恋愛小説家(10)



500カラットのルビー『シルク』の取引を明日に控えた朝、次元は何とも手持ち無沙汰な気分でいた。
当初はリゾート地で楽勝の仕事だなんて構えていたが、こうやってじりじり待ちの仕事はやはり性に合わない。
そんな事を、今回は何度考えただろう。
ひと暴れするほうがやっぱり肌に合うようだ。
ルパンのスウィートから外を眺めると、晴天に程良い風。
おそらく恋愛小説家は、またビーチに出ている事だろう。一瞬そんな事を考えて、彼はチッと舌打ちをする。
明日だ。
明日、ゴールドスミスがルベウスと取引をして、そして現金とルビーをかすめ取る段取りが終われば、この蒸し暑い歪なリゾート地とも、あの風変わりな恋愛小説家ともおさらばだ。
次元は心でそうつぶやきながら、窓ガラスに映る自分を見つめてその変装をチェックした。
と、ルパンがなにやら資料を放ってくる。
「何だ?」
つぶやいて、それを手に取った。
「五右ェ門がよこした報告だ。ルベウスのトバイでのもうひとつの顔さ」
ルパンはアークライトの顔のマスクを手でもてあそびながら言った。
この暑い土地では、なるべく外していたいらしい。
次元は資料に目を落とすと、すぐに眉をひそめる。
「胸クソ悪ぃ」
 一言そう言い捨てて、資料をソファに放った。
「ドバイが奴の拠点の一つってのも、納得だろう?」
 ルパンは煙草に火をつける。
 資料は、ルベウスがこのドバイで繰り広げている人身売買に関するものだった。
 彼はそのコネクションを利用して、主に東南アジアや中国人を対象とした人身売買のシンジケートを取り仕切っているようだ。
 彼の莫大な資金源は、宝石だけではないという事だ。
 次元は改めて、窓の外を見る。
 海にはおとぎの国のような人工島、パームジュメイラが広がっている。
 美しいその姿の底には、一体どんな混沌としたものが沈殿しているのだろうか。
 ま、俺が言えた義理じゃねぇけどな。
 次元は心でつぶやいて、煙草をくわえた。

 明日の段取りは極めてシンプルだ。
 取引現場に、現金とルビーが一緒に現れる。
 そして、取引を行う部屋の人間……ルベウスとゴールドスミス、および警備……をガスで眠らせる。監視カメラに細工をして、部屋の外の警備に気づかれる前に現金と石を持って屋敷を出て、金はフリーゾーンでクリーニングしあとは石を持って飛行機でトンズラ。
 勿論、第二、第三のプランもあるので、ルパンと次元は部屋の中で使用機材のチェックなどを念入りに行っていた。
 するとルパンの部屋の電話が鳴る。
「ああ、アークライトだが」
 ルパンはひょいと受話器を取ると、アークライトの声色で穏やかに応対する。
 次元は自らの作業をしながら、横目で電話を受けるルパンを見た。
「ああ、うん……はあっ!? ああ、いや……うむ、わかった……構わない」
 ルパンが受話器を置いた。
 次元は、彼のその平静とは言いがたい様に顔を上げた。
「どうした、ルパン?」
 ルパンは煙草に火をつけ、すうっとそれを吸い込んで煙を吐き出し、そしてすぐさままだ長い煙草を灰皿に置いた。
「……銭形が来る」
 さらりと言うルパンに、次元は手元の工具をぽろりと落とした。
「はあっ!?」
「今、ホテルのフロントに、アークライト伯爵を訪ねて、銭形が来てるらしい」
 改めてルパンが言った。
 ゆっくりと、マスクを被る。
「どういう事だ、そりゃ?」
「……ルベウスが手を回したとしか考えられねぇだろ」
 ルパンは言いながら、テーブルの上を片付け始めた。
「オイ、まさか奴がここに……?」
 次元の言葉に、ルパンは軽くうなずいた。
「もうすぐ来るぜ。だって、とっつぁんはごまかしてもしつこいだろ?」
 ルパンがニヤリと笑った。次元もあわてて機材を片付けた。
「……あ、俺はこの変装じゃすぐにバレるな」
 次元が別室へ行こうとすると、それをルパンが呼び止めた。
「構わねぇよ、次元」
 次元は驚いて振り返る。
「どうせ、銭形にはわかってる。今更隠れたって、意味ねぇよ」
 ルパンの言葉に、次元はため息をついて髪をかき上げ、眼鏡をかけた。

