恋愛小説家(9)



 大きなガラス窓に面したテーブルからは、アラビアン・ランチのごとく、遠くの砂漠の景色がよく見えた。
 昼間に訪れてみると、ルベウスの屋敷は小高いところに建っていて、その窓からの眺めはなかなかの景観だった。
 そんな壮大な景観を涼しい室内から眺めつつ美食を楽しむ贅沢を、ルパンたちは堪能していた。
「昨夜は手に入れたばかりの石を眺めていましてね、興奮のため、なかなか眠る事ができず困りましたよ」
 ゴールドスミスは相変わらず満面の笑みでまくしたてた。
 ルベウスは満足気に頷く。
 彼らの「石」に対しての話は尽きることがなかった。
 どうやら、ゴールドスミスはルベウスにとって上客と認定されたようだ。
 その中で、も興味深そうにカラーダイヤやルビーの事をルベウスに尋ねたり、なかなか充実した時間を過ごしているようだった。
 当然ルパンと次元は、ここへ会話と食事を楽しみに来たわけではない。
 穏やかに会話に参加しつつ、ルパンはちらりちらりとルベウスの様子を伺っていた。そして次元も同様だ。
 いつ、奴が本題に入るのかと、内心身を乗り出して待っている。
 デザートのジェラードとコーヒーが運ばれてきた。
 ゴールドスミスは、話の余韻を楽しむようにコーヒーカップに口をつける。
 ルベウスはそれを満足気に眺めながら、その薄い唇を開いたまま微笑んでテーブルについているメンバーを見渡した。
「皆さん、本当に石がお好きでいらっしゃる。今日は私も楽しい時間を過ごす事ができて、何よりでした。ところで皆さん、ルビーの……原石には興味はおありですかな?」
 ルパンと次元は瞬間、目を合わせた。ゴールドスミスもびくりと顔を上げる。
「原石……ですか。私はどちらかといえば、ジュエリーにセットされた物が好みですが、ゴールドスミス氏はいかがです?」
 ルパンはなんでもないように静かに言って、ゴールドスミスに会話を渡した。
「わ、私はもちろん、原石もコレクションの範疇です。ルベウス氏のおっしゃる原石なら、さぞ素晴らしいものでしょうな?」
 ゴールドスミスは期待に唇を震わせながら言う。
「……ミャンマー産の約500カラットのルビーの原石です」
「おお……なんと……」
「モノがモノなので、これは競売というより信頼ある方に声をかけてという形を取らせていただいているのですけどね。明後日には手元に届くので、御覧になりますか?」
「も、もちろんですとも! ……失礼ですが、いかほどでお考えです? 気に入ったら是非その場で、と思うのですが」
 ルベウスはくぐもった声で上品に笑った。
「これはこれは気の早い……。そうですな、3,500くらいを考えています。尚、この場合、現金取引になりますが」
 ルベウスは挑戦的な目でゴールドスミスを見て、そしてちらりとルパンの方を見る。
 ゴールドスミスは一瞬間をおいて、ルベウスを見たまま、小さくうなずいた。
「わかりました、それでは明後日、その心積もりでお伺いしてもよろしいですかな?」
 彼が言うと、ルベウスの口元がほころぶのが見えた。
「ええ、ぜひお越しください。皆さんもご一緒に」
 ルベウスの笑顔を見て、ゴールドスミスはふうっと安堵の息をついた。
 ルパンも表には出さないが、一歩進んだ事に内心では手を叩いて喜んでいるようで、満足そうな顔でコーヒーカップを口元に運んでいた。
「ところで、美しいお嬢さんをさしおいて殿方達は石に夢中のようですが、女史は何か殿方にねだったりされないのですか?」
 ルベウスはに微笑みかける。
 は白い歯をこぼして笑った。
「私は昨夜のようなオークションの素晴らしい石を見せていただいたり、今日のようにいろいろな石についての貴重なお話を聞かせていただけるだけで、十分ですわ」
女史は石の魅力をよくおわかりのようだ。石というのは、その組成の成り立ちからして、地球の歴史とともにありロマンティックで、そしてそこに人間の手が加わり、カットされジュエリーにセットされそして人の手に渡ってからのドラマがある。そういうところが、あなたを惹きつけるのでは?」
 ルベウスが言うと、は身を乗り出してうなずいた。
「ええ、まさにその通り。ガストンのコレクションを見せていただいて、その石についてのお話を聞いた時、とても感動してしまいましたわ」
「そうですか。では、アークライト伯爵のコレクションも御覧に?」
「それは、ロンドンに帰ってから是非に、とこの美しいお嬢さんと約束しているところですよ」
 ルパンが柔らかい口調で言った。
「そうなんです。伯爵のコレクションは、是非拝見したいと思っておりましたから」
 は嬉しそうに言った。
「伯爵のコレクションは素晴らしいと聞きますからね。女史は、何かお目当てのものがおありですか?」
 ルベウスが相変わらずの穏やかな声でに尋ねた。
「ええ、先ほどおっしゃっていたような少々ドラマティックなエピソードのあるジュエリーを拝見したくて」
 の言葉を聞いて、次元は昨日オークション会場で彼女が言いかけていた事を思い出した。
「ほう、どのような物で?」
 ルベウスが興味深そうに、とルパンを交互に見ながら尋ねた。
「私が拝見したいのは、鷲をかたどった、ポーランドのピンブローチです。確か、お持ちでしたね、伯爵」
 が愛らしく顔を傾けて、ルパンを見た。
「ああ、ルビーのブローチですね、よくご存知で。家に伝わる品です」
 次元は頭をめぐらして、彼女の言った品を思い出した。そうだ、確かにあった。ルパンが言ったように、あれはルパンが盗んだものではなく帝国時代からのものだ。帝国からの物という事は来歴は確実にクリーニング済みだ、とほっとした。
「どのようなロマンティックなエピソードがあるのか、お聞かせ願えますか?」
 ルベウスはまだに尋ねた。
「……元々、ルイ14世のコレクションだったそうで、それをパリの大泥棒ポール・ミエットが1792年に国有家具調度保管庫から盗み出し、そしてその後また後世の大泥棒アルセーヌ・ルパンの手に渡った物らしいのです。ちょっとドラマティックだと思いませんこと?」
 嬉しそうに話すの向こうで、ルベウスの目が一瞬凍った。
 次元とルパンはまた目を合わせる。
 とゴールドスミスが楽しげに話を続ける中、次元はイライラと眼鏡のツルを手でもてあそんでいた。


