見渡す限りの真っ赤な大地。
世界最古と言われるナミビアの砂漠で、二人の男は背中合わせにぴったりと縛り付けられたまま熱風に吹かれていた。

「まったくあんなヘマをして、お前とこんな腐れたプレイをさせられるとは思いもしなかったぜ」

 次元大介は自分の背後の男に吐いて捨てるように言う。

「脱出用の車がダートでパンクたぁ参った。ま、こんなこともあらぁな」

 砂漠の赤に負けないくらいにあでやかなスーツの男、ルパン三世は普段と変わらぬ調子で言った。
 二人はナミビアの古い鉱山主・フレイタス氏の屋敷からごっそりダイヤを頂いて逃げるところだった。
ダイヤの聖地ナミビアにおける氏のコレクションは素晴らしく、それをまるっとかっさらった後ナミビア第二の都市スワコプムントで五右衛門・不二子と落ち合う予定だったのだ。
 しかし前述のような失態でフレイタスの用心棒にとっつかまり、二人でこうして砂漠に放置をくらったというわけだ。

「馬ッ鹿野郎、こんなトコまず人も車も通りゃしねえ!カラッカラに乾いて死ぬまで秒読みなんだぜ!」

 次元は思わず怒鳴った。
ルパンの呑気さは時に頼もしいが、時には腹立たしくて仕方ない。

「うーるへー!!」

 ルパンも怒鳴りだす。

「このクソ暑いのにガタガタ騒ぐんじゃねえ!
だいたいなァ、俺のこの汗ばんだ首筋にお前ぇのミョーに長い後ろ髪がベタッベタまとわりついて気色悪ぃったらありゃしねえんだよ!」

「なんだとォ!?言っとくがなァ、お前ぇがそうやって振り返ってしゃべるたんびに、そのサルみてぇなモミアゲが俺の耳にジョリジョリ当たってこの暑さの中、鳥肌が立って仕方がねえんだ!」

 二人は怒鳴り合ってから数秒、同時にため息をついた。

「ま、こうやっててもしょうがねえ。とりあえず日陰のあるところまで行こうぜ」

 ほッと息を合わせて立ち上がり、背中も腕もびっちりと背中合わせに拘束されたまま、蟹のように歩き出した。

 ああ、本当に最悪だ。今回の仕事の提案は誰だっけ、ああ不二子だ。まったくロクなことになりゃしねえ。ま、確かに良いターゲットだと乗っちまった自分も軽率だったな。
 次元大介はそんなことを考えながら、ゆっくりと無様に蟹歩きを続けていた。

 が。

 ハタと足を止める。

「おいっ、急に止まるなってば!」

 背後でルパンが機嫌悪そうに叫ぶ。

 次元の足を止めたのは、砂漠に現れた天使。
 スピリット・オブ・エクスタシーだった。

 ぎゃーぎゃーわめくルパンを尻目に立ち止まっている次元の目の前には、ネイビーブルーのロールスロイス・ファンタム。
 ボンネットの先端で翼を開く、ロールスのトレードマークの女神フライングレディ、別名スピリット・オブ・エクスタシーは彼の前でその羽を休めた。

 運転席には、極めて機嫌悪そうな美女。
 彼女は運転席のドアを開けると長くて美しい足だけを外に出し、無様な二人の男をちらりと見た。正確には彼女の方に面している次元の側を。
 サーモンピンクのワンピースの裾が、砂埃の混じった風になびく。

「あんた…、何をやってるんだ?」

 世界最古の砂漠の真中で、世界最高級の車。
 そして女。

 自分の状況も省みず、思わず尋ねてしまった。
 女はため息をついた。

「そっちこそ、何をやってるの?」

 彼女の当然の質問に次元が何かを言いかけると彼の足が宙に浮く。
 くるりとルパンが女の方を向いて次元を背負ったまま走り寄った。

「いやー、ちょっとこういうプレイって興奮するかなーなんて相棒と試してたんだけっども、もう小一時間で飽きちゃってねェ。これ、なんとか外してくんねぇかなあ」

 オクターブの上がった声でルパンがまくしたてる。
 ルパンに背負われながら次元はため息をついた。
 次元からは女の様子は見えないけれど、どんな表情で彼らを見ているのか容易に想像がつく。

