DIVA(3)



男は窓枠からロープを投げ、それを伝って屋根に登った。は驚きながらもそれに続く。仕事柄、身体のトレーニングは欠かさないので身体能力に自信はあった。が、アパートの3階からロープを伝って屋根に登るなんてことをするとは想像もしなかった。細いロープを伝って風にあおられながら登るのは想像以上に大変だったが、おそらくこうしないと自分は助からない。そんな気がした。何度も滑りそうになっててこずりながら屋根近くまで登ると、手がさしのべられる。彼の手だった。
何も言わずに手を差し出すと、ぐっと掴まれてそのまま引き上げられた。彼の手は大きく、暖かかった。男の手に、こんな風に安心したのはどれだけぶりだろう。思い出せなかった。そんなの気持ちを見透かすように、男は言った。
「安心するのははやいぜ。奴らはもう踏み込んできている。」
彼の言葉どおり、屋根の下ではやけにさわがしかった。
男はくるりと彼女に背を向けて、スラム街の込み入った建物の屋根をひょいひょいと飛び抜けて走ってゆく。ついて来いとは言われていないけれど、付いて行かざるを得ない。もそれに続く。いくつかの屋根を越えて、町の外れまで来た。男は、彼女を確認しているのか追ってを確認しているのか時折振り返る。少しずつ階の低い建物を移動しながら町に降り立った。
「・・・・・・ここまで来たらとりあえず大丈夫だろう。身よりの者なら辛いかもしれねえが、しばらくステファニー・クーガーの事は忘れるこった。それが身のためだぜ。」
男は全てを予測していたのか、町のはずれに停めてあった古い型のオープンのメルセデスに乗り込んで彼女に軽く手を上げた。エンジンをかけて走り去ろうとする。
「待って。」
は走ってその車に飛び乗った。男は車を走らせたまま驚いた顔で彼女を見る。
「おい、俺は忙しいって言っただろう。あんたと飯食ってる暇はねえんだ。」
「ご飯なんかどうでもいいのよ。どうしてステファニーは殺されたの?さっき追ってきたのは一体誰?そしてあなたは何者?」
はきっとして男を見た。男は困ったような顔をする。帽子が無事ならば、きっとそれを目深にかぶりたいところなのだろう。
「そう、いっぺんに聞くなよ。まいったな。俺は女につきまとわれるのは苦手なんだが。」
「あなたが自分のスタイルを貫くのは勝手だわ。でも、人が死んだのよ。ふざけないでいてくれる?」
男の軽口などにつきあっている気分ではなかった。いくら、自分が興味を持った男であっても。
「・・・・・そうだな、悪かった・・・。」
また、あのやけに素直な態度。
「・・・・けど、堅気のねえちゃんが俺に関わるのはあまりお勧めじゃないんだがな。」
「関係ないわ。私はしつこいし、決断は早いのよ。私の知りたいことをあなたから聞くまでは車を降りないわ。あなたは何者なの?」
「・・・・・・やれやれ。世界が注目する歌姫が俺の名前なんか聞いて関わったら、ただじゃすまねえぜ。お勧めじゃねえな。」
男は降参したようにまた笑った。は驚いて目を丸くする。
「あなた・・・・、私の事を知っているの!?」
今度は男は声を立てて笑う。
「知ってるのかって。隠遁生活でもしてねえ限り、あんたの顔写真や歌やなんか嫌でも目に入る。ま、だからといって男という男が、あんたに会ってありがたがるとは限らねえけどな。」
は思わずカッと赤くなる。でもその思いは飲み込んだ。
「・・・・・・あなたが私の名前を知っているのに、私があなたをしらないのは不公平だわ。」
「俺は、次元大介。次元、でいい。」
運転しながら、の方を見ることもせず彼は名乗った。
「ジゲン、ダイスケ・・・・・。」
はゆっくりそれを繰り返した。
「で、どこまでついてくるつもりだ?」
「言ったでしょう。残りの質問に、あなたが答えるまでよ。」
「それは車の中で話すにゃあ、ちょいと長くなる。俺達のアジトまで来てもらわないと難しいな。その勇気があんたにあるなら来るがいい。」
「俺達って、あなたは何者なの?」
「俺は見ての通りガンマンさ。そして泥棒稼業をやっている。今、アジトにゃあ一筋縄ではいかない仲間が二人ばかり待っていやがるんだが、これまた堅気のねえちゃんにはお勧めでないな。何されるかわからねえぜ。それでも行くかい?」
ちょっと下品に次元は笑った。
「行くに決まってるでしょ。変に作って私を脅かそうとしても無駄よ。」
次元はまたため息をついた。

