恋愛小説家(4)



 ゴールドスミスのベントレーの滑らかな走りで、ドバイの海岸沿いと町中をしばし楽しんだ後、ルパンと次元はホテルに送り届けられた。ゴールドスミスは件の埋め立て人工島のパーム・ジュメイラに別荘を持っており、彼はドバイではそこですごすのだと言う。
 ルパンは部屋に入ると、さっさと変装をといた。この暑さの中、人工皮膚に包まれていたのではたまらないのだろう。次元も部分的にかぶせてあった皮膚を剥いで、いつものスタイルに戻った。
 部屋にすでに五右ェ門はいなかったが、テーブルの上に資料が届けられていた。
 ルパンが出先から、密かに五右ェ門へ指示を出しておいたのだ。
「……、フランスの女流人気作家、か」
 ゴールドスミスにビーチで紹介された女に関する資料だった。
 彼女とはすぐにビーチで別れたが、夜にディナーを共にすることになった。ゴールドスミスが明らかにそれを望んでいたからだ。
「フランス南部出身、パリ在住、大学在学中から小説を発表し、いくつものベストセラーを出す。最新作『ジュメイラ・ビーチ』は映画化予定で、まもなくクランクイン」
 ルパンは資料を読み上げながら、しばし眺める。
「……何の変哲もない恋愛小説家か」
 肩をすくめて資料をテーブルにばさっと放ると、ソファにもたれかかった。
「しかし、奴が愛人を連れてくるたぁな」
 次元は言い放って窓の外を見た。
「愛人?」
 ルパンは笑いながら言う。
「バーカ、ありゃあ、モノにした女に対する態度じゃねぇだろ」
 くっくっとおかしそうに肩を揺らして、ネクタイを緩めた。
「……焦らすだけ焦らして、さんざん搾り取るってワケか」
 次元はビーチでの彼女の姿を思い出し、フンッと鼻を鳴らす。
「さ〜あね。ま、多分、あの女はタチの悪ぃ女だ。ある意味、不二子以上にな」
 ルパンは意味深に言いながらも、嬉しそうにニヤニヤする。
 次元は大きくため息をついて、ルパンに背を向けた。

 ブルジュ・アール・アラブの最上階のヨーロピアン・フレンチで、4人は待ち合わせる。
 もこのホテルに滞在という事だった。
 少し遅れて、彼女がやってきた。
「ごめんなさい、お待ちになった?」
 優雅なしぐさで椅子に腰掛けると、申し訳なさそうに言う。
 程良く日焼けをした肌をぴったりと包むゴールドのドレスがなんとも似合っていて、思わず次元も目を奪われた。
「いや、我々もさっき来たところですよ」
 ルパンが静かに言うと、ゴールドスミスがウェイターに料理を運んでくれるよう指示を出した。
 まずはワイングラスが運ばれる。
「……ああ、すいません、私はペリエを」
 がウェイターに言った。
「フランスの方なのに、ワインをお飲みにならない?」
 ルパンが意外そうに尋ねる。
「実家がワイナリーなんですけれど、十三〜四の頃に兄と悪戯をして、蔵にあった樽の新酒をたらふく飲んでしまって。もちろん気持ち悪くなって、一日中起き上がれなくて、親にさんざん叱られました。十年以上経つけれど、それ以来、ワインは飲まないんです」
は恥ずかしそうに笑った。ふっくらとした唇を三日月のように広げ、本当に楽しそうに笑う。ビーチで会った時と同じ笑顔だ。
「ははは、それは勿体無い話ですな」
 ルパンは笑って、ワインの入ったグラスを手に持つ。
「それでは、ドバイの太陽と我々の出会いに乾杯!」
 ゴールドスミスが静かに言って、四人はグラスを鳴らした。

「改めて自己紹介を。私はイギリスのジョシュア・アークライト」
 ワインを一口飲むと、ルパンはに品の良い笑顔を作って見せた。
「こちらは秘書のアレン・フェリックス。全幅の信頼を置いている秘書で、私も多忙でしたり持病もあったりしますので、こうして食事などでも常に同席させていただく失礼をお許しいただきたい」
 きっちりと髪を後ろへなでつけ、メタルフレームの眼鏡をかけた次元は背筋をピンと伸ばしたまま、無表情でを見た。
「アレン・フェリックスです」
 それだけを言う。
「英国の高名な伯爵のお名前は、よく聞いています。お会いできて光栄ですわ。私はフランスのと言います。昼にゴールドスミスさんがご紹介くださったように、小説を書いています」
「本日は、ゴールドスミス氏の案内で町中を堪能させていただきましたが、女史もよくドバイに来られるのですかな?」
 ルパンは口ひげに気をつけながら、ソースのかかった仔牛の肉を口に運ぶ。
「よく、という程ではありませんけれど、『ジュメイラ・ビーチ』という拙作はここ、ドバイが舞台なのでその取材で来るようになりました。ゴールドスミス氏には、それでエージェントを通じて紹介され、とてもお世話になったんです。この都市について、お詳しくていらっしゃるから」
 が言ってちらりとゴールドスミスを見ると、彼は満足そうに笑った。
 また、少年のような顔だ。
「その取材で書いた『ジュメイラ・ビーチ』が、今度映画になるそうで、彼女はそれで下見を兼ねてまたドバイを訪れたというわけです」
 ゴールドスミスは得意気に言った。
 次元はそんな彼をじっと見る。女がどういうつもりかわからないが、とにかくゴールドスミスがにぞっこんな事はよくわかる。
 どうでも良い事だがな、と思いながら料理を口にした。
 
 ゴールドスミスの仕事の事、の小説の事、ドバイの発展状況などの当たり障りのない話をしてディナーは終わった。彼らの話は、たいがいルパン達はすでに入手ずみの情報だったが、二人は初めて聞くようにうなずきながら食事をした。
ゴールドスミスを気分よく取引まで持ってゆくという目的のためには、退屈な食事も仕方がない。
 次元は食事の後、一人ホテルのバーに寄った。
 部屋にはスコッチとビールしかなかったので、久しぶりにバーボンが飲みたかったのだ。
 カウンターに腰を下ろすと、ブッカーズをロックで頼み、煙草に火をつけた。
 やれやれ、悪い仕事じゃないが、こういった長期戦……ロング・コンはどうも疲れる。計画を立ててから、さっさとひと暴れして勝負を決める、といった仕事の方が自分には性に合っている、と彼は改めて思った。
 氷が溶ける前のバーボンをちびちび舐めていると、背後の空気がふわりと一瞬暖かくなったような気がした。はっと振り返ると、そこにはがいた。
「……ご一緒してもよろしい?」
 静かに微笑む彼女に、次元は無言で肩をすくてみせた。

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2007.2.4