● 安全牌の男  ●

 俺はクラスの中でも「うるさい奴だ」と思われているだろう。
 もちろん、どちらかといえばポジティブな意味でさ。

「それでさ、俺がチャリで走ってたら、向こうから来たオバチャンの軽自動車が急に脱輪しちゃったわけよ。そしたらそのオバチャン、『お兄ちゃん力持ちそうだから押して』って言うんだ。マジかよーって思ったけど、試しに後ろをエイエイと押したら、それが上がっちゃって! オバチャンがお礼にってくれたのが、なんとモナカなワケ。『この労働の報酬がモナカかよー』って思いながら食ったんだけど、コレがまたバカウマでさー! 俺、モナカなんて馬鹿にしてたけど、あれ結構ウマいんだなあ!」
「アハハハ、桃城、なんだかんだ言って結局食ってんじゃん!」
 
 そんな感じで今日も俺はクラスの友達とバカ話をしている。
 男ってのはバカが好きだから、俺は友達も多いし、休み時間なんかもこうやって楽しく過ごしている。
 で、女の子はどうかっていうと。
 俺が最近覚えた言葉で言うと、俺は「安全牌」って奴のようだ。

 正月に家に遊びに来た従兄弟の兄ちゃんと、ゲームをしながら話した。
 俺は女の子と話すのは苦手じゃないし、女の子の友達も多いけど、ちょっといいなっていう子は、よく話もして「いい感じじゃないか」と思うと、たいてい他の男の事が好きで、そいつの事を俺に相談してくるようになるんだ。
 そうぼやくと、兄ちゃんは笑った。
「お前、それは安全牌って奴だな。そのキャラから脱するのは大変だぜ」
 兄ちゃんは正月早々、俺に嫌な宣告をして、お年玉もくれないまま帰りやがった。

 そんなわけで、俺の周りにはバカが好きな気の良い野郎と、そして楽しそうに俺の話を聞いてる女の子。俺の毎日はそんな感じだった。

「あ、ねえ桃ちゃん桃ちゃん、はい、これ、あげる」
 同じクラスの女子の村上が差し出してきたのは「ソイジョイ」のレーズンアーモンド味とアプリコット味。「カロリーメイト」には飽きてきた俺の、最近愛用の非常食だった。
「お、サンキュ。何だよ、急に」
「……大沢くんと映画行く事になったよ」
 彼女は嬉しそうに小さな声で俺に言った。
 大沢というのは俺と同じテニス部の二年で、彼女の思い人だ。
 村上はクラスでも割と仲の良い女子の一人で、話をしているうちに、よく大沢の事を聞かれるようになった。俺は結構察しが良いから、村上の事は最初の頃に、ほんのちょっと……本当にほんのちょっといいなって思っただけで、大沢との事の相談にのってやるようになったんだ。
 つまり、俺は万事がそんな感じ。
「へー、よかったじゃねーか」
 俺は心からそう言って笑うと、レーズンアーモンド味のソイジョイの袋を破ると二口でそれを腹に納めるのだった。
「もう食べちゃうの? 非常食の意味ないじゃん」
 そう笑うのは、
 彼女とは最近よく話すようになった。彼女は村上とも仲がよくて、そして俺と同じ環境美化委員になったから。はちょっと可愛い顔をしていて愛想も良いから、結構いいよなと言う奴が多くて、俺は同じ委員になったりよく話をしたりするもんだから度々うらやましがられる。
 けど俺は、彼女が可愛いだとかもより気になる事があって。
 あ、ほら、今!
 今、俺が座ってる席の隣の奴が、話の途中で用を思い出したのか席を立ったんだけど、皆で話をしてるその中、は話を聞いて笑いながらなんでもないように、そいつの座っていた椅子をすっと机の中に戻すんだ。人の邪魔にならないように。
 彼女の一瞬のこの動き、多分気づいたのは俺だけ。
 俺はガサツで大雑把なところはあるけれど、意外にいろいろあちこちを見てる方なんだ。実はテニスでもそうだけれど。
 俺は最近、のそういうところが特に目に付いて、どうも気になっていた。
 今、俺の食い意地のネタで盛り上がってるんだけど、は笑いながら後れ毛をふわりと耳にかけてうつむく。そして、かがんで足元に手をやった。
 そこにはさっき俺の食べたソイジョイの袋の小さな小さな切れ端が落ちていて、彼女はそれを手に持ち、しばらくまた皆で話をした後、立ち上がって自分の席に戻る前にゴミ箱に捨てた。
 俺は彼女に「あ、悪い」と言おうと思ったのに、なぜか言えず、そんな彼女の後姿をじっと見ていた。


