恋愛小説家(13)



 次元に奪取された運転席から、は這い出るように助手席に移動した。
 ドライバーの替わったゲレンデバーゲンは、砂煙を巻き上げながら砂漠を邁進する。
「どうだ、追っ手は!?」
 次元が言うと、はダッシュボードで体を支えながら必死に振り返る。
「……少しずつスピードが落ちてるみたい。よかった、離れて行ってるわ。どうしたのかしら?」
「タイヤの空気圧抜いてねぇだろうからな、用心してるのさ!」
 次元は答えて、更にスピードを上げた。
「どういう事?」
「砂の上を走るにゃ、タイヤの空気圧を抜いておかねぇとスリップするんだよ。砂漠でスタックしちゃ、お陀仏だ」
「じゃあこの車は?」
「抜いてるわけねぇだろ」
 さらりと言う次元に、は目を丸くする。
「大丈夫なの!?」
「さあな!」
 車が軽くジャンプすると、は悲鳴を上げた。
「さあなって……! ちょっと……」
 再度ジャンプして着地をすると、もう一度の悲鳴。
 そして、ブォンブォンとタイヤが空回りする甲高い音と同時にふわりと右サイドが浮き上がり、ゲレンデバーゲンはあっというまに横転した。
 次元は片手でハンドルに捉まりながら、ぎゅうっと目を閉じたを抱きとめていた。
 五右ェ門のジャケットを羽織ったビキニスタイルの美女に、その身体を押し付けられ彼は苦笑いをした。
「悪い気はしねぇが、ちょいとどいてくれないか」
 耳元で言うと、ははっと目を開けた。次元はニッと笑って彼女をよけると、銃を手にして助手席のドアを開け、外に出た。
 追っ手の車は遠巻きにゆっくりと近づいて来る。
 次元が銃を構えながら立っていると、も彼に倣って助手席までよじ登り外へ出てきた。
「……次元……!」
 出てきたものの、おろおろと彼の後ろから追っ手の車を眺める。
 三台の車は、しばらく遠くから横転したゲレンデバーゲンを観察すると、くるりとUターンしていった。
「……どうしたの?」
 去ってゆく車を眺めながら、は不思議そうに次元を見る。
 次元は黙ったまま追っ手が去るのを確認すると、ようやく銃を仕舞った。
 ふうっと息をついて、横転した車をクイッと顎で指した。
「砂漠で車がオシャカになったんだ。とどめを刺さなくとも、野垂れ死ぬと判断したんだろ。深追いして自分の車がハマっちゃ元も子もねぇし、銃殺より砂漠で遭難死の方が後々問題が少ない。アンタは有名人だからな」
「……野垂れ死ぬって、私達が!? 野垂れ死ぬわけ!?」
 声を上げるを見て、次元はため息をつく。
「アンタ、ちったぁ落ち着きな」
 言って空を見上げた。
「もうすぐ日は落ちるが、とりあえず日陰にでも入ってろ。太陽に当たりすぎで頭がイカれちまうぜ」
 次元は横転したゲレンデバーゲンにもたれて座り込んだ。
「……落ち着けって言われても……」
 は、その無様に横っ腹を見せた車と砂漠を見比べてから次元の隣に座った。
 次元はジャケットの内ポケットから煙草を取り出すと火をつけ、旨そうに煙を吐き出す。
「……次元、あなた、あそこに彼が助けに来る事、わかってたのね?」
 は、車にもたれて煙を吐き出す次元を覗き込んだ。
「五右ェ門か? ああ、そうだ。頼りになる奴だからな」
「……助かるって分かってたのに、私を怖がらせようと、あんな事言ったのね?」
 次元はしばらく黙ったまま空を見上げて煙草を吸い、それを靴底でもみ消すと、ニカッとを見て笑った。
「まあな」
 はそんな次元を呆れた顔で見つめた。
「……しかも、彼を品定めさせたわね?」
 そして再度次元に詰め寄る。
「ああん? ……ああ、オークションの時にか」
 次元は思い出し笑いをする。
「……純朴なボウヤ、だったか。恋愛小説家にゃ、どれほど男を見る目があるのかと思ってな」
 相変わらずニヤニヤと笑う次元を、は目を丸くしたままじっと見ていた。
 そして、ふうっとため息をつく。
「それで、私の彼への評価はどうだったのかしら」
「アンタの男を見る目は確かなようだ」
 笑いながら邪魔そうに前髪をかきあげる次元の胸を、は拳で軽くこづいた。
「あなたはいい男だけれど、間違いなくかなり意地悪ね」
 そう言いつつも、もつられてくすくすと笑う。
 地平線に、ゆっくりと真っ赤で大きな太陽が沈んでゆくのが見えた。
 不思議なもので、昼間はその動きをじっと意識する事などないのに、こうして眺めていると太陽はゆっくりだが確実に動いていると実感させられる。
 二人は息を潜めるようにして、その壮大な太陽と砂漠の夕焼けを見つめていた。
「……で、私たちは今度こそここで野垂れ死ぬの? それともまた彼が助けに来てくれるの?」
 次元は左手を上げて腕時計を見た。
「……今度ばかりは五分五分ってところだな。五右ェ門自身もあそこから脱出しなきゃなんねぇし、何にしても奴は一旦ルパンのところに行かなけりゃならねぇ。それに、俺たちがここでスタックしてるのを見つけられるかどうか」
 は、ふうんと言って、砂漠の砂を手に取り、さらさらともてあそんだ。
「……例えば、アンタの小説だったらどうなるんだ? こういう場合」
「私は恋愛小説家よ。銃で狙われながら車で逃げるとか、砂漠で遭難するとか、そんなシーンはありえないもの」
「じゃあ今回は、絶好のフィールドワークになったんじゃねぇか?」
