恋愛小説家(3)



「えらく初心なオヤジだったじゃねぇか」
 ホテルの部屋に戻ると、次元は眼鏡を外し帽子を頭に載せ、ソファにふんぞり返った。
「なあに、軍需産業の裏まで取り仕切ってる野郎だ。そこそこには食えねぇ奴なんだが、何しろ成金だからな」
 ルパンも変装をとき、煙草をくわて次元の向かいに腰掛ける。
「ここしばらく宝石のコレクターとして、でけぇ買い物をしてるが、奴も言ってたようにサザビーズやなんかのオークションの情報を手に入れるくらいがせいぜいさ。ガストン・ゴールドスミスはコレクターとして、まだ歴史と信用がないからな。奴にはまだ、ルベウスが扱うような、表に出てこない闇ルートのブツを入手するコネがない」
 言って、旨そうに煙を吐き出した。
「奴に食いつかせ、ルベウスと『シルク』の取引をさせる。そして、石と金の両方を俺達が頂くって算段か」
 次元もにやにやと笑いながら、煙草に火をつけた。
「しかしルベウスがドバイで『シルク』をさばくってなぁ、確実なのか?」
 そのまま気分よさそうに煙を吸い込むと、ガタンとテーブルに両足を投げ出す。
「……ルベウスはミャンマーにゃあ、この間の軍人たちのように味方が多いが、敵も多い。宝石は国の重要な収入で、奴はそれを勝手に横流ししてるワケだから無理もねぇ。だから奴の拠点はヤンゴン以外のあちこちにあって、その中の重要なポイントの一つがドバイだ。なんつったって、世界中の金持ちが集まる、金持ちに優しい何でもアリの都市だからな。奴が取り仕切る最新のオークションが、再来週ドバイで行われる。そのオークションに出るかどうかはわからねぇが、まず間違いなく『シルク』はドバイに渡るはずさ」
 ルパンは答えると、グラスを二つ取り出してテーブルに置いた。
「しかし、いいのか、ルパン。こんなヤマぁ、あの女が黙っちゃいないんじゃねぇのか」
「不二子は今頃フロリダ沖にいるさ。コルテスの宝を探してね」
 グラスに氷をカランと入れながら、悪戯っぽく笑う。
「……ニセの情報を掴ませたのか。珍しいな、お前ぇが不二子を避けて仕事をするなんざ」
次元が言うと、ルパンはミニバーからスコッチを取り出して、封を切った。
「……500カラットのルビーって言ったらお前ぇ、15億年以上昔には出来てたワケで、地球の神秘そのものさ。そんな地球の宝物は、切り刻まれ磨かれて女の胸を飾る前に、俺達の酒の肴になる方が相応しいんじゃねえかと思ってね」
 ルパンはボトルからとくとくとまろやかな音を立てて、琥珀色の液体をグラスに注いだ。

 数日後、アークライト卿のもとへガストン・ゴールドスミスから電話があった。
 ドバイでのスケジュールについての問い合わせだった。
 ルパンは散々もったいつけた上で、オークションのスケジュールを伝えた。そしてその翌々日、ゴールドスミスからはそのオークションに参加したいという旨の連絡があった。
 またもったいつけたあげく、ルパンはゴールドスミスとドバイで落ち合う約束をした。
 そして彼らは、ドバイ国際空港に向かう上空から、椰子の木をかたどった巨大で奇妙な人工島「パーム・ジュメイラ」を拝む事となった。
「……まったく化け物みてぇなところだな、ドバイってなぁ」
 眼下を眺めて、シートベルトを締めながら次元はつぶやいた。
「十年前まで、ほっとんど砂漠しかなかったところに高層ビルやらアスファルトの道路やら、びっしりだからな。シェイク・ラーシドは偉大って事だ」
アラブ首長国連邦(UAE)を構成する首長国の一つドバイは、1950年代の末から、当時の首長シェイク・ラーシドの構想によってオイルマネーに頼った経済政策から脱し、今や多額の外国資本の投じられるビジネス大国に成長した。近隣のインドよりも大勢の観光客が訪れ、シンガポールよりも多くの船舶が寄港する。
 砂漠に咲いた、夢の都。
なんとも風変わりで魅惑的な多文化主義の、混沌とした都市である。