「ねえ、桃城! 桃ちゃんてば! 今日、当番なの覚えてる?」
 俺が昼休みにカツサンド(もちろん食後のデザートとして)を食っていると、が話しかけてきた。俺はムグムグとカツを牛乳で流し込むと、返事をした。
「おう、美化委員のだろ? 覚えてるって。面倒だけど、しゃーねーよな」
「ほんと、面倒だよねえ。これで体育祭とかになったら、全部のゴミの片付けなんかも環境美化でやるんでしょ? もう最悪ー」
 彼女はぶーぶー言いながらも笑って俺の隣の椅子に座った。
 俺が冗談半分で、食う? と差し出した、俺のカツサンドの残りを、彼女は笑って「食う食う」と言ってたいらげた。その様子はちょっと意外で、そして可愛らしくて、俺はついじっと見つめてしまった。

 さて環境美化委員の当番ってのは、学内の教室以外のゴミ箱のゴミを集積所へ片付けるという仕事だ。これを、各クラスの委員がもちまわりでやる。
 あちこちを歩き回らないといけないから結構時間がかかって、面倒な仕事なのだ。
 俺たちはゴミ袋を乗せた台車を押して、学内を歩いた。
 実はとは、教室で大勢の中で話すのはしょっちゅうだけど、二人だけで話す事はめったにない。
 俺は柄にもなく若干緊張した。
 彼女と二人きりで話をするのに緊張するっていう事じゃない。
 こんな時に。
 女の子はたいがい、俺に、気になる男の事を聞いてきたり相談してきたりするのだ。
 俺はが好きになりそうだけれど、に好きな男や気になる男がいて、俺に相談するとしたら……。
 それはそれで仕方がないんだ。
 俺は男なんだから、そこでを悩ませるような事はしない。
 いつものように、一生懸命味方をしてやる。
 だけど、もし彼女にそんな奴がいないのなら。
 俺はこんどこそ、頑張ろうと思う。従兄弟の兄ちゃんの呪いの言葉を打ち消すべく!

「そうそう、びっくりしたよ。自動車を押して動かすって、ほんと、そんなのできちゃうの?」
 台車を押しながら、は思い出したように俺に尋ねてきた。
「まあ、軽自動車だし、エンジンが乗ってるのは前だからなあ」
「でも、絶対すごいって。桃ちゃんて、握力とかどれくらい?」
「俺? 右でだいたい60キロ近くはあるぜぇ〜」
 筋力なんかには自信のある俺は、自慢げに言った。
「マジでー? 私なんか20キロちょいだったよ。ちょっと、触らせて!」
 が目を丸くして言うから、俺はこれまた自慢げに、ポパイのように腕を曲げて力瘤を作って見せた。
 彼女は台車を押す手を止め、その腕を驚いた顔で見て、そして小さな手で力瘤をギュウギュウと押してきた。
「うわー、ほんと、すごいねえ。男の子ってすごいんだねえ」
 感心したように笑う彼女は本当に楽しそうで、俺もニカッと笑った。
「俺が、すごいの」
 そう言うと、彼女はおかしそうに声を上げて笑った。
 俺たちはゴミ箱を回り、ゴミの入った袋を縛っては台車にのせ、新しいゴミ袋を設置し、一旦集積所へ向かった。
 面倒だと思っていた作業は想像したより楽しくて、俺は正直なところ、毎週あってもいいと思う。もちろん、相手がだった場合という事だけど……。
 は歩きながら、時折足を止めては小さなゴミを拾い袋の隙間から入れ、崩れそうになるゴミ袋を支えた。
「……そういえば、当番を決める時の会議ってずっと前にが出てくれたんだよな」
 俺はふと思い出して彼女に言った。
「うん、そうだよ」
「もしかして……テニス部の練習のない日に組んでくれたりした? お前?」
「ええ? ああ、そうだねえ。桃ちゃんはテニス部だってその時聞いてたし、その方がいいだろうなって思って」
「……そっか、サンキュ」
 のこういうところ。
 時々、本当にぐっとくる。
 俺は、家で母親や妹に、「もう、お菓子の袋置きっぱなし! 牛乳出しっぱなし!」と小言をくらっては世話を焼かれたりしてて、もちろんそういうのは嫌いじゃなくてありがたい。
 でもみたいに、何も言わなくて、何もしてるように見せなくて、いつの間にか、誰かのために、何かをしている。
 そういうのはすごく新鮮で、暖かかった。
「でも、男子って何でも当番の時、テキトーにやったりサボったりする子多いから、桃ちゃんみたいにちゃんとやってくれる子と同じ委員になって、助かったよ、私」
 は嬉しそうに言った。
 おい、これ、いい感じなんじゃないか!
 俺は嬉しくなってきて、台車を押しながら走り出してしまった。
「ヨーシ、この調子でジャンジャンやっちまおうぜ!」
 があわてて走って追いかけてくるのを感じながら、台車のスピードが乗ってきた瞬間。
「うわ!」
 聞いたことのある叫び声と、衝撃。
 台車は何かにぶつかって、ゴミ袋があたりに散らばった。
「……ってめえ、そんなモン押して走ってんじゃねぇよ! タコ!」
 その怒鳴り声は、海堂だった。
 奴は制服を着て鞄を持ったまま、尻もちをついて俺を睨みつけていた。
「てめぇこそ、ボーッと歩いてるんじゃねぇ! このマムシが!」
 俺は売り言葉に買い言葉で、いつものように怒鳴り返した。
「ああん? やんのか、コラー!」
 俺たちが襟首をつかみ合いながら、額をこすりあわせんばかりにしていると、がさがさと音がする。
「びっくりした。怪我はない? 海堂くん?」
 はつかみ合う俺たちを少々驚きながら見ているけれど、冷静にゴミ袋を拾っては台車に乗せていた。
「……ああ、怪我はしてねぇケド……」
 海堂は俺を睨んで、チッと舌打ちをするとゴミ袋をひとつ、台車にのせる。
 そして、新しいゴミ袋を広げると、破けて少しゴミのはみ出たゴミ袋をそれに入れなおした。
「桃城、ボーッとしてねぇで片付けろよ!」
「てめぇに言われなくても、わあってらあ!」
 俺も怒鳴って、がさがさとゴミ袋を積み上げる。
「……桃ちゃんと海堂くんて、仲が悪いのか良いのかわかんないねぇ」
 は立ち上がって笑うと、そう言った。
「良くねぇよ!」
 そう怒鳴るのは、俺と海堂、同時だった。