 約10分ほどたった後だろうか。
 ルパンの部屋のドアがノックされた。
 次元は舌打ちをして、そしてドアに向かう。
 確認をして、渋々扉を開けると、そこには見慣れた日本人がいた。
 正確には、いつもよりだいぶくたびれた様子の銭形警部だった。
「どうぞ。アークライト卿がお待ちです」
 次元がわざとらしく言うと、銭形警部はギロリと彼をにらんだ。
 まったく、やり辛い茶番だ。
 アークライト卿に扮したルパンが控えるソファへ、銭形を案内する。
 銭形の姿を確認すると、ルパンはソファから立ち上がり、銭形に笑顔を向けた。
「初めまして、ジョシュア・アークライトです」
 ルパンはきっちりとアークライトの声色で銭形に挨拶をし、手を差し出した。
 銭形は何も言わず、ギロリとルパンを睨んだまま、手を差し出す。
 ルパンがソファに腰掛けると、銭形もそれに倣った。次元もルパンの隣に腰を下ろす。
「インターポールの銭形です。率直に申し上げますと、ある筋から、アークライト卿、あなたが指名手配犯・ルパン三世と何からの濃いつながりがある、という情報を頂いたわけですが、実際のところどういった訳でしょうな?」
 銭形の顔はうっすら脂が浮いて、顎周りには、青々と無精ひげが生えていた。
 おそらく、ルパンを追って東南アジアにいたところ、ルベウスに声をかけられバンコクあたりからあわてて直行便で飛んできたばかり、といったところか。
 その疲れ果てた風貌とはうらはらに、ギラギラとした執念が伝わってくる。
 ルパンはマスクでニヤニヤとした顔を作って、銭形を見た。
 銭形はルパンの顔と、そして次元の顔を交互に眺めながらも、その、人をも殺せそうな視線を送ってくる。
「……それはそれは突然の訪問に、突然のお尋ねですな」
 次元は彼らのやりとりに、若干ひやひやする。
 何しろ、どうやら銭形はこれがルパンだということはとっくに承知だし、ルパンもそれをわかっている。
 ただ銭形にとって、この表だっては立派な英国の伯爵に簡単に手を出せないという事、そしてルパン三世は何としても現行犯で逮捕したいというプライドによって、このぎりぎりの表面張力が保たれているのだ。
「……失礼ですが、その情報というのは、どちらから得ておられるので?」
 ルパンは何食わぬ声で銭形に尋ねた。
「それは職務上の機密でお伝えできません」 
 銭形はきりりとした声で答えた。
 おそらく想定どおりのその答えに、ルパンは軽く笑った。
「銭形さん、と申しましたかな? インターポールの?」
 慇懃に言う。
「ご参考までに、どうぞ」
 そして、ルパンは茶封筒に入った資料を銭形に手渡した。
 五右ェ門が調べ上げた、ルベウスの人身売買に関する資料だった。
 銭形はうさんくさそうにその中身をあらためると、うっと顔色を変え、そして憎憎しげにルパンを見た。
「……こちらには情報提供がお好きな方が多いようですな」
「さあ、どうでしょう。私はここに滞在しておりますので、またいつでもどうぞ」
 ルパンは言うと、銭形に退出を促した。
 次元は秘書らしく、銭形を出入り口まで見送る。
「……何を企んどるんだ?」
 部屋の扉のところで、銭形は顎をごりごりとなでながら、ついに次元につぶやいた。
 次元は眼鏡をクイと持ち上げ、これまた慇懃に礼をした。
「インシャーアッラー(アラーの御心のままに)」
 彼がそう言って頭を下げると、銭形はケッとあからさまに悪態をついて部屋を出て行った。

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2007.3.22




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