DIVA(2)



自宅で食事をすませ、早めに入浴をする。彼女は浴室で過ごす時間を何よりも大切にしている。その体にも、声にも、入浴をする時間を確実に持つことは何よりも重要だった。いつもバスタブの中で雑誌や楽譜を見たりするのだが、今日は何にも集中できない。ステファニーの事を考えたり、そしてあの男の事を思い出したり。
いつもより早めに風呂を出てミネラルウォーターを飲みながら、意を決してステファニーに電話をする事にする。今日出会ったあの男。ステファニーならばもしかしたら知っているかもしれない。あの町では珍しいアジア系の男、そしておそらくは相当腕の立つ。あの町に出入りしていれば目立つはずだし、ステファニーの耳に入ることも考えられる。
電話の短縮ボタンを押し、呼び出し音を聞く。本当は気になる男の事を第三者に聞くなんて彼女の本意ではないのだけど。
そんな葛藤を心で感じながらステファニーの声を待つが、どうにも呼び出し音が鳴っている時間が長いのに気付く。
時計を見た。
ステファニーは夜は判で押したように同じように過ごす事がほとんどだ。夕食の時間、入浴の時間、家事の時間、趣味のキルトにかける時間、入浴の時間。
今は就寝までキルトに没頭する時間だ。電話のすぐ側で作業をしているはず。いつもならすぐに電話に出るのに。
嫌な感じがした。
電話を切って、しばらくしてから再度かけなおす。やはり出ない。
出かけているのだろうか?
昔ならば、町のもめごとを収めに時々夜に出歩く事もあった。が、最近はもうほとんどそんな事はしない。
はバスローブを脱ぎ捨て、革のパンツにTシャツ、リーバイスのジャケットをひっかけ車を出した。どんな形をしても彼女の輝きを消す事はできないが、ふと今日男に言われた事を思い出し、夜のあの町に向かう事を思い少し気持ちを引き締めた。
取り締まりなど気にしない速度で車を飛ばし、いつもなら銀行に止めておくのにそのまま車で町に入る。車好きなは何台か車を持っているが、今日は昼間に乗り回していた白のエリーゼとは違い、黒のアルファ156で乗り付けた。これなら十分速いし、若干でも地味だろう。
アパートの下に到着するとセルラーで再度ステファニーの部屋の電話を鳴らした。もしこれで出たら、部屋は尋ねずに帰ろう。自分がこんなに彼女を心配していると知ったら、かえって負担に思うだろう。軽い感じで受話器を取ってくれると良いのだけれど、というの思いはまったく空振りで、あいかわらずの呼び出し音。はアパートの階段を駆け上って、呼び鈴もならさず合い鍵でドアを開けようとする。が、ドアの鍵がすでに開いているのに気付く。嫌な予感はどんどん加速する。そっとドアを開けて、中に入った。明かりをつけて、ステファニーがいつもキルトを縫っているリビングに向かう。
息を飲んだ。
そこには、四肢から血を流し事