恋愛小説家(6)



 次元がルパンの部屋を訪れると、彼はすでにバスローブ姿でビールを飲んでいるところだった。
「どったの、次元」
 難しい顔をして部屋に入って来た次元に、ルパンはすっかり寛いだ顔で尋ねた。
「……ゴールドスミスの奴、あの女にオークションの件やなんかすっかりしゃべっちまったようだぜ」
 次元はソファの背に手をかけ、豪奢なクッションを手に持っては、いまいましそうに放った。アークライト伯爵名義で取っているスウィートルームは、無駄にだだっ広くゴージャスだった。
ルパンは特に表情を変えもせず、ごくごくとギネスを咽喉に流し込む。
「へえ。ま、確かに口止めはしてなかったんだけっどもがなぁ。あの親父、彼女にはすっかり骨抜きにされちまってるってワケか」
「……食えねぇ女だぜ」
 次元はバーでの彼女を思い返して、鼻を鳴らした。
 女ってのは、近寄ってきたと思ったら、大概『お願い』とやらを持ってきやがる。
「で、次元、お前ぇは食われっちまったってわけか?」
 口元をぬぐいながらニヤニヤするルパンを、次元は睨みつけた。
 ルパンの事だ、がどういう女か、一目でわかっていたのだろう。
「手前ぇじゃあるめぇし誰が食わすか、バカ野郎!」
「何でぇ、勿体ねぇなあ。い〜い女じゃないの。俺が秘書の役をすればヨカッタ」
 ルパンはカカカと笑いながら、ビールをもう一本取り出す。
「あの女、アークライト卿への接触の機会を狙ってたようだぜ」
 ルパンの軽口を無視して次元は言う。
「接触!おっほ〜、そりゃもう接触、だ〜いか〜んげ〜い!」
 相変わらずふざけたルパンを、次元はギロリと睨む。
「で、彼女、俺様に何の用だってワケ?」
「……コレクションが見たいんだとよ。そのうちお前さんに話があるだろう」
「アークライト卿のコレクションね。確かに業界じゃ垂涎の的で、そりゃ見たいって奴ぁごまんといるからなあ」
 ルパンは他人事のように言う。
「それと、取材の一環でオークションに同行したいらしい」
「へえ、闇のオークションにねぇ。ま、好奇心の強いお嬢さんが言いそうな事だ」
「どうする? ルパン。オークションは明日だぜ」
 ルパンはビールを一口飲むと、笑って肩をすくめた。
「いいんじゃないの。オークションではまず、ゴールドスミスに景気良く買い物をさせて、ルベウスの奴に目をつけさせるのが目的だ。女がいた方が、いいトコ見せようと財布の紐も緩くなるってもんでショ」


 翌朝、アークライト卿とアレン・フェリックスはホテルのレストランに朝食を取りに行った。レストランにはさまざまな国から訪れているだろう人達が、これからの一日をどう過ごすか胸を躍らせつつ食事を楽しんでいた。
 その中の一人が、日差しの降り注ぐ窓際のテーブルのだった。
 笑った時の彼女の唇と、同じ形にカットされたオレンジを大きくほおばりながら、窓の外の揺れる木々を眺めていた。海面に吹きつける、オフショアの風にでも思いを馳せているのだろう。
 彼女はぴったりとしたカプリパンツとホルターネックのタンクトップで、すぐにでも海に飛び出して行きそうな趣だった。ドバイはイスラム教国ではあるが、彼女のようなビーチに魅せられたリゾート客には寛容だ。
「おはよう、お嬢さん。こちら、よろしいですかな?」
 ルパンが近づいて声をかけると、はっと気づいて窓の外から顔を向けた。
「もちろんです、伯爵。気持ちの良い朝ですね」
 ナプキンで口元をぬぐうと、二人に向かって微笑んだ。
 ルパンと次元は彼女の前の席に腰を下ろす。
「今日も海に行かれるのですか?」
 ルパンが尋ねると、は嬉しそうにうなずいた。
「ええ、でも実はもう、早朝に一度滑ってきたところなんです。今日は良い風ですから」
 何とまあ健全な、と次元が内心呆れていると、ルパンが続けた。
「そうですか、それは健康的で素晴らしい。……ところで海に行った後に、もしご予定が何もないのでしたら、私とゴールドスミス氏が今夜出かける、ちょっとしたオークションにあなたもご一緒にどうですかな?」
 ルパンはにこにこと微笑んだまま話しかける。
 は、ぱっと顔を輝かせテーブルに身を乗り出し、ルパンと次元の顔を交互に見た。
「まあ、本当に?」
 そのストレートな反応に、次元は少々驚く。
「嬉しい、楽しみにしていますわ。ありがとうございます」
 はルパンに向かって感謝の意を述べた後、次元を見て、また大きく唇を広げ笑った。
 多分、まずこういうまっすぐな笑顔に、男どもは惹き寄せられちまうんだろうなと、次元は心でため息をついた。

