恋愛小説家(8)



「はじめまして、こちらこそお目にかかれて光栄です。久しぶりのドバイに、素晴らしいオークション、年甲斐もなく胸が躍りますよ」
 ルパンは立ち上がり、柔和な笑顔を見せて言うと右手を差し出した。
 ルベウスもそれを握り返す。
「こちらは……お話していた、私のゲストのガストン・ゴールドスミス氏と女史です」
 紹介をすると、ゴールドスミスは顔を輝かせて前へ出た。彼の精力的なアピールと挨拶を、ルベウスは笑みを浮かべたまま静かに聞いてうなずく。
 そして彼の挨拶が終わって、ルベウスがに視線を移すと彼女もそうっと右手を差し出した。
「はじめまして、です」
「ようこそ。お名前はよく聞いていますよ。今夜は楽しんで行ってください」
 ルベウスは、その薄い唇で微笑むと彼女の手を握った。

 ルパンとゴールドスミスは、ソファで顔を寄せ合い話をしている。
 今夜の買い物の相談だろう。
 オークションの客には、事前に出品される品物の概要は提示されており、今回「シルク」が出ない事はわかっている。だからこそ、ゴールドスミスを煽って目立つ買い物をさせなければならない。ルパンの事だ、上手いこと言って乗せているに違いない。
 次元は、オークションの客に挨拶まわりを続けるルベウスを目で追った。
 そろそろオークションが開始される。広間には、ルベウスの部下達が配置されてきた。隙のない男たちだった。次元達の案内係であったリウ・ヤンもその一人だ。
 隣ではが大きく息を吐きながら、ソファに体を沈めた。
「……あなたの言ったとおりね。普通のオークションとは、まるで雰囲気が違うわ」
 若干緊張した面持ちで言う。
 と、リウ・ヤンが傍らに立ち止まった。
「間もなく始まりますが、よろしければ何かお飲み物でもお持ちします」
「……では、白ワインを」
 次元が言った後、は少し考えてから。
「私は、ドライシェリーをロックでお願いできる?」
 リウ・ヤンは胸元のマイクで指示を出した。
「少々お待ちください」
「ありがとう」
 うやうやしく言う彼に、はにこっと笑った。一瞬リウ・ヤンは顔を赤らめて、一礼をすると下がる。
「……ああいう青年は、あなたの創作意欲をかきたてるタイプですかな?」
 次元はからかうように言った。
「……ああ、彼?」
 は振り返ってあらためてリウ・ヤンを見ると、また笑いながら次元を見た。
「そうね、きれいな顔をしたイイ男ね」
 二人のところに飲み物が運ばれる。
 はグラスを手にするとカラカラと氷を回した。やや、緊張が解けたようだった。
「ああいうタイプの人は、あまり小説に書いた事はないけれど、いいかもしれないわね。現実では、私はああいった純朴そうなボウヤには関わらないようにしてるけれど」
 次元は思わず笑った。
「確かにあっちの男の方が、いかにもステロタイプな現地の男といった風情で、バカンスでのアバンチュールにはぴったりでは?」
 ワイングラスを傾けながら、顎でくいっとサーリム・ダウードを差した。
 は眉間に皺を寄せる。
「ああいったサドッ気のありそうな人はダメね。小説の登場人物にも出さないし、これもまた現実では一切関わる気はないわ」
 今度はぴしゃりと言った。また次元は笑う。
 ふいに広間の照明がゆっくりと暗くなった。そして中央のテーブルにスポットライトが当たる。
「皆さん、お待たせいたしました。それでは今宵の品を、御覧に入れましょう」
 ルベウスの静かな声が響き渡り、人々の話し声が止まった。
 オークションが始まるのだ。
 客は中央のテーブルの周りに配置されている椅子に、ゆっくりと集まった。
 実質的な客は20人前後だろうか。
 ルパンとゴールドスミスは最前席を陣取っていた。
 テーブルの傍らにはルベウスがゆったりと腰掛ける。
サーリム・ダウードの手によって、テーブルの上にまず一つの箱が置かれた。