ドバイの象徴的なホテルの一つ、ブルジュ・アール・アラブにチェックインした後、ルパンと次元はそれぞれの変装の具合を再度確認した。
ジョシュア・アークライト伯爵と、その秘書アレン・フェリックスだ。
「五右ェ門、今回の隠密活動はお前ぇに任せたぜ」
 ルパンは白い口ひげをなでつけがら言う。
「承知している」
 五右ェ門はソファに胡坐、といういつものスタイルで、静かにうなずいた。
 ルパンと次元よりも先にドバイ入りをしていた五右ェ門は、心なしか日焼けをしたように見えたが、暑さに参った様子はない。心頭滅却すれば何とやらだろうか。
 ドバイに着いてからの二人の最初の仕事は、ゴールドスミスと合流してランチを取る事だった。
 約束の店では、彼はすでに席についていた。
 ポロシャツにチノパンツというすっきりしたいでたちで、ロンドンで会った時よりも若々しく見えた。
 彼らを見つけると、ゴールドスミスは顔をほころばせる。
「ようこそドバイへ」
 冷たいヴィシソワーズを口に運びながら、ゴールドスミスは興奮を隠しきれないような表情でルパンに尋ねた。
「ドバイへはたびたび来られるのですか?」
「私は、そうですな……数回来ていますが、来るたびどんどん様子が変っている。面白いところです」
 ルパンは静かに答えた。
「私は仕事でよく来るのですが、ビジネスにも休暇にも良いところですよ」
 ゴールドスミスは満足気に言う。
 そう、何と言っても軍需を扱う彼に、中東はお得意様だ。
 ルパンが「カモ」としてゴールドスミスに目をつけたのは、彼が金持ちのコレクターであるというだけでなく、その仕事の状況も大きな理由のひとつだった。
 ルベウスが根城としているこの中東の国まで足を運ばせるに、なんともふさわしい人材だ。
 得意そうにドバイについて語るゴールドスミスを横目に、コーヒーをすすりながら、ルパンは笑みを浮かべる。
「それでその……」
 食事をしながら、この都市の最新の情報を一通り聞かせてくれた彼は、口元をぬぐい改まった。
「ルベウス氏のオークションというのは、実際、どういうものですかな?私もルベウス氏は名前だけはよく知っております。あいにくなかなか、懇意になる機会が得られていないのですが……」
 ルパンはコーヒーカップを置いて、しばらく窓の外を眺める。
「……電話でも少しお話しましたが、いわゆるブラックマーケットに分類されるものです。正規の流通やオークションに出ないものが、出品される。意味は、おわかりですな?」
 ゴールドスミスは目でうなずいた。
「簡単に言うと、表に出ない価値の高い品が、限られた者たちの中で取引される。それだけの事です」
「……アークライト卿の口添えがあれば、私もルベウス氏の取引相手となる事が可能なわけですか?」
 ルパンはゆっくり首を縦に振る。
「おお……私はなんという幸運を……」
 ゴールドスミスは一瞬目を閉じて、大きく息をついた。
「先日言っておられた、500カラットのルビーというのも今回のオークションに……?」
 目を開けると声をひそめて尋ねた。
「……それはまだわかりません。が、オークションで、あなたがどういった客か彼が知ることができれば、少なくとも実物を目の前にする事ができる可能性は高くなると思いますよ」
 まったくの予想通りのゴールドスミスの反応に、ルパンは機嫌よく笑いながら言った。
 その笑顔は、ゴールドスミスには、貴族の品の良い笑みに映っている事だろう。

 食事の後、周囲を案内してくれるというゴールドスミス氏の運転手付ベントレーでホテルを出た。
 空調の効いた室内から一歩外へ出ると、むっとした重く熱い空気が襲ってきたが、彼のベントレーの中は快適だった。
 ホテルから海岸に沿って車を少し走らせると、ゴールドスミスは助手席から後部座席の二人を振り返った。
「……少々寄り道をして、かまいませんか?」
「もちろんです、どうぞ」
 ルパンが言うと、ベントレーはホテルのプライベートビーチに入った。
 広い海岸沿いの道に車を停めると、ゴールドスミスは車から降りて砂浜に足を踏み入れた。
 ルパンと次元もそれにならう。
 真っ青な海に向かうとそこに美しくも不自然に浮かぶ、人工の島が見える。
 陸地に立ち並ぶ高層ビルからは、あちこちからクレーンが顔を出していた。
 いかにもドバイらしい景色だ。
 ゴールドスミス氏は、そんな砂浜から海をみつめるとおもむろに手を振った。
 その先を目で追うと、沖で波を待つサーファーが一人。
 彼の姿に気づくと、サーファーはパドリングでやってきて、サーフボードを抱え砂浜に上がってきた。
 真っ白のラッシュガードを着た若い女だった。
「だめね。今日は風がなくて、波が弱いわ」
 女は驚いた顔をしているルパンと次元の前にボードを置いて、後ろで束ねた髪をほどいた。
 濡れそぼった、くすんだ金色の髪が落ちる。
 小柄だが見事なプロポーションの女は、三人を見て、白い歯をのぞかせまさに太陽のように笑った。
 グリーンの瞳に、ふっくらとした唇の、美しい女だった。
 ルパンは彼のその変装をした上からでもわかるくらい、食い入るように女を見つめている。
 次元はその様子を見て「やれやれ」と心でつぶやきながら、再度女を見た。
 白いラッシュガードからは青い花柄のキュートなビキニが透けて見え、引き締まった上腕やウェストのラインが見て取れた。ドバイのビーチを心から楽しんでいる彼女の健康的な美しさは、しかし、何とも言えない蠱惑的な部分を覆いきれず、次元はついその緑色の瞳にじっと見入った。
 そしてはっと視線をゴールドスミスに移すと、海から上がってきた彼女を見た時よりも驚かされる事になる。
 彼は少年のような顔で彼女を見ていた。
 親子以上に歳の離れた女に対し、まるでクラスメイトに片思いをする高校生のような顔で。
「ガストン、こちらが……?」
 女は、ついつい彼女に見とれている様のゴールドスミスに、これまたクラスメイトのように優しく呼びかけた。
「ああ、すまない」
 ゴールドスミスは我に返ったように、ルパンたちの方に向き直った。
「アークライト卿、こちら、女史。パリの小説家で、彼女も仕事の取材でドバイに来たところです。せっかくなので、是非ご紹介をと思い……。、こちらがアークライト卿と秘書のフェリックス氏だ」
 ゴールドスミスは、少年の顔とやり手の実業家の顔を行ったり来たりさせながら、照れくさそうな様子で彼女を紹介した。
 女は大きく口元をほころばせた笑顔のまま、ルパンに手を差し出した。
「初めまして、お会いできて光栄です。です」
「こちらこそ、美しいお嬢さん」
 ルパンも微笑みながら、手を握った。
「小説家をなさっていると。どのような小説をお書きです?」
 彼の質問に、は一層明るく微笑んで答えた。
「恋愛小説です」

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2007.2.2




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