 昼間は灼熱のドバイも、夜になれば若干過ごしやすくなる。
 ホテルのロビーでは、人々は朝とはまた異なった雰囲気で行き来していた。
 ひとしきり外で楽しんで部屋に戻ろうとする者、これからドバイの夜へと出かけてゆく者。
 世界中からありとあらゆる物が集まるこの贅沢の都は、同時にあらゆる非合法の闇をも包み込んでいる。ねっとりとまとわりつくような夜の闇が落ちてくると同時に、ドバイのそのもうひとつの顔が、ゆっくりとギラギラとした眼を開きはじめるのだ。
 ルベウスのオークションは、郊外にある彼の私邸で行われる。
 次元がロビーに行くと、すでにそこで待っていたが、何やら若い男女と談笑していた。しばし楽しげに歓談した後、二人は手を振って嬉しそうに去ってゆく。二人を見送るの視線は、自然に次元に注がれた。
「……お知り合いですか?」
 次元が尋ねると、は首を横に振って静かにソファに腰掛けた。
「私の本を読んで、それでここにハネムーンに来たっていうご夫婦。ちょっと良い話でしょう?」
 嬉しそうに言った。
 眼鏡を押さえつつ頷き、彼女の隣に腰掛けた。
 は深い藍色のドレスに、その長い髪をゆるやかに結い上げていた。
 ちょうど、砂漠の夜のようだった。
「……伯爵は間もなくおいでになります。迎えの車はもう到着していますから、少々お待ちください」
 静かに言う次元を、彼女はじいっと見る。
 何だ、と言わんばかりに次元は鋭い視線を返した。
「……あなたって、周囲の事をものすごく色々見渡していながら、結局は御主人の伯爵しか見ないのね?とても忠実なドーベルマンみたい。ああ、気を悪くしないで。褒め言葉で言っているの。慇懃無礼なところも、ちょっと皮肉屋なところも、似合ってるわ」
 次元はにこにこしながら言うをひと睨みすると、ぷいと顔をそむけた。
「そうそう、あの……ありがとう。私がオークションに行けるようにして下さって」
 隣でゆっくりと一言一言話す彼女の声を聞いて、ゆっくり顔を向けた。
「……ゴールドスミス氏からは、どの程度オークションの事を聞いておいでです?」
 彼女に尋ねる。
「世界の宝石の流通で大きな力を持っている方の、闇のオークションで、滅多にお目にかかれないような上物が出品される催しだと」
「まあ、簡単に言えばそういったところです。つまりは、そこで取引される品は密輸品などと同じで、正規のルートの物ではありません。そういう集まりに行くのだ、という事は肝に銘じておいてください」
 次元はまるで学校の教師が言うような雰囲気の台詞を、機械的に話した。
「……わかったわ、ありがとう」
 彼女は模範的な返答をする。
 その時、ゆっくりとしたリズムの足音が二人に近づいてきた。
「お待たせしましたな。そろそろ行きましょうか」
 いつもの如くルパンが扮するアークライト卿が、ロビーにやってきた。

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2007.2.7




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