「生きて帰れるんだったらね」
 確かにそうだ、と次元は笑った。
「……恋愛映画でね、こんなシーンを見たことがある。恋に悩む主人公が、ある時ビルのエレベータに数人の人たちと閉じ込められるの。それで、その閉じ込められてる間に、中の人たちで、『ここから無事に出られたら、真っ先に何をしようか』っていう事をそれぞれ話すのよ。そこで主人公は、思い人に心を打ち明けようって決心するの」
 次元は興味なさそうに聞いていた。
「ここから無事に帰れたら、あなたはどうする?」
「俺か? 俺ぁ、そうだな……そりゃあ、ルベウスの奴に一泡ふかせてお宝を頂いて、それで高飛びして今度こそ本物のバカンスを楽しむに決まってる」
 即答する次元に、は声を上げて笑った。
 久しぶりに見せる、あの、大きく口を開けた太陽のような笑顔だった。
「やっぱり男の人のバイブルは、ゴッドファーザーかスティングってところね」
「じゃあ、アンタはどうしようってんだ?」
 次元は煙草をくわえながら尋ねた。
「私は……そうねえ……」
 はすっかり太陽の沈んだ空を見上げながらつぶやく。
 あっというまに暗くなった空には、少しずつ星が見えていた。
「実は私、父親と喧嘩していて、大学を卒業してから一度もコート・デュローヌの家に帰ってないの。私が浮ついた小説ばかり書いてるって、父はいつも怒ってばかりだったから。だから……久しぶりに家に帰って、赤ワインを飲むのも悪くないかなって思ってる。生きて戻れたらね」
 そう言って笑うの周りには、なぜか葡萄畑が見えるようで、次元は火のついた煙草を吸うのも忘れ、じっと彼女を見ていた。
 どうしてだろう。
 この、都会に生きる売れっ子の恋愛小説家の中には、いつだって青い空や海や葡萄畑が見える。華奢なその身体の中からあふれるその眩しいパワーは、いつもいつもチリチリと次元の胸を焦がすのだ。
「……コート・ディローヌの赤か。悪くないな」
 次元はふうっと長い吐息の後、またを見た。
「アンタの小説に銃撃戦はないだろうが、しかし、こんな風にリゾート地で出会った男女が、砂漠で二人きりでいたりしたら一体どんな展開になるんだ?」
 煙草を放って、笑いながら言った。
 その質問に、もくすくすと笑う。
「そうね、さすがに砂漠の星空の下だったら……身体を寄せ合って、キスのひとつでも交わすシーンくらいは必要かもしれないわ。若干、陳腐ではあるけれど」
「髭を生やした男とキスをした経験は?」
「触れた事さえ、この前が初めてなのに、キスなんてした事あるわけないじゃない」
「じゃあ、フィールドワークが必要なんじゃねぇか?」
 くすくすと笑うの、砂漠の砂の色をした髪にそっと触れた。
「でも、だいたい想像はつくもの」
「想像じゃなく、現実にしたらいい」
 次元はそう言うと、の頭を引き寄せ唇を重ねた。
 いつも大きく開いて笑うのたっぷりとした唇は、くちづけると思いがけず大人しく、からめた舌はオフショアが吹き続けた後の波のように遠慮がちだった。
 そっと唇を離すと、潤んだの瞳が見えた。
「……俺からはどんな音がするんだ? あんたには、男が血を上らせる音が聞こえるんだろう?」
 からかうように言うと、は顔を赤らめながら小さく笑った。
「だめよ。自分の心臓の音の方が大きい場合は、何も、聞こえなくなってしまうみたい」
 彼女のささやくような声を聞いた後、次元は再度抱き寄せ、くちづけながらゆっくりと彼女の身体を砂の上に横たえた。
 このドバイの砂漠と、彼女の身体と、自分自身が。
 ゆっくりと溶け合ってゆくような感覚だった。
「……次元……」
 彼の名を呼ぶ甘い声を聞きながら、何度もくちづける。五右ェ門のジャケットの下にするりと手を差し入れ、そのすべすべとした背中に指を滑らせると、オンショアの波のように彼女の呼吸が乱れる。そして次元はまた、その唇を覆い舌をからめていった。
 その時、低く鈍い音が地面を伝わってくる。
 そして突然にまぶしい光。
 次元がハッと身体を起こすと、ランドローバーのライトが二人を照らしていた。
「……すまねぇな、五右ェ門……」
 言いかけて、ハッと息を飲む。
 そのライトをバックにしたシルエットは、石川五右ェ門のそれではなかった。
「私がバカみたいにフロリダ沖でサルベージでもしてると思った?」
 サブリナ丈のパンツを身につけた、峰不二子だった。
「やっとルパンを見つけたと思ったら、いきなり砂漠へアナタのお迎えだなんてついてない。その時計の発信機、性能良いからすぐ見つかってよかったケド」
 不二子は言うと、次元に帽子を放ってよこした。
 次元は帽子を被ると、うつむいて決まり悪そうにため息をつき、腕時計のリューズを回す。すると文字盤の隅の小さなライトの点滅が消えた。
「……次元、あなた、また騙したのね? 五分五分だなんて」
 はそれをのぞきこみながら憤慨したように言う。
「……まあな」
 帽子の下からニカッと笑う彼の髭を、はギュッと引っ張った。

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2007.4.16




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