恋愛小説家 (12)



「もう少し準備をするつもりであったのに、次元がこんなに早くに騒ぎを起こすとは計算違いだ」
 ルベウスの部下に扮していた石川五右ェ門は、窮屈そうにそのネクタイを緩めた。
「仕方ないだろう。そいつが女に薬を使おうとしやがった」
 次元は立ち上がって、倒れこんだダウードに一瞥くれると、イテテと声を出しながらあちこちをさする。怪訝そうに二人を見るに向かって、ニヤリと笑った。
「ああ、こいつは石川五右ェ門といって俺たちの仲間だ。一足先にドバイ入りして、ルベウスの部下として潜り込んでたのさ。ちなみに、アンタの小説のファンらしい」
 次元が悪戯っぽく言うと、五右ェ門は慌てた様子で一瞬顔を赤らめ、に向かって小さく目礼をした。は相変わらず驚いた顔で彼を見る。
「次元、無駄口をたたいている暇はないぞ」
 五右ェ門はそう言うと、次元に彼の愛銃を渡した。そして自分が押してきた囲いのついた台車のようなものから、白い布にくるまれた長い包みを取り上げる。
 布の中からは、彼の白鞘の斬鉄剣が姿を現した。
「とりあえずここに乗れ」
 その台車を指す。
「何だ、こりゃ?」
「専ら、ルベウスが取り扱っている『人間』を運ぶ台車だ。この屋敷は、奴が人身売買で扱っている者を監禁しておく施設としても使われているのでな」
 嫌悪感たっぷりの五右ェ門の返答に、次元は肩をすくめた。
「そりゃ、ぞっとしねぇな」
 台車の中に足を踏み入れた次元にも倣おうとすると、五右ェ門が呼び止めた。
「……これを、召されるが良い」
 彼女の成りに、どうも目の遣りどころに困った様の五右ェ門が、彼のジャケットを差し出した。
「……どうもありがとう」
 が少し口元を緩めて礼を言うと、五右ェ門は照れくさそうに顔をそむけた。
 台車の中でおかしそうに体を揺らす次元に、お前は気がきかんぞ、と言い捨てて五右ェ門は台車を押し始める。
 次元とは、台車の中で息を潜めた。
 廊下をゆっくりと押されて行くのだが、誰かが五右ェ門を呼び止める声がした。
 次元の隣で横たわっているが、びくりと震える。
「おい、リウ・ヤン。そいつらはダウードさんが連れてきた奴らか?」
 流暢な英語が聞こえ、台車の動きが止まった。
「はい、離れの地下へ移動するよう言われました」
 五右ェ門が中国なまりの英語で答え、またすぐに台車は動き出す。次元は胸をなでおろした。
「次元、外のゲレンデバーゲンにキーをつけてある。屋敷を出たら、彼女とそれに乗れ。俺は別口で脱出する」
 台車を押しながら五右ェ門は次元に小声でささやいた。彼を見上げて、うなずこうとした瞬間、背後の方が騒がしいのに気づく。大声でダウードの名が呼ばれていた。
「おい、五右ェ門、やべぇ!」
「わかっている!」
 次元が言うと同時に、五右ェ門は台車を押すスピードを上げていた。
 背後からは現地の言葉が飛び交い、足音が響く。次元は台車の中から起き上がり、五右ェ門に刀を手渡した。
「走るぜ!」
 の手を取って、台車から飛び降り出入り口に向かって走る。
 周りからは、武器を手にしたルベウスの部下たちが前から後ろからと迫ってきていた。
 五右ェ門はくるりと振り返ると、押してきた台車を思い切り後方へ押し戻す。
「うわっ!」
 追ってきた何人かが、それに衝突してもんどりうった。
 前方で銃を構えている男たちには、次元が遠慮なく発砲した。構えた銃を弾き飛ばされた男たちが、その両手への衝撃に耐えられず顔をしかめる。次元の撃った一発は外への扉を撃ちぬき、そこから光が差し込んだ。
 が、外にはまた新たに銃を構えた男たちが彼らに銃口を向けていた。
 の足が一瞬止まりそうになる。
、いいから走れ!」
 次元は彼女の手を引いた。
「でも次元、撃たれるわ!」
 躊躇する彼女の手を、更に次元はしっかり握りしめ、尚もぐいと引っ張る。
 前方では4人ほどの男が銃を構え、腰を落としまさに発砲せんとするところだった。
 悲鳴を上げるの上を、五右ェ門がひらりと飛び越えるのと銃声が響くのはほどんど同時で、目の前で発砲されたのは確実であるがその弾丸は3人のうちの誰にも当たる事はなかった。
「……こいつの刀は弾丸も斬り落とせるのさ」
 顔をこわばらせたに、次元はニッと笑ってみせる。
 呆然としつつ銃を撃ち続ける男たちの後方に、メルセデスのハードな4WDが見えた。
「五右ェ門、すまねぇ、後は頼んだぜ!」
「まかせておけ!」
 言うと、次元はゲレンデバーゲンに飛び乗った。
「急いで出せ!」
「……私が運転するの!?」
 運転席ではが心細そうに声を上げる。
「じゃあ、アンタが銃を撃つか?」
 はあわててエンジンを始動して、車を発進させた。
 彼らの車に発砲してくる男たちに向かって次元は何発かお見舞いして、リボルバーに新たな弾丸を込めなおす。
 背後では、残った車を五右ェ門がどんどん真っ二つに斬り捨ててゆくのが見える。が、さすがに全ての車を使用不可能にするのは無理だったと見え、2台の車が次元たちを追って来た。さらに、裏の方からも一台やってくる。
「どっちに行けば良いの!?」
「町の方に決まってるだろ!」
 窓から半身を乗り出して後方を確認しながら次元は叫んだ。
「ダメだわ、だって、そっちの道には一台来てるもの!」
 裏手からやってきた一台が、町の方へ行く道をふさぎ、ゲレンデバーゲンは自ずと砂漠への道へ向かわざるを得ない。
「チッ……」
 次元は自分達が向かう方角を見て、舌打ちをする。
 恋愛小説家はあまり運転が得意ではないようで、追っ手はどんどん近づいて来た。次元はそのタイヤを狙って撃つのだが、案の定一発で撃ちぬく事はできない。やはり普通の装備ではないのだろう。
「クソ、替われ!」
 次元は運転席のを押しのけて、ハンドルを握った。
 目の前に広がるのは、の髪と同じ色をした広大な砂漠。
 もう一度追っ手を振り返ると、次元は心を決めて、砂漠に向かって思い切りアクセルを踏み込む。

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2007.4.4




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