「…そんな過激なプレイをするくらいだったら、あなた達って体力はかなりあると期待して良いのかしら?」

 相変わらずの不機嫌そうな声が聞こえた。

「あるあるあるったらある!それっだけは、もう自信ありますってば!」

 ルパンの甲高い声の後に、また女のため息。

 そしてその数分後、次元とルパンはファンタムのタイヤ交換をするハメになっていた。

 女はスナップオンの工具で器用に二人の拘束を解いた後、彼らの前に巨大な21インチのスペアタイヤを出してきたのだった。
 助手席側の前輪が見事にパンクしていた。

「スペアは一個しかないの。修理もしておいてね」

 女はそなえつけのロールスの傘を日よけにして車にもたれながら二人に言った。

「くそ、なんだってこんなバカでかいタイヤ交換なんか」

 次元は汗だくになりながら毒づく。

「ばっか野郎、乾いて死ぬよりゃマシだろうが。それに、たまんねえ美人だ」

 案の定、ルパンはニヤニヤしながらご機嫌でタイヤ修理をしている。
 二人が必死で働いているっていうのに、女は相変わらず不機嫌なままだった。

「あんた、こんなところで何してんだ」

 次元はジャッキを下げながらもう一度尋ねた。

「私?」

 女は傘をさしたまま、次元の方を向く。
 首からかけていたカードをちらりと彼に差し出した。記者証だった。

「ロンドンの車雑誌のテストドライバー兼ライターよ。南アフリカのケープタウンからナミビアのスワコプムントまで、世界最古の砂漠を世界最高級の車で旅をするっていう胸クソ悪い企画の担当者」
 言いながら彼女はミネラルウォーターを飲んだ。
「はあっ!?」
 次元は思わず叫ぶ。

 たいした交渉も必要とせずに、二人はファンタムの後部座席に鎮座することに成功した。
 アイボリーの高級レザーシートは食料や衣類・キャンプ用品などで散らかってはいたが二人がゆったりするのには十分だった。

「もう何キロ走ってきたと思う?タイヤ交換にパンク修理は4回目よ。うんざり」

 女記者は運転席でしゃべり続けた。

「今日こそ気分を変えないとやってられないわって、せっかくラルフ・ローレンのドレスに着替えたところでパンク。もう車を爆破して死のうかと思ってたら、変な生き物を見つけたのよね。」

 その彼女の力添えでなんとか普通の生き物に戻った二人は、ファンタムのじゅうたんにふっかりと靴を沈みこませながら水やフルーツをご馳走になっていた。

「いやーもう、最高!俺たち、どうなることかと思ってたら、こーんな高級車と美女が通りかかるんだもんなァ」

 ルパンはリンゴにかぶりつきながら相変わらずご機嫌だ。
 まァ、無理もない。

「しっかし、女一人で3000キロの旅たぁ、最近のロンドンの労働条件も相当渋いんだな」

 次元は呆れた顔で言った。

「まったく。私が欠席してる会議で勝手に決められてたのよ、信じられる?
しかも今回相棒のはずだった男は32歳にもなってケープタウンでオタフクを発症してね。
でも南アのロールス社に企画を出してやっとのことで広報車を借り出したらしいから、中止するわけにもいかないし。参ったわ」

 まくしたてながらも、彼女のドライビングはとても安定していて、それでいて路面によってはとてもアグレッシブに走り、十分にファンタムの性能を楽しんでいるようだった。
 何気なく身を乗り出してフロントのパネルを見ると、このダートロードを130〜150キロで巡行。さすが高級車、とてもそんなスピードとは思えない乗り心地だ。

「私の脳が、この暑さとロングドライブでやられてなかったら、多分もうちょっとあなたたちに根掘り葉掘り聞くんだろうけど、もうタイヤ交換要員ができたってだけで十分」

 ミラー越しに見える彼女の表情は、初めて彼らの目の前に現れた時と比べると大分明るくなっていた。

「アンタの脳がかなりやられてるって事にゃあ、確かに同感だ。俺たちがロンドンの美人記者を犯して車を盗んで逃げるとか、考えないのかい?」

 次元もリンゴをかじりながら言った。ルパンがおいおい、と困った顔をする。
 女はミラー越しに彼らをちらりと見た。

「確かにそういう可能性もないことはないわね。
だったら先に教えておいて。あなた方、そういう事をするわけ?どう?」

 NO!

