恋愛小説家(7)



 ホテルを出ると、紺のメルセデスのセダンが停まっていのが見えた。
 傍らには姿勢の良い青年が立っていた。彼はエントランスから出てくる三人を見つけると、足早に近寄り、うやうやしく頭を下げた。
「アークライト伯爵ご一行様ですね、『ルベウス』の使いのリウ・ヤンです」
 中国系らしい男は手早く自己紹介をすると、車のドアを開ける。
 三人が乗り込むと、メルセデスは闇に溶け込むように静かに走り出した。
 上下で8車線の広大なシェイク・ザイード・ロードは、両脇に高層ビルが立ち並んだ、まっすぐに続く道だった。
 そこをひたすら西に走る。
 次元は助手席の窓から、絶え間なく続く夜の灯を眺めていた。
 雑多な街だ。
 暗くなった夜の方が、太陽に何もかも照らされている昼間よりも、その多くの顔が見える気がする。
 どんな人間でも金か情熱があれば、その居場所を見つける事のできるこの街を、次元は嫌いではなかった。そしておそらくルパンも同じ思いだろう。
 そんな具合だから、世界中の犯罪者に目をつけられる街なのだが。
 シェイク・ザイード・ロードを20キロ程走っただろうか。ジュベル・アリ港の辺りで南へ曲がった。徐々に高層ビルが減り、建設途中の建造物がクレーンを動かしているのが見える。夜通しで工事を行うのだろう。
 閑静な邸宅がまばらに見え始めたあたりで、車はスピードを落とした。
 一見して周囲のそれとは雰囲気の異なる屋敷の門を、メルセデスは通過した。
 他よりも目立ってしっかりとした塀にぐるりとかこまれた邸内は、よく手入れのされた木々が生い茂っていた。
 豪奢なエントランスの前で車は停まる。
 停車と同時に、屋敷の前で待ち構えていた男が静かにドアを開けた。
 リウ・ヤンと名乗った男も素早く運転席から出ると、彼が三人を邸内へ促す。
 彼と入れ替わりに若い男がメルセデスを運転してゆき、そこにはまた違う車が次々と到着するのだった。
 リウ・ヤンに案内されてその真っ白な外装の邸内に入ると、程よい温度と湿度の空気にほっとする。
 夜間は気温が下がるとはいえ、変わらぬその湿度は快適とは言いがたい。
 エントランスホールは、幾人もの男達が忙しそうに動いていた。
 多くが現地の者とおぼしき風貌だったが、ヨーロッパ系やリウ・ヤンのようなアジア系も目立った。次元の見たところ、外国人の方が明らかに腕の立ちそうな者が多いようだった。ルベウスの重要な拠点を守る部下として、腕に覚えのある外国からの流れ者をも積極的に雇っているのだろう。
 エントランスホールを抜け、広間に案内された。
 薄暗い照明のその部屋には、一見して裕福な身分という事の見て取れる男女がソファで静かに寛いでいた。今夜のオークションの客だ。
「こちらへどうぞ」
 リウ・ヤンに促されるまま、三人はソファに腰掛ける。
 そのままぐっすり眠れそうな座り心地だった。
「もう少々お待ちください」
 リウ・ヤンは相変わらず礼儀正しく言うと、胸元の小さなマイクに何やらつぶやいた。
 するとあっという間に、颯爽とした強面の男が現れた。
 一見して、この場を取り仕切っている者だと分かる、堂々とした隙のない男だった。
「ようこそおいでくださいました、アークライト伯爵。私はサーリム・ダウードと申します。主は間もなく参ります」
 30歳を少し過ぎたくらいのイスラム系の男だ。にこやかにしているが、その目は冷酷そうでかつエネルギッシュ、一目で彼の流してきた血の量が伺い知れた。次元は思わず殺気立ちそうになるが、慌ててそれを押さえる。
サーリム・ダウードは視線を、ルパンから次元へ、次元からへと移してゆく。に視線を止めると、その冷ややかな目のままで、更に愛想よく笑った。隣に座っている彼女が、気持ち、次元に身を寄せてくるのを感じた。
「ああ、ゴールドスミス様が今ご到着です」
 サーリムは右耳につけたイヤホンに手をあてながら静かに言い、そしてそれと同時に、やや緊張した面持ちのゴールドスミスが彼らのもとへ案内されてきた。
 彼にも同様に挨拶をすると、サーリムは別の客のところへ行った。
 ゴールドスミスはルパンの隣に座ると、ほっとしたように顔をほころばせた。
「何と言うか……さすがにものものしいですな」
 ルパンは頷いてから、はっと視線を入り口の方へ向けた。
 小柄なアジア系の男がやってくる。
 ルベウスだった。
 男はまっすぐルパン達の方へと近づいてきた。
「ようこそ、伯爵。おいでいただけるとは光栄です」
 男の声は決して大きくはないが、よく通った。
小柄で細身で、サーリム・ダウードのようなピリピリした感じはないが、なんとも油断のならない、迫力のある男だった。
 通称ルベウス。
 本名は不明で、彼自身も彼の組織も「ルベウス」と呼ばれる。
 正確な国籍も不明だが、ミャンマーを拠点に活動している事から、おそらくミャンマーの人間だろうと大概の人間は考えている。しかし彼の国籍は問題ではなく、重要なのはとにかくルベウスは、世界のルビーの産出量の6分の5を占めるというミャンマーからの石の流通の裏を取り仕切っているという事だ。
 ミャンマーでは、特にその品質を世界に誇るルビーやサファイヤは国によって流通が統制されているわけだが、一粒が際立って大きなもの、高品質なものは、ほとんどルベウスが国の目を盗んで国外に持ち出しさばいている。当然、彼の扱う石のその素晴らしさはその世界では有名だ。彼のそのコンスタントな仕事っぷりからして、おそらく鉱山を取り仕切る役人や軍部にまで彼の力が及んでいるのだろうというのが、ルパンの調べたところだった。
 彼のオークションは世界各地で行われるが、このアラブ首長国連邦のドバイが、彼がその石を流通させる重要な拠点のひとつであり、今回はこの地でオークションが行われるというわけだ。
 次元は慣れない眼鏡の位置を直しながら、ルベウスをじっと見た。
 実物と会うのは初めてだった。
 ルパンをちらりと見ると、その瞬間彼もぱっと次元の目を見て、一瞬いたずらっぽく笑う。
 さあ、始まるぜ、相棒。
 そんな声が聞こえる気がした。

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2007.2.13




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