夏の尻尾



 今年の9月は蒸し暑くていつまでも夏の名残を引きずり、俺の身体の中にはまだあの夏の空が広がっている。まるで長い長い夏の尻尾に絡まれているみたいだ。
 つまり、いつまでたっても夏休み気分ってワケなんだけど。
 そんなさっぱり勉強には身の入らない頭だが、昼休みの放送が流れると突然シャッキリしてしまうのだ。弁当を食う手を止めて、深呼吸をして、目を閉じて集中する。
 昼休みの校内放送で流れる声の主は、俺のとても好きな女の人だから。

 弁当を食い終わると、俺は学食に走る。
 放送の当番を終えた彼女は、いつも校内放送の後学食に現れるのを、俺は知っていた。

先輩!」

 トレイを持って並んでいる彼女の傍に、俺は購買で買ったデザートを振り回しながら駆け寄った。

「ん、赤也くん」

 彼女は振り返ってふわりと笑う。
 わーわーと彼女の周りで騒ぐ俺を上手くあしらいながら、彼女はトレイに定食を並べてテーブルに着いた。
 春先、チアリーダーの先輩の友達である彼女に恋をしてから、俺は彼女への好意を隠さず接してきた。
 俺が彼女を好きだと、彼女は知っている。

「今日の校内放送の曲、なんかキョーレツでしたねぇ」
「ん、あれね。軽音部の子にかけてくれって頼まれたの。やっぱり、ちょっとお昼のご飯時にスラッシュ・メタルはいまいちだったねぇ」
 先輩は笑って味噌汁をすすった。
 こうやって俺が彼女の来る頃を見計らって学食に来ては、傍でなんやかんやまとわりつくのを、彼女は拒否しない。
 この小柄で可愛らしい年上の人は、俺を傍にいさせてくれるのだけれど、どういうわけだか俺はそれ以上に彼女に近づく事ができないでいる。
 小さな口でゆっくりと食事をする彼女を、俺は毎回うっとりと眺めていた。
「……今日の日替わりは鳥のカラアゲ定食っスかあ……」
 俺がトレイを見つめながら呟くと、彼女はいつものようにおかしそうにくすりと笑う。
「ん、鳥のカラアゲって、いっつもすごく量多いよねぇ。赤也くん、食べる?」
 彼女が箸で持ち上げたカラアゲに、俺は待ってましたとばかりにぱくりと食いついた。
 旨そうにもぐもぐとほおばる俺を、先輩は楽しそうに見るのだった。
 ほら、ちょっとまるで恋人同士みたいだろう? こんなの。
 でも、違うんだ。
 彼女は、がっついたヒナ鳥にご飯を与える親鳥みたいな気持ちなのだと思う。
 最初に会った時から、俺はバカなガキみたいにしていたからね。
 彼女が定食を食べ終えると(勿論、一部は俺が平らげるわけだが)、俺は買ってきたデザートをテーブルに出して彼女に選ばせる。
 今日は彼女はコーヒーゼリーを選んだ。
 じゃあ、俺は残った方のなめらかプリン。
 いつものように俺がバカな話をしながらデザートを食って、そしてまたわざとらしく彼女の方のデザートをうらやましそうに見たりすると、しょうがないなというように笑った彼女はコーヒーゼリーをスプーンですくって俺の前に差し出してくれるのだ。
「ん、食べてみる?」
 俺は何も言わずに、ぱくりとそれを一口で。
 俺と彼女の、最高に甘い遊び。
 勿論、本当は俺は彼女の前でバカなヒナ鳥でいたいわけじゃなくて、男でいたいんだ。
 でも、俺が彼女の前で男になったら、彼女はもうこんな遊びにつきあってくれなくなるんじゃないか。
 そう思うと怖くて、俺はずっとバカなヒナ鳥のふりを続けていた。
 今日までは。

