恋愛小説家(11)



「ルベウスの野郎、やりやがったな、クソッ」
 次元は部屋に戻ると、頭を掻きむしった。
 銭形警部を呼び寄せるとは、まったくストレートでかつ効果的な牽制手段だった。
「それより、次元」
 ルパンはアークライトのマスクを外すと、低くつぶやいた。
「彼女は大丈夫か?」
 窓の外のビーチを、クイッと親指で指す。
 次元は乱れた髪をなおしてため息をつき、ホルスターの愛銃を確かめると何も言わず部屋を出た。

 次元は革靴の中に砂が入るのを気にしながら、ゆっくりとビーチを歩く。
 金持ちそうなでっぷりとしたご婦人が談笑している間を抜け、恋愛小説家を探した。
 いきなりルベウスが彼女に何かを仕掛けてくるとは考えにくいが、昨日の話の流れから、もしかすると彼女とルパンの何らかの関わりを勘ぐる事もあるかもしれない。
 砂に足をとられながら歩いていると、パラソルの下で髪をほどいているを見つけた。
 次元は安堵しつつ、ペパーミントグリーンのビキニの彼女を見つめた。
 まったく太陽の下で、なんて幸せそうな顔をするんだろうな、こっちの大変な災難も知らないで。と、思わず苦笑いをする。
 面倒な女なのに、どうも憎めない。
 やれやれ、と頭を掻いた。
 砂を払ってビーチサンダルを履いて、顔を上げたは次元に気づき、思い切り唇を広げるあの笑顔で彼を見た。
「どうしたの? 海に来るなんて珍しい」
 サーフボードを手に持って、彼の傍に歩み寄った。
「今日の風は如何でした?」
 次元が問うと、彼女はいっそう顔を輝かせる。
「今日のオフショアは最高。いい波で、一年分くらい楽しめたわ」
 言いながら、水場で真水を頭から被る。
 滑らかな肌にしたたる滴をタオルでふき取ると、鮮やかな模様のストールをくるりと腰に巻いた。
「あなたは海には入らないの?」
「……仕事中ですので」
「ああ……そうね」
 ゆっくりとホテルの方へと歩いていった。
 靴の中に砂が入らないようにという努力を、次元はすっかり諦めていた。
「あなた方はいつまでここに滞在するの?」
「……今のところ、ゴールドスミス氏とルベウス氏の取引が終わったらすぐに、一旦帰国する予定です」
 次元が言うと、は道路に出たところで足を止め、彼を見た。
「じゃあ、もう明日か明後日?」
「できれば明日には」
「……」
 は濡れた髪をかき上げながら少し考えをめぐらせるような顔をし、また次元を見る。
「リゾート先で出会った男女は、大抵の小説や映画で、最後の日にディナーを共にするものよ。もし伯爵とのご予定がなかったら、たまにはそんな陳腐な展開に倣ってみない? あなたにはお世話になったし、ご馳走するわ」
 少し照れくさそうに言う彼女に、次元はため息をつく。
 アンタのせいで、銭形は来るわ、計画はさっぱりどうなるかわからなくなっちまうわ、それどころじゃねぇんだよ、と心で悪態をつくが、なぜか口元はほころんだ。
「では、お言葉に甘えて」
 次元はわざとらしく頭をさげると、慇懃に言った。
 思い切り高いディナーを食ってやろう。そうすれば少しは溜飲が下がるだろうか。
 は次元の仕草を見て、おかしそうに笑う。
 ホテル続く道を歩いてゆくと二人の傍に、すうっと静かにリムジンが止まった。
 そして後部座席からは、浅黒い肌をした男が出てきた。
 ルベウスの部下、サーリム・ダウードだ。
 次元はザワリと全身の毛穴が開き、ジャケットの下の銃を握り締める。
 日中の光の下で、サーリム・ダウードはよりギラギラとした目をしていた。
「こんにちは、先日はどうも。ミスタ・フェリックスに、ミズ・。ビーチを楽しまれたところで?」
 の姿を舐めるように見ながら、ダウードはゆっくりと言った。
「ええ、今日は最高のコンディションでした。あなたも、海に?」
 突然の彼の登場に、は怪訝そうな顔をしながら答えた。
 次元は考えた。
 不自然であっても、一刻も早くを連れてここを離れるべきか? それともなんとか対応して、アレン・フェリックスとして穏便に切り抜けるべきか?
「私は、ミスタ・フェリックスに用がありましてね。しかしあなたもご一緒とは、ラッキーでした」
 真っ白な歯を見せて、に向かって笑った。
 そして次の瞬間、はリムジンの後部座席に引きずり込まれていった。
 ガランガランと彼女のサーフボードが地面に転がる。
「クソッ」
 次元は銃を抜くが、ダウードが余裕の微笑みを浮かべて銃口の前に手を掲げた。
「決断が遅かったようだな、次元大介。女を見殺しにできるような男じゃないだろう? 銃を渡せ」
 次元はぎりぎりと歯を擦り合わせ、くるりと銃をダウードに渡す。
「乗れ」
 ダウードは得意げに次元の銃を彼に向けると、顎でリムジンの後部座席を指した。
 車内にはかすかにツンと鼻をつく匂いが漂っている。
 見ると、は既に豪奢な座席に横たわって目を閉じていた。薬をかがされたのだろう。
 まったく失敗だった、と次元は己を忌々しく思う。
 二つのミスをした。
 奴らはルパンを牽制するために、「秘書」の次元を狙った。
「アークライト卿」本人よりも「秘書」の方が狙いやすい。次元はの身を案じつつも、結局は巻き込む形になったという事だ。
 そしてダウードの姿を見た時、騒ぎを起こしてでもその場を離れるべきだったのだ。
 畜生、とつぶやく彼の鼻腔に思い切りキツイ薬の匂いが近づき、そして彼は意識を失った。


