うしかないよね、ほかに。
「なんかあったのかよ、バンドメンバーが決裂したとか……」
 神尾は言いながら、ちらりと私の隣に置いてある包みを見て、言葉が途切れた。
「……お前、もしかして、好きな奴にチョコ、渡せなかった、とか?」
 そして、心配そうに言うのだ。
 私は神尾の顔をじっと見上げた。
 ほんとに心配そうで、ちょっと困ったような顔。
「わり、ヘンな時に声かけちまって。え、けど、お前……大丈夫?」
 私は深呼吸をして、そしてまた神尾を見た。
 神尾は鈍いとか、そういうのじゃないの。
 強いけど、自意識過剰じゃなくて。人の言葉を真剣に聞いて、真に受けて。
 いつもなんだか適当に立ち回ってる私が、神尾を好きだなんて、そんな下心があるなんて、思いもしないんだよ。そういうまっすぐな子なんだよね。
「あのさー、神尾。ま、ちょっと座って」
 私が言うと、彼は神妙に隣に腰掛けた。
「ご明察のとおりだよ。……チョコ渡しそこねちゃってさ。でも、ちょっと気合入れてきたチョコだから、部員たちで食べちゃうのも照れくさくてさ。神尾、もらってくれる?」
「え? 俺、もらっちゃっていいの?」
 神尾は私から包みを受け取ると、さっさとラッピングを開けた。
 杏ちゃんのは開けずに大事そうにしまってたくせに!
「おっ、手作りじゃん。食っていい?」
 神尾は2色のトリュフをひとつずつつまんで、口に入れた。
「美味いじゃん! お前も食えば?」
「いや、私、昨日試食しまくったから」
「そっか、だよなー」
 なんていいながら、彼はもぐもぐと美味しそうにトリュフを食べる。
 くくっと私はおかしくなってしまった。
 だって、なんだかハッピー。
「あのさー、神尾」
「うん?」
「食べたからには、お返しちょうだいよね、ホワイトデー」
「……やっぱりそうきたか。ま、いいぜ」
「言っとくけど、手作りだから、ふつーのお返しに、ちょっとアドオンしてもらうから」
 私が言うと、彼はおおげさに顔をしかめてみせる。
「おいおい、何だよー」
「……新しいベース選びに行くの、つきあってよ」
 言うと、彼は明るく笑った。
「あっ、ベースな! いいぜいいぜ、楽器屋行ってみたかったんだ! いつでもつきあうぜ!」
 彼はそう言うと包みを丁寧にしまって、立ち上がった。
「じゃあな、ごちそうさま、美味かったぜ」
 あっけなく、おさまるところにおさまった、私のチョコたち。
 下心ってのも、悪くないよね。
 待ってなよ、神尾。
 きっと気づいた頃には、私の下心で包囲網だ。

2013.2.16 「Blue Valentine’s Day」

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