 プリンを食い終わった俺は、ちょっと背筋を伸ばした。
 先輩は口元をナプキンでぬぐいながら、居住まいを正した俺を見る。

「あの、俺、今日誕生日なんスよ」

 俺は真面目な顔で、ゆっくりはっきりと言った。
 彼女は目を丸くして、そしてへえ、という顔で俺を改めて見つめた。

「そうなんだ、知らなかった。おめでとう!」

 そしてありきたりなレスポンス。

「だから、あの、誕生日祝いに俺にキスして下さいよ」

 真顔で言う俺に、彼女はいつものようにくすっと笑った。
「ん? バカねえ、ダメよそんなの」
 うん、わかってたわかってた。これはほんのジャブ攻撃だ。俺は頭を掻いてへへへと笑う。
「ま、キスはおいといてですねぇ。先輩、わかってますか? 俺、14歳になったんスよ。先輩の誕生日っていつですか?」
 俺はテーブルに身を乗り出して尋ねた。
「私? 私は3月だけど……」
 実はそれは調査済みで知っていた。
「だったら先輩もまだ14歳でしょ。だから今日から3月まで、俺と先輩は同い年なんスよ。もう年下じゃないス」
 俺が鬼の首を取ったように言うと、それでも先輩は変わらぬ表情。
「そりゃそうだけど、学年違いだから、やっぱり年下は年下ねえ」
「でもね、先輩!」
 俺はバン!とテーブルを叩いて更に身を乗り出した。
「例えば、俺と先輩が70歳になったとしますよ。70にもなって学年がどうとか言いますか? 70歳は70歳同士でショ? 14歳同士だって14歳同士っスよ!」
 力強く言うと、先輩はちょっと感心したように俺をじっと見る。
「……ん、そうねえ。確かに……そうかもねぇ。赤也くんの割には結構なるほどって感じの事言うじゃない」
「ね? バカじゃないスって言ったでしょ?」
「ん、じゃまあ同い年って事でいいけど」
 彼女は時計を見ると、プリンとゼリーの空き容器をトレイに載せて片付けようとしていた。
「あっ、だからですねぇ!」
 俺は慌てて続ける。
「だから、3月になるまで……先輩が15になるまでは、もう俺をガキ扱いしないで下さい」
 俺が大声で言うと、先輩は片付けの手を止めて、ちょっと驚いた顔で俺を見つめた。
 いつものようにフワフワと俺をからかうような表情じゃなくて。
「……いいけど、具体的にどうしたらいいのかなァ」
 これまた真剣な顔で尋ねてくる彼女に、俺もちょっとどうしたらいいかわからなくて、言葉を探した。
「ええとええと、そうスね、あの……じゃあ俺、先輩の事、サンて呼びます。同い年の間は」
 とっさに言った俺の言葉に、彼女は一瞬黙ったけれど、すぐにくすぐったそうに笑った。
「ん、いいけど。同い年ねぇ……じゃあ、コドモにするみたいに、ゼリーやヨーグルトを食べさせてあげるなんてのも、しばらくはナシね」
 トレイを持って立ち上がる彼女を、俺は慌てて飛び上がって追いかけた。
「いや、あれはアリでいいっスよ!!」
「だって、コドモ扱いナシなんでしょ」
「それはそれ、あれはあれっス!」
「調子いいなあ」
 笑ってトレイを下膳しに行く彼女を、俺は必死でわーわー言いながら追いかけるのだった。
 くそ、見てろよ、3月まで半年近くあるんだ。その間、俺はガキじゃなくて男なんだから。ワガママで短気な俺だけど、その間に精一杯大人の男になってやるからな。
 3月になればまた彼女は年上になってしまうけれど、こうやって半年たてば彼女に追いつく。
 未だ夏の尻尾に絡まれたままの俺は、誕生日を迎えてやっと彼女の尻尾につかまる事ができた。
 夏は確実に去って行くけれど、俺はサンの尻尾だけは死んでも離さねー。

(了)
「夏の尻尾」
2007 9.25 切原赤也 誕生日記念




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