*****

 翌日早目に教室に行っていた俺は、MDを聴きながらの事を考えていた。
 うん、は、やっぱりいいな。
 にぎやかでよくしゃべるんだけど、肝心のところでワーワー騒がないでいつも落ち着いてる。きっと、いろんな事、いろんな奴の事、ちゃんと見てるんだ。
 自分がちょっとした事に気遣うことを、人に気づかれないようにやる。
 の良いところはそういうとこで……クラスの奴、がカワイイなんて言ってるけど、のそういう本当に良いトコが分かってる奴なんかいない。
 そう、俺くらいのモンだよ、きっと。
 なんて考えてたら、が教室に入ってきたので、俺はMDプレイヤーのイヤホンを外した。
「よお、昨日はお疲れ」
「あ、おはよう。当番、結構大変だったねえ。ま、これでしばらくゴミ回収はないけど」
「あと何があるんだっけ?」
「ええとね、ワックスがけの時は、ワックスを配らないといけないよ、確か。めんどくさいよねえ」
 が眉をひそめて言うと、俺もまったくというように声を上げるけど、とまた作業があるなら、ぜんぜん悪くないなと内心思う。
「でも、ほんと、桃ちゃんと海堂くんて……」
 は思い出し笑いをしながら言う。
「面白いね。海堂くん、隣のクラスだっけ? 海堂くんてぶっきらぼうで声なんかほとんど聞いたことなかったから、桃ちゃんとだとあんな風になるんだーって、すごく意外で笑っちゃった」
「口を開いたと思うと、あれだろ? まったくしょうがない奴だよ」
「でも、なんだかんだいってゴミ片付けるの手伝ってくれたじゃん。結構いい奴だよね」
「ああいう奴が、ちょっとたまに良い事すると、いい奴って言われてトクだよなあ!」
 俺は冗談めかして言いながらも、ちょっと……ちょっとだけ嫌な予感がしていた。