中からは、深い赤色のスタールビーが顔を出す。
 ルベウスは無言で、どうぞ御覧くださいといわんばかりに手を広げた。
 客達は身を乗り出してその石をしばらく見ると、それぞれルベウスに向かって頷いて見せたり、指を動かしてみたりをする。そうすると、ルベウスは満足気に微笑み、サーリム・ダウードはその箱を下げた。
 その間、一分間あるかないかだろうか。
「……今のは、何?」
 後ろの方の椅子で、次元と並んで座っているは小声で不思議そうに尋ねた。
「ダイヤモンド・トレーディング・カンパニーの『サイト』はご存知か?」
 次元は面倒くさくて、ついぶっきらぼうに言う。
「世界に名だたるデビアスの販売会でしょう?名前だけは知ってるけど……」
「そこでは選ばれたサイトホルダーがカンパニーと前もって電話なんかで打ち合わせをして、実際の販売会では、ダイヤの原石を一目見ただけで一山を買っていく。ルベウスのオークションはそれと似たやり方でね、どんな品が出るか客は前もって詳細を聞いていて、ここでは実際のイメージやなんかを見るだけだ。つまりは彼の出す品には、それだけ実績と信用があるというわけですが」
「で、あれは買い手は決まったの?」
 次元は頷く。
「……そこの、腹の出た紳士が150万ドルで落札した」
「今ので!? 150万ドル!?」
 は体を起こして驚いた顔で次元を見た。
 田舎娘のようなその反応に次元が思わず吹き出すと、はきまり悪そうな顔をしてまた椅子に体を預けた。
「ルベウスの手配で、今回はフリーゾーンの銀行を通して使途がわからないように振り込める口座を設定してある。あの各自に手渡されているモバイルで、今、金が振り込まれるんですよ。こうやって、今夜ここでは百万ドル単位の金が動くわけだから、このものものしい雰囲気もお分かりでしょう」
 は感心したように、さっさと新たに行われているオークションの品を眺めた。
「ほら、次のルビーは早速ゴールドスミス氏が落札したようだ。……180万ドルか」
 次元の言葉に、はふうっとため息をついた。
「……コレで180万ドルねえ」
 ゴールドスミス達がやっていたように、胸元でちらちらと手を動かすそぶりを真似して、くすっと笑った。
「…せっかく来たんだ、前の方で石もしっかりよく見てきたらどうです?」
 次元が言うと、は広間を見渡しそしてまた真ん中のオークションの行われているテーブルに視線を戻した。
「ん、ここでいいのよ。あんな雰囲気じゃゆっくり石も見る事ができそうにないし、ここで皆の雰囲気を見てるのが面白いわ」
 満足そうに言って、次元を見た。
「石を見に来られたかと思いましたが」
「もちろんそれもあるけれど。……次の本にはね、ちょっと本格的にジュエリーを出そうと思っていて、それでガストンにも改めて取材をしてコレクションを見せてもらう予定にしていたの。でも、ここにも来ることができてよかった。こんな雰囲気、なかなか経験できないわ。……本当にありがとう」
 は改めて次元に礼を言った。
「伯爵のコレクションもそれで?」
 次元は何気なく尋ねた。
「……アークライト卿のコレクションは……」
 は一瞬黙って、言葉を探すように視線を泳がせた。
「伯爵のコレクションは、以前から見たいと思っていたの。ちょっとドラマティックな来歴がのものあると聞いたから」
 次元は彼女を眺めながら、頭の中でルパンが「アークライト卿所蔵」としていたジュエリーを思い浮かべる。
「というと?」
 適切なシロモノが思い当たらず、聞き返した。
 ふと、その時、それまで淡々と競売が進んでいたテーブルの周りから、大きなどよめきが響く。
 二人ははっとそちらを見た。
 そこには、色見事なカットがほどこされたピンクがかったオレンジ色のサファイヤと、なんとも得意気な顔のゴールドスミス。
「……パパラチャ・サファイヤ、1,200万ドルか」
 思わず次元もうなった。