1時間半ほど走った町の外れに、次元は車を停めた。住宅街のはずれの一戸建てに入っていった。もそれに続く。
中の一室に、次元は何も言わずに入っていった。部屋の空気は暖かかった。
「よお、首尾はどうだったよ、次元ちゃん。」
妙におどけた声がする。派手なスーツを着た男と、和服をまとった男が二人を迎えた。次元の後ろにつづく彼女を見ると、二人の男が目を丸くするのがわかった。
「・・・・・・・おい、次元、なんで女が・・・・・、しかもえらいべっぴんさんじゃねえの?。」
派手なスーツの男は驚いては見せるが、ひどく目を輝かせてを見る。普通なら、こんなところに見知らぬ人間の闖入というのはトラブル発生という事で用心するものだろうに、どうやらこの男はそういうものさえ楽しむタイプらしい。そして、明らかに女というものが好きな性癖にあるようだった。
「んん?、どっかで見た顔だな?と思えば、歌手のにそっくりじゃないよ。次元、どこでひっかけてきたんだ?」
明るい声で言い続ける。はさすがに戸惑ってしまう。
その男に、和服の男の剣がすっと差し出される。
「ルパン、無礼なマネはよせ。彼女は本人だ。」
静かに言う、その侍のような男には驚いて目をやる。そしてその驚いたのは、だけではなかったようだ。
「・・・・・・・彼女の手首と首のほくろ、本人の者と同じだ。」
言って、恥ずかしそうに咳払いをする。
「ええ???」
派手なスーツの男は次元とを交互に見て、目を丸くする。
次元は何度目かのため息をついて、部屋の扉をようやく閉めた。
「ステファニー・クーガーが殺された。彼女はクーガーの懇意のようだ。」
はソファに促される。自己紹介もせぬまま疑問を投げかけた。
「ステファニーは私の母親同然の人なのよ。なぜその彼女が殺される事になったのか、まず教えてちょうだい。」
次元は簡単に二人の男の紹介をした。派手なスーツのおどけた男はルパン、和服の男は五右衛門と、名乗る。
つと、ルパンはまじめな顔になった。
「きみはあそこの町の出身か?だったらクーガーが長らくあの町の顔役だってのは知ってるよな。」
「ええ、当然。」
「だったら話は早い。彼女はあの町に流れ込むいろんな奴の話をきいている。そして預かり物をしたり、それを頼まれた相手に渡したり、そんな役目もしてきた。彼女の様々な預かり物の中に、リーブスファイルってのがある。それはある、今はもう死んだ男から預かった物だ。今回俺達が手に入れたいと思っていたものだ。そして、それを手に入れたいと思ってる奴が俺達だけじゃなく、もう一派あるって事さ。俺達よりちょいと頭が悪くて荒っぽい奴らでね、そいつらがステファニーを殺したのは、まず間違いない。」
ルパンはさらりと話し続けた。
「その、リーブスファイルっていうのは何なの?人が死ななければならないような物なの?」
「・・・・・リーブスってなあな。世界最大にして最古の暗殺組織さ。その組織の幹部としてのし上がった奴ぁ、実は今は各界の表舞台で君臨している奴も多い。もちろんそいつらの歴史にゃ、暗殺はかかせねえ。リーブスファイルには、その詳細な内容とリーブスの幹部を経て今表で活躍している奴らの実名が各証拠とともにぎっちり書かれてるって話だ。つまり、使いようによっちゃ奴らを強請るかっこうのネタになるってわけよ。それをステファニーに渡した男は、そのファイルを盗んでそれと引き替えに自分の命の保証を交渉しようとしたんだが、失敗したんだな。今になってリーブスがやっきになってそのファイルを取り返そうとしてるのは、表舞台のお偉方と上手いことパイプをつなごうってケチな考えだろう。」
ルパンはにコーヒーを勧め、一気に話した。
「で、やつらはそれをクーガーが持っている事をつきとめ、奪還に向かったんだろうよ。」
はきっと口をむすんで少しうつむいて考え込むように、だまりこんだ。3人の男はどうして良いかわからないというように気まずそうに同じく黙り込む。
「現場に居合わせちまった以上、きみも気を付けた方がいいだろうけっどもな。」
次元と同じ事を、ルパンもまた口にした。

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