 と叫ぶのは次元とルパンと同時だった。
 女はくっくっと笑う。

「じゃあ、名前を教えて。私は

 深い茶色の髪の女に、ガンマンと泥棒はそれぞれの名を名乗った。



 あと少しでが宿泊を予定していた町に到着するという時、すっかり夜はふけていた。
 は車を止める。

「リューデリッツまで行くんじゃないのかい?何だったら運転代わるぜ?」

 ルパンが心配そうにに声をかけた。

「ここいらは、ウシ科の動物が多いのよ。彼らはあまり利口じゃないから、突然飛び出してくるし、そしたらこっちの命にもかかわるわ。どうせそんなでペースが落ちるし、もうここで寝て夜明けと共に走った方が効率良いでしょう」

 はドレスの上にパーカーを羽織って、手際よく湯をわかすための火をつけた。
 ファンタムに乗ったドレス姿のイギリス美人とナミビアで野営なんて、さすがのルパン達も今まで経験ないしおそらくこれからもないだろう。
 軽い食事とコーヒーをご馳走になった。

「…本当に、何も聞かねぇんだな、アンタ」

 次元は煙草をくわえて、しみじみとに言った。
 ストーブの火と月明かりに照らされたは、とてもこの超過酷なドライブをこなしてきたとは思えないほどしっとりと美しい。

「だって、何の意味もなく砂漠をロールスロイスで3000キロ走る仕事よ?
ばかばかしいと思わない?」

 今日何度も毒づい事をまた繰り返した。
 でもその表情は驚くくらいに生き生きとしていて、次元は言葉を失う。

 くっくっというルパンの笑い声が闇にひびきわたった。

「俺たちもかなりばかばかしいことばっかりやってるけっども、確かにキミも相当だな」

「でしょう。それでこの月に星」

 は立ち上がって夜空を仰いだ。

「昼間に見たでしょう。真っ赤な岩山にどこまでもつづく赤い地面」

 今まで何度も聞いたため息じゃなく、大きな深呼吸が聞こえる。

「それにこの素敵な女神」

 愛しそうにボンネットのレディを指でなぞった。

「細かい事はどうでもよくなっちゃうのよ。
あなたたちの事情、必要になったら聞くわ。
スワコプムントに到着するまで、そんな時が来るかどうかはわからないけど」

 言って、彼女はファンタムの後部座席のドアを開けた。

「私は後ろで寝るわ。あなたたちはテントを使ってもいいし、前で寝てても構わない。火は適当に消しておいて」

 ルパン達は翼の生えていない美女が、翼の生えている美女に包まれてゆくところを見守った。


 翌朝、宣言どおりには夜明けと共に車を走らせる。
 男達は後部座席で寝ぼけたまま。

 まだ薄暗い中、次元はミラー越しにファンタムの背後で砂煙とライトが光るのを見つけて、はっとした。

 今まで走っていて一度も車に出会ったことはない。
 それなのに背後の車はダートを130キロで飛ばすファンタムにどんどん近づいてくる。
 嫌な予感がした。

「おい、ルパン!」

 うとうとしているルパンをつつく。
 言われてルパンも後ろを振り返った。
 二人、顔を見合わせる。

「なあ、

 今までになく真剣な声でルパンは運転席のに話しかけた。

「なあに」

 後ろからやってくる車に彼女も気づいていたようで、静かに返事がかえってきた。

「あの車に、もしかしたら止められるかもしれねえ。
俺たちはとりあえず、後ろで隠れておくぜ」

 ルパンはそれだけ言うと、次元に目配せをして二人とも後部座席に山と散らかっているさまざまな衣類やキャンプ道具の下にくるりと身を隠した。

 は何も聞き返さない。

 完璧な遮音のファンタムだが、もう一台の車の音が近づいてきてクラクションを鳴らすのが次元の耳にも聞こえた。
 ゆっくりとファンタムのスピードが落ちて停車する。
 運転席の窓が開く気配がした。