 結局のところ、ゴールドスミスはルビーを二つとそのオレンジ色のサファイヤで、計1,580万ドルの買い物をした。ルパンはピンクのダイヤを一つ、それでも180万ドルと、そこそこの投資をして行った。おそらく不二子への機嫌取りにでも使う算段だろう、と次元は睨んでいるのだが。
 オークションがお開きになると、客はそれぞれの戦利品を大事そうに抱えて秘書やガードマンを従えながら満足気に帰途についた。
 ルパンとゴールドスミスも、落札した石を受け取りアタッシュケースにしまった。
 ゴールドスミスは、未だ興奮冷めやらぬ顔でを見た。
「いやはや……、見たかね、あの素晴らしい石の数々……。噂には聞いていたが、本当に素晴らしい。ルベウス氏の品だったら、実物を見ないで買っても失敗はないというくらいだよ」
 一体自分がいくら使ったのかなど、まったく気にする様子もなくにまくしたてた。
 はそんな彼を、おかしそうに笑って見つめる。
「ほんとうに素晴らしかったわね。私も見に来ることができてよかったわ」
「そうだ、アークライト卿に感謝だな」
 ゴールドスミスが、今度はルパンに熱い言葉を浴びせようとすると、コツコツと足音を立てながらルベウスがやってきた。
「今宵は満足いただけましたか?」
 例の静かな声で、微笑みながら言う。
「勿論です、久々に目の保養ができましたよ」
 ルベウスはルパンと握手をすると、その手をゴールドスミス氏に向けた。
「本日は本当に素晴らしい石にめぐり合えて、まったく私は幸せです」
 ゴールドスミスは一瞬言葉につまりながらも、訴えかけるようにルベウスの手を握り返した。
「こちらこそ、良い方に買っていただいて幸いです。……ところで……」
 ルベウスは握手した手を離して、ルパンたちをちらりと見た。
「よろしければ、明日皆さんでランチを召し上がりにいらっしゃいませんか? せっかく今回お目にかかれたのですから、お近づきのしるしに」
 その言葉に、ルパンの目がギラリと光るのを次元は見逃さなかった。
「おお、それは光栄です。お二方のご予定は?」
 ルパンはゴールドスミスとを見た。二人は勿論、頷く。
「ご連絡の上、また迎えの者を遣ります。では、明日……」
 満足気に言う彼と、サーリム・ダウードに見送られ、四人は屋敷を後にした。

 車は帰りも、シェイク・ザイード・ロードを走った。まっすぐ天に向けてそそり立ち、まばゆくライトアップされたホテル・アルジュ・アル・アラブが、遠目にもよく見える。
 真夜中過ぎでも、ホテルのロビーは相変わらず人気が多かった。
「伯爵、今日は本当にありがとうございました。とても貴重な経験をさせていただきましたわ」
 はドレスの裾を整えながらルパンに言う。
「いやなに、また明日、美しいお嬢さんとランチをご一緒できるのを楽しみにしていますよ」
 ルパンが愛想良く言うと、はふと真面目な顔で彼を見上げた。
「伯爵に、ひとつお願いが」
「……なんでしょう?」
「今日のオークションでの品々もとても素晴らしかったのですけれど、私、ロンドンで伯爵が所蔵のコレクションを、いつか拝見したいと思っていたのです。それは……可能でしょうか?」
 昨夜、ホテルのバーで次元に頼みごとをした時と同じ、真剣な顔だった。
 ルパンはなんでもないように笑って答えた。
「ロンドンにいらしたら、連絡をしてください。取り次ぐよう、手配をしておきますから」
 は頬を紅潮させ、思い切り微笑んだ。その様子は思い切り突然にやってくる、山の夜明けのようだった。
「ありがとうございます、是非お伺いさせていただきますわ……!」
 ルパンに言ってから、ちらと次元を見た。
「おやすみなさい、アレン、今日はどうもありがとう。また明日」
 嬉しそうに二人に挨拶をすると、軽やかにエレベーターホールへと去って行った。
 にやにやとその後姿を眺めるルパンに、次元は思い出したように言う。
「そういやあの女、『アークライト伯爵コレクション』の来歴に興味を持ってるらしいぜ」
 オークションの会場で途中まで聞いていた事が頭に甦ったのだ。
「来歴? あのコレクションは、俺様が盗んだモノとかそういった怪しげなシロモンは入れてねぇし、何かね? ま、古いジュエリーなんざ、たいがい何かロマンティックなエピソードがあるモンさ。ヌフフ、ロンドンでのデートもイイかもしれねえな」
 ルパンはちょっと考えるが、くっくっと笑った。
 次元は眼鏡を邪魔そうに外して胸ポケットに仕舞うと、フンと鼻を鳴らした。

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2007.2.18




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