 次元が目を開けると、まず真っ白な天井が目に入った。
 少しその奥が痛む頭に手をやって、ゆっくり体を起こした。
 そこはソファにテーブル、いくつかの調度品の置いてある、比較的豪華な応接室といったところだ。ただ、窓は一つもない。
 彼はソファに寝かされており、案の定両手には手錠がかかっていた。
 そしてはっと向かいのソファを見ると、同様に手錠をかけられたが横たわっていた。
 次元はあわてて立ち上がり、彼女の傍らでその顔を覗き込んだ。
「……おい、大丈夫か!?」
 彼女の肩に触れ、何度か名前を呼ぶ。
 しばらくすると、彼女はゆっくりと瞼を開けた。次元はひとまず胸をなでおろした。
 間近で顔を覗き込んでいる彼と目があうと、彼女は驚いた顔をして、体を起こした。
「……アレン、一体……これ、どうしたの?」
 彼女は両手の手錠を見て、眉をひそめる。
「確か、サーリム・ダウードが……」
 不安そうな顔で次元を見ていた。
 その時、かちゃりと小さな音がして部屋の扉が開いた。
 二人ははっとそちらを振り返る。
 昨日ランチを共にした時と同じ笑顔の、ルベウスが立っていた。
 薄い唇を、軽く開いたあの笑顔で。
「ようこそ、女史に、そして次元大介」
 低いが、よく通る声で言った。
「……招待に応じた記憶はねぇんだがな」
 次元はルベウスを睨みつけながら言った。
 は戸惑った様子で、次元とルベウスを交互に見る。
「ミャンマーで懲りたかと思いましたよ。周到な仕掛けをしてここまで来るとは、こそ泥の割にはよくやったと恐れ入ります」
「そりゃ、どうも」
 次元はどかっとソファに座ると、両足をテーブルに投げ出した。
「明日の取引に邪魔が入ると困りますからね、インターポールにも手は打ちましたが、あなたは保険です。しばらく大人しくしていただきましょう」
「……女は関係ねぇだろう」
 次元が言うと、ルベウスは声を立てて笑った。
「ダウードが彼女には執心のようでね、また、私の副業においてかなりの商品価値を持つお嬢さんのようなので一緒に来ていただきました」
 次元はソファから体を起こして、ギリッとルベウスを睨みつける。
 その様を見て、ルベウスは満足そうに息をついた。
「ミャンマーもドバイも、私のテリトリーだ。いかにルパン三世とはいえ、単なるコソドロじゃ歯が立たないと、どうしてなかなかご理解いただけないのか分かりかねます。しばし、その辺りを自省してはどうですか? では、後はダウードに任せてありますので、私はこれで失礼」
 ルベウスはそれだけ言うと、部屋を後にする。
 がちゃりと鍵をかける音がした。
 が目を丸くして、次元を見た。
「……アレン、彼が言っていたのは……どういう事?」
 次元は手錠のまま、髪をかきあげて天井を見、ため息をついた。
「悪いな、俺は本当は次元大介ってんだ。あんたの小説に出てくるような、紳士じゃねえ。泥棒野郎さ」
 身を乗り出すに、次元は渋々自分達の事について説明をした。
「じゃあ、あのアークライト卿がルパン三世?」
 当然ながら、は驚いた声を上げた。
「そうだ。そもそも、アークライト卿ってのは実体は存在しない。ルパンが金と組織で作り上げた、奴のいくつか持っている顔の一つだ」
「……それで、ピンブローチを……」
 は納得したような顔でつぶやいた。
 こんな時だというのに、ピンブローチもあるまいと、次元はまたため息をつく。
「そもそもあんたが、あの場でアルセーヌ・ルパンの名前なんか出さなきゃ、ルベウスに感づかれる事もなかったはずなんだがな」
 次元は恨めしげに吐き捨てた。
 ずっとこう言ってやりたいと思っていたのだ。
「……そうね、ごめんなさい。でも、仕方ないじゃない。知らなかったんだもの」
「ま、そりゃそうだ」
 ケッと両足を投げ出してソファに体を埋めた。
 はそんな彼をじっと見る。
「でも、納得だわ。あなた、やっぱりそうしてる方が自然ね」