「おはよう。どうかしたのかしら」

 の落ち着いた声が聞こえる。

「旅の途中に悪いな。赤いスーツのサル顔と、黒いスーツのヒゲ面の日本人を見なかったか?」

 次元は心臓が高鳴るのが分かった。
 それは紛れもなく、二人を縛って放り出したフレイタスの用心棒シュミッツの声だったからだ。

「さあ?知らないわ。それって遭難者?
私はイギリスの記者で、カーテスト中なのよ」

 は相変わらずの声で続ける。
 シュミッツが去る気配はなかった。

「…後部座席を見せてもらってかまわないか?」

、車を出せ!!」

 ルパンが叫ぶより前に、はファンタムをフルスロットルで発車させていた。
 あまりの加速に二人は後部座席でもみくちゃになる。

「なんでシュミッツが…!?」
 体勢を立て直しながら次元がつぶやく。

「奴ら、俺たちに発信機を仕掛けてたに違いねえ。シュミの悪い奴らだぜ。
乾いて無様におっ死んだところを拝んでやろうと思っていたところ、とんでもねえスピードで移動してるもんだからあわてて夜通し追ってきたんだろうよ」

 ルパンは真剣な顔で後ろを振り返った。

「次元、とりあえず下着以外の服を脱いで捨てろ。発信機を探してる時間はねえ」

 相棒の意見に抗議する間もなく、言うとおりにせざるを得なかった。
 は何もいわずに車を走らせ続けている。
 なんと、230キロ巡行だ。
 ファンタムに乾杯、と次元は心で思った。

 しかし。

「ルパン、あそこでに車を出させたのはどうなんだ?
なあ記者さんよ、俺たちをあそこで奴に突き出した方があんたには大分とマシだったかもしれねえぜ?」

 はカーブを190キロで見事にクリアする。

「あなた達が何をしたのって、聞かなくても大体わかったわ。
あれはケートマンズフープのフレイタスのところの男でしょう。
私だってこんな大それた旅をする前に、ルート上の状況はいろいろと下調べはしたのよ」

 スピードをまた200キロオーバーにアップさせてから、なんでもないように言う。

「良い評判は聞かないわ。あなた達を差し出したって、私が放免されるとは限らない」

「そのとおりさ。話が早いな」

ルパンは助手席のシートの上に山と積まれていたの化粧品や飲み物を足元に放り出して、そこに座った。

「キミに提案がある」

 ルパンは魔法のように、金の鎖がつながったダイヤモンドのルースを出した。

 次元はあっと声を出す。
 ルパンの奴、フレイタスのところからひとつだけちょろまかしてきていたのか。
 しかもおそらく一番の値打ちモノ。

「キミにこれをプレゼントしよう。
最高クラスのファンタムが何台でも買えるダイヤさ。
そのかわり、この車を俺たちにくれ。そしてキミは次の町リューデリッツで降りるんだ。
俺たちを放り出すって手もあるが、この車は目立つ。
一人で走ったって結局、奴らに追われるハメになる」

 は運転を続けながらルパンのぶらさげたダイヤをちらりと見た。

「悪くない取引だけど、遠慮しとくわ。恋人へのお土産にでもして」

!」

 次元は思わず叫んだ。

「言ったでしょう。馬鹿みたいな事やってるけど、これは私の仕事なの。
私はファンタムでケープタウンからスワコプムントまで走破して、そして締め切りには記事を上げなければならないわ。遊びじゃないのよ。」