「おいルパン、どういう事なんだ? アークライト卿のコレクションは全てクリーニング済みだったんじゃねぇのか?」
 ホテルに戻って、ルパンの部屋で次元はイラついた様子で怒鳴った。
「そんな怒鳴りなさんなって。いや、確認したが、あのピンブローチはルイ14世所有ってのは公表されてる通りだが、アークライト卿の先代がクリスティーズで落札したっていう来歴になってるんだけっどもがなぁ」
 ルパンはPCを操作しながら、頭を掻いた。
「じゃあなんだってあの女、あんな事を言うんだ? ……いくらアルセーヌ・ルパンの名前でも、勘の良いルベウスの事だ……ジョシュア・アークライトとルパンを結びつけて考えるってぇ事も、なくはないんじゃねぇのか?」
 ルパンは椅子の背もたれに体をあずけ、伸びをした。
「んん〜、ま、なんとかなるでショ。要は『シルク』が表に出てきて、ルベウスとゴールドスミスと取引さえすれば良いワケだし、勝負はもう明後日だぜ」
「ケッ!」
 その後二人は更に調べ物をしたり、五右ェ門からの報告を受けたりで忙しく過ごした。

一通り作業を済ませると、次元は苛立ったままルパンの部屋を出る。
 まったく、ただでさえイライラするこの長丁場の仕事、せっかく予定通りに事が運んで先が見えたところだというのに。
 不機嫌にどかどかと廊下を歩いていると、丁度がやってきた。
 薄いカジュアルなブルーのキャミソールドレスで、何か手に持っている。
 そうだ、この女が面倒事の発端なのだ。
 顔を合わせる前に、彼女が自室に入るのようにと、次元は廊下を歩くスピードを落とした。しかし彼女は次元に気づいてしまったようだった。
「ハイ、アレン」
 笑って彼に近寄るに、次元はやむを得ず黙って目礼をする。
「支配人の方から、シャンパンをいただいたの。ちょっと時間が早いけど、一緒に飲んでくださらない? 一人じゃ飲めないわ」
 は屈託のない声で言って、大きく口を開けて笑った。
 次元は小さくため息をつくと、招かれるままの部屋に足を踏み入れた。
 促されてソファに座っていると、がグラスとナプキンを持ってきた。
 次元はボトルを受け取って、ナプキンでコルクを抜き取った。
 ナプキンの下で、すこしくぐもった音がしてコルクが抜ける。
「……ワインはお飲みにならないのでは?」
「シャンパンやシェリーは大丈夫なの。だって、口当たりが違うでしょう?」
 次元がグラスにシャンパンを注ぐと、はわくわくしたようにその細かい泡を眺めた。
 二人は、チンとグラスをあわせ、ゆっくりとそれを口に運ぶ。
 ドライな上等のシャンパンだった。
「いくらって言っていたかしら? ルビーの原石」
「……3,500万ドル」
 次元が言うと、は大げさな手振りで驚いてみせた。
「すごいわね、3,500万ドルも500カラットも、現実的に思い描けないわ」
 言って、おかしそうに笑い、くいっとシャンパンを飲むとふと真面目な顔になった。
「……ねえ、ストレートにお聞きするけれど……お昼に私が言った事、もしかしたら伯爵にとって、何か困った事だったりした?」
 はグラスを置くと、静かに言った。
 次元は黙ってじっと彼女を見る。
 そして二人のグラスに、またシャンパンを注いだ。
「……何の事です?」
「……伯爵のコレクションの事。あの話をしてから……あなたがとても不機嫌だったわ。今もだけれど」
 少々重苦しい空気の中、二人のグラスのシャンパンは順調になくなっていった。
「特にそんな事はありませんよ。……ただ、あなたが、やけに来歴にお詳しいと驚いただけです」
「ああ、あのピンブローチは……私の『夢』のひとつだったから……」
 は少し笑って、シャンパンを一口飲むと、軽く目を閉じた。
「夢?」