*****

 環境美化委員の仕事を二人でこなしてから、俺はと二人で話す機会が増えた。そう、皆と一緒にっていうんじゃなくて、二人でだ。といっても、購買や学食に二人で行ったり、そういったなんて事ない用事のついでにだけど。
 それでも俺は嬉しかった。
 嬉しいんだけど……どうしてもひっかかるのは、あれ以来二人で話す時、彼女の持ち出す話題には、海堂の事が多いという事だ。
 海堂についての話に俺がノッていろいろ言うと彼女はとても楽しそうに笑うから、俺もついついいろいろ話しちまうんだけど、これは、うまくない感じだった。
 そう、こういう事、前にもあった。
 にとっても、俺は安全牌の男なんだろうか。
 俺はまるで胸に大きな鉛球でも抱えた気分になる。
 そんな気分で朝の部活を終えた俺が廊下を歩いていると、背中をポンとたたかれる。
「おはよ、どうしたの? 珍しくうつむいちゃって」
 の声だった。
 俺に追いつくために走ってやってきたのか、軽く肩をはずませている。
「ああん? お前とちがって、朝練でたっぷり運動した後だからなー」
 俺はあわてて笑顔を作って言う。
 教室の近くにさしかかると、既に先に教室に戻って来ていたらしい海堂が廊下に出てきていた。
「お……」
 俺が何かを言いかけると、それより先にが口を開いた。
「おはよう、海堂くん」
 いつもの笑顔で彼女がそう言うと、俺を睨みかけていた海堂が、不意を突かれたような顔をして彼女を見る。
「あ……ああ、おはよう」
 奴は、もごもごと答えた。
 奴の教室を通り過ぎて、俺たちのクラスに入るとはおかしそうに笑って言った。
「私、海堂くんてほとんどしゃべった事ないのに、桃ちゃんから話を聞いてると、まるでよく知ってる人みたいに思っちゃって、なんかすごく普通に挨拶しちゃった。多分、海堂くんちょっと驚いたよねぇ。でも、いいよね、海堂くんて。きっと女の子からも人気あるんだろうね」
 俺は胸の中の鉛球がずしんと重くなるのを感じる。
 そう、こんな感じだ。
 いつも、俺が仲良くなってちょっといいなと思う女の子が、俺に他の男の事を聞いて来る時っていうのは。
 そうなると、俺は、その子の事を好きになるのをすうっと諦めるんだ。
 でも今回は。
 それはどうも無理らしい。
 俺は男らしく引く事もできないし、が海堂の事を好きになってゆくのを手伝う事もできない。
 俺は安全牌じゃないんだよ、
 思いっきり当り牌でしかもドラで場の風で、危険牌なんだ。
 俺は少々混乱した頭で、を見た。
 彼女は足を止めて、不思議そうに俺を見る。
「あのさ、
 俺はゆっくり口を開いた。
「もしかしたらは海堂の事が気になってるのかもしれなくて、確かに海堂は、まあ、いい奴だ。いつも女の子は俺に、自分の気になる男の事を聞いてきたりするから……そんな時、俺はたいていの場合、なるべく協力してやろうと思うけど……。でもやっぱり俺も、自分の好きなコが他の男の話ばかりするのは、辛いんだ。だから、大人気なくて悪ぃんだけど……俺に、海堂の話すんのは……やめてくんねぇか。俺も男だし、安全牌じゃねぇんだよ」
 俺は汗のにじんだ手のひらを、上着にこすりつけながらそう言った。
 顔が熱くなって、脂汗が流れるのがわかる。
 俺は何を言ってるんだろう。
 は俺をじっと見ていた。俺は今の自分がものすごく格好悪い事はわかるけど、目をそらすわけにもいかず、まるで死刑宣告でも待つみたいに、じっとの言葉を待っていた。

「ロン!」

 まだ人気のない教室に、彼女の声が響いた。
「……は……?」
 俺は間抜けな顔で、彼女を見た。
「安全牌じゃないなら、当たり牌じゃん」
 は恥ずかしそうに俺を指さしながら、笑って言う。丁度、俺がダンクスマッシュをキメた時みたいにだ。
「……桃ちゃん、きっと今まで損してたんじゃないかな。女の子が……桃ちゃんに、他の男の子の話をするのってね、きっと……」
 は一瞬うつむいて、床に落ちている画鋲を拾い、掲示板にぎゅっと刺した。
「桃ちゃんといろいろ話したいけど、二人になると何を話したら良いかわかんなくて、でも桃ちゃんの友達の話になると、桃ちゃんがすごく生き生きと楽しそうになるから嬉しくて楽しくて、そんな話をするんだと思う。私は……」
 軽く握った拳をそっと自分の胸にあてて、は俺を見上げる。
「いつか桃ちゃんと、もっとテニスの話やいろんな話ができたらいいなあって思うけど、海堂くんの話をする桃ちゃんはすごく好きだなあ」
 例えば国語の文章問題だったら。
『私は』と『桃ちゃん』と『好き』に、下線を引いていいだろうか。
 俺は汗でじっとりとした手で、まだカッカと熱い顔を覆った。
「クソッ……あいつの話なんか、いくらでもしてやるよ、チクショー!」
 今日部活に行ったら涼しい顔で、『サンキュー、マムシ』と言ってやろう。
 あいつはきっと、わけのわからない顔をするだろうな。
 俺はそんな事を考えるとおかしくて、熱い顔のまま、クククとに向かって笑った。


(了)

2007.4.22

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