「……元々上品なタチじゃないんでね」
 ぶっきらぼうに言った。
「ところで、私たち、どうなるの?」
「とりあえず取引が終わるまでは監禁されるだろうな」
「ルベウスが言ってた、副業って?」
「……奴はここで人身売買を取り仕切っている。あんたを部下に弄ばせた後、高額で売りに出そうって算段だろ」
 は飛び上がって次元の隣に座った。
「それは困るわ。ああいうサドっ気のある人は好みじゃないって言ったでしょう。なんとかならないの、泥棒さん」
「銃も奪われて、手錠もかけられてじゃ、何もできねぇよ。これはフィクションじゃなくて、ノンフィクションだぜ、作家先生」
 次元がわざとらしく両手を上げて手錠をじゃらじゃら鳴らして見せると、は眉間に皺を寄せて立ち上がり、部屋をうろうろと歩く。
 すると再度、扉が音を立てて開いた。
 今度現れたのは、サーリム・ダウードだった。
 はびくりとして、あわてて次元の傍に近寄った。
 が、ずんずんと部屋に入ってきたダウードにその腕をぐいとつかまれ、立ち上がらされた。
「今日はまた刺激的ないでたちですな」
 水着のままのを見て、にやりと笑う。
「着替える暇もなかったじゃないの」
「どうせ全部脱ぐ事になるから、構わない」
 彼の手には銀色のトレイがあった。
 次元はゆっくり立ち上がる。
「趣味の悪いことはよせ」
 静かに言った。
 ダウードはトレイの中から10CCほどのサイズのシリンジを取り出した。
「こそ泥に言われる筋合いはない」
 相変わらずのギラギラとした笑いを浮かべながら、の腕を引き寄せる。
「やめてちょうだい」
 は抵抗するが、当然力でかなうはずもなかった。
 慣れた手つきで彼女の腕にシリンジの針を突き立てようとするダウードの手に、次元の長い脚が振り上げられた。
 ウッという彼のうめき声と共に、シリンジが部屋の壁に飛ぶ。
 自由になったはあわててダウードから離れる。
「モテない野郎は、やることがいちいち下品で見苦しいぜ」
 顔色一つかえない次元を、ダウードはギリギリと睨みつけ、そして銃をつきつけた。
「自分の立場がわかってないようだな。お前はいつ殺したって構わねぇんだぜ?」
 次元の額に銃口を突きつけると、みぞおちに思い切り膝蹴りを喰らわせた。
「ぐうっ」
 次元は唸って床に崩れ落ちる。
「……じ……次元!」
 が悲鳴を上げる。
「……それはウソだな。ルベウスから、明日までは生かしておけと命令されてるはずだぜ?」
 次元がうずくまりながらも言うと、ダウードは言葉をつまらせ、銃を向けたまま今度は靴の先で次元の腹を蹴った。
「やめて!」
 はか細い声を絞り出して、ダウードに詰め寄った。
「うるさい!」
 は、ソファの背に突き飛ばされた。
「ほらな、女に手を上げたりするから、モテねぇんだよ」
 次元が顔を上げて、ニヤリと笑う。
 ダウードの銃を持つ手が怒りで震えた。
 そして改めて、銃口が次元の額に向けられる。
「次元!」
 が叫ぶのと、ダウードが突然床に倒れこむのは同時だった。
 ダウードの背後から現れた、彼を殴り倒した青年を、は目を丸くして見つめる。
「……あなたは、確か……リウ・ヤン?」
 オークションの日、ルパンたちの案内係をやっていた中国系の青年だった。
 その姿勢の良い青年に、次元はいてて、と立ち上がりながら笑って言った。
「遅かったじゃねぇか、五右ェ門。ここでの暮しはそんなに快適だったのか?」
「バカを言うな。次元がモメるのが早すぎる」
 やれやれといった顔で次元を助け起こす彼を、は目を丸くしたまま見ていた。

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2007.3.25




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