 次元は眉をくいっと動かして、を見た。
「昔、おじいちゃんからよく聞いた話なんだけど、我が家のご先祖が、ポール・ミエットの一味の泥棒だったんですって」
 次元もシャンパンを飲みながら、彼女の話を聞く。
「子供の頃、おじいちゃんから泥棒の話を聞くのが大好きで。おじいちゃんはよくご先祖やポール・ミエットの話をしてくれた。けど、父はその話が大嫌いで、いつもこっそり聞いてたの」
 空になったグラスに、今度はがシャンパンを注いだ。
「それとルイ14世のピンブローチがどういった関係で?」
 次元は用心深く、先を促した。
「本当かどうかはわからないんだけど……」
 は思い出したようにくすっと笑いながら言った。
「あのピンブローチは、ポール・ミエットの相棒だったご先祖が、仕事の報酬としてもらったらしいの。そして、ひいおじいちゃんの代まで我が家にあったとか。その後の話がちょっと面白くてね。ひいおじいちゃんがある時、アルセーヌ・ルパンとポーカーで大勝負をしたんですって。そこですっかり大負けしたひいおじいちゃんが、負けの支払いにピンブローチを手放す事になったの。それでひいおじいちゃんはすっかり堅気になる事に決めて、ワイナリーを始めたんですって」
 はくすくす笑いながら話した。
 きっと子供の頃、こんなふうに昔話を聞いていたのだろうというような笑顔だった。
 元は思わずじっと彼女の顔を見つめる。
「それで、ピンブローチを取り戻したいと?」
 次元が言うと、はあわてて首を振った。
「まさか。そういうのじゃないの。家は父親が真面目で、ポール・ミエットの話も嫌いだし、私が小説なんか書くのも嫌っててね。ピンブローチなどなくなってよかった、あれがあったら、家はワイナリーになっていなくてもっと苦労していただろう、なんて言って。でも私はおじいちゃんの泥棒の話が大好きで、きっとそれを聞いてなかったら小説家にもなってなかったと思う。だから、あちこち調べて、その『元ルイ14世所蔵のポーランドのルビーのピンブローチ』が本当に存在するって分かった時はとても嬉しかったわ」
 はシャンパンをこくんと飲んで、また軽く目を閉じた。
 次元は、なぜだか彼女の周りに葡萄畑が見えるような気がした。
「わくわくして聞いてたおとぎ話の中の宝石が本当にあったなんて、ちょっと素敵じゃない? だから一度、見てみたいと思っていたのよ」
 は目を開けて、次元を見ると嬉しそうに笑った。
「きっと実際に一度見て、もしこの手に触れる事ができたら、あなたのお髭に触れた時みたいに、それが私の中で現実になって、とても熱く残ると思う」
 次元はグラスを置いて、ソファに身を沈めた。
「……一度触れるだけで、ご満足か?」
「それは、ピンブローチに? それともあなたのお髭に?」
 さっきまで葡萄畑の中の田舎娘みたいだった笑顔が、何が変わったというわけでもないのに、ふいに艶やかになった。いや、勝手にそう感じるだけか、と次元は自分の頭に手をやるが、いつものように帽子がない事に今更ながら気づいた。
 空振りした手で眼鏡を触り、ゆっくり立ち上がった。
「……それでは、シャンパンをご馳走様でした。これで失礼します」
 言うと、部屋の扉に向かった。
『私にはね、音が聴こえるの。多分、普通の人には聴こえない音が』
 初めて会った日に、バーで彼女が言っていた言葉を思い出した。
 その言葉を自分の心から追い出すように、次元は何度か頭を振った。

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2007.3.18




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