 変わらない落ち着いた表情で車を走らせるを、ルパンは真剣な表情で黙って見つめていた。
 次元もそれ以上何も言わない。

「ああ、ダイヤがニセモノじゃないかなんて疑ってるわけじゃないの。
私だって女だから、それがどれだけ高品質の石で素晴らしいカットで、なんてのは見ればわかるわ」

 言ってから、後部座席の次元をちらりと振り返る。
 またルパンを見て、深呼吸をして運転を続けた。

「そしてあなたたちが『プロ』なのもわかる。
だから、どっちかが降りるのはナシ。行き先変更もナシ。どう?」

 ルパンはダイヤを自分の首にかけて、声を上げて笑った。

「たまんねえお嬢さんだ。俺たちに任せて構わねえって訳だな?」

 は首を縦に振って、静かに車を止めた。

「さて次元、仕事だぜ」

 ルパンは運転席に陣取り、にやっと次元を見る。
 次元は肩をすくめて助手席で銃のリボルバーを廻した。
 は後部座席で、いつのまにか艶やかなイブニングに着替えていた。

「スワコプムントに着いたら会社持ちで高級ホテルを取ってゆっくりリゾートしようと思ってたんだけれど、先取りしておくわ。
さあ、思い切りやってちょうだい。
ただし、借り物の広報カーだっていう事は忘れないでね」

 はセクシーに足を組んでシートに身を沈めた。

「ダーティ・ハリーの上司かよ。みみっちいぜ」

 次元は思わず笑い出す。
 ルパンは車を発車させた。

「シュミッツたちがこのスピードに追いつくのは多分無理だ。
が、フレイタスのことだ。別の町にいる手下にこの車を探させるだろう。
いつ、出てくるかだな」

 そのルパンの予言はあっさりと実現したようで、砂煙を上げての一群が次元の視界に入った。
 運の悪いことに、路面状況は良くない。
 いくらファンタムでも慎重に走らないとまたパンクだ。
 スピードが落ちると、あっというまに一台が追いついてきた。

「ポルシェのカイエンじゃないの。6気筒で250馬力。結構いい車そろえてるのね」
 後部座席のレディが振り返ってつぶやく。

「解説はいらねえよ!」
 次元は車を一瞥した後、リボルバーの弾丸を詰め替えた。

「かなりガチガチに装備してありそうだな」

 カイエンの助手席から発砲される弾丸をルパンは器用によけるが、後部座席ではが悲鳴をあげた。

「銃弾の跡だけはカンベンよ!」

「任せるといったくせに、うるせえ女だ」

 言って、次元は助手席の窓を開けてカイエンに銃口を向けた。
 瞬く間に三発撃つ。

 それは正確にカイエンのフロントタイヤの車軸を打ち抜いた。
 見事にタイヤが吹き飛ぶと、カイエンは物凄いスピードでスピンしながら、後ろに続くBMWやなんかにつっ込む。
 まるでビリヤードのブレイクショットのように。

 ファンタムのミラーに映った爆炎ととてつもない砂煙が、あっというまに小さくなってゆく。
 は口をあけたまま、後ろのそれを見送り、両手を挙げて叫んだ。

「Well Done!」

 そのまま興奮した様子で後部座席から乗り出し、すばらしい笑顔で次元を見る。

「やるじゃない、素敵よ、ヒゲのあなた!」

「次元大介だって、言っただろうが」

 次元は不機嫌そうにの気取ったシルクの帽子を取り上げて、投げ捨てた自分の帽子がわりに頭に載せた。



 そのまま次の追っ手が来ることはなく、3人はスケルトン・コーストにたどり着いた。
 海流の変わり目で霧が多く昔から多くの船が難破してきた不吉な海岸が、今じゃ国定公園だ。
 未舗装路だが快適な広い道路が続く。

 運転席のはアクセルをめいっぱい踏んだ。

「おいおい、もうそんなに飛ばさなくてもいいんじゃねえか」

 次元がたしなめようとすると、おそろしい横向きのGが彼を襲った。

「I got it!!」

 は叫んで、思い切りドリフトをする。

 素晴らしいテクニックを披露した美女は砂煙を上げながら車を止めると、後部座席で重なり合っている下着姿の男二人を置いて車外に走り出た。

 あでやかなスミレ色のドレスで海岸を思い切り走り回ったは、息を切らせながら、すっかり呆れ顔の男たちのところに戻ってきた。

「やってやったわ!
ロールスロイス・ファンタムで、ドリフトよ。一度やってみたかったの!」

 は大笑いして、空に拳を振り上げた。
 また走り出す。

 次元はもう、おかしくて仕方がない。
 ルパンはすでに彼女と走りまわっていた。

 馬鹿げたドライブをしてきた、イブニングドレスの女にアンダーシャツとパンツ一丁の男たち。
 パーティ会場が「骸骨海岸」なんて、なんともおあつらえむきじゃないか。

「ねえ、記念写真を撮らない?この最高に馬鹿っぽいメンバーで」

 記事用の写真をひとしきり撮ったは、ファンタムの前に三脚を立てた。

「主役はフライングレディね」

 ファンタムのフロントで、下着姿のガンマンと泥棒は真ん中に美女を二人囲んで立ち、カメラに向かって思い切りアホ面で笑った。
 


 そしてトスカニーニを越えて、スワコプムント。

 三人の旅の終点だ。

 ここに不二子と五右衛門が二人の回収に来る。
 次元とルパンはファンタムを降りた。

「サンキュー、。記事を楽しみにしてるぜ」

 ルパンはキュートにウィンクしてみせる。

「ぜひ読んでね。最初にあなたたちを見かけた時は、面倒なモノ見つけちゃたと思ったけど、楽しかったし助かったわ。
ファンタムの素晴らしい性能が証明されたし、ロールス社から感謝状をもらったらコピーして送るわ」

 ルパンはをぎゅっと抱きしめ、とてもスマートにクールに感謝のキスをした。
 いつもの下心たっぷりの行為じゃなくて、ルパンが最高に感謝と敬意を示したときのやり方だった。

 ルパンとの挨拶を終えると、は次元を見た。
 次元はの前に立つ。

「助かったぜ。けど、仕事熱心もほどほどにな」

 ぶっきらぼうに言って、その頼もしい美女の細い肩をぎゅっと抱きしめた。
 一瞬迷ってから、すばやく彼女の唇に口づける。
 その戸惑った感じが自分でも妙に照れくさくて、そしてその感じはあっさりとにも伝わったようで、彼女はくっくっとおかしそうに笑う。

「ありがとう、ガンマン」

 まるで手本を見せるとでも言うように、はもう一度次元に口づけた。

「…記念写真が現像できた頃に、編集部に取りに行く。プリント代に飯くらいおごるぜ」

 は次元をじっと見ると、彼女のぴかぴかの唇を細い指でなぞった。
 そして、その指をアンダーシャツ越しに次元の胸に突き立てる。

「高い店を予約しておくわ。
頼むから、その上にシャツとスーツは着てきてね」

 言うとドレスのすそを翻して車に戻っていった。

 まるでそこがリッツ・カールトンのエントランスかのように。

 にやにやと笑うルパンの胸元にダイヤがないのに次元は気づいた。

「おい、海岸の馬鹿騒ぎでダイヤ落としたのか?
手土産なしじゃ不二子が怒るぜ」

 ルパンは思い切り悪戯っぽい笑顔で次元を見た。

「あのダイヤは、一番ふさわしいレディの首にかけてきたさ」

 次元は目を丸くして振り返る。

 おそらくロンドンに数いる美女の中でも、最も仕事熱心でドリフトが上手い女の後姿。
 その向こうで翼を広げた女神スピリット・オブ・エクスタシーが、ナミビアの太陽をたっぷり反射させたダイヤを自慢げに身につけて彼女を待っていた。


<参考文献>
ネコ・パブリッシング社発行.「Autocar Japan」2005年9月号(Vol.028)PP130~139.特集「ファンタムでアフリカ爆走3300Km」
*ロールスロイス社ファンタムの実走スペックは上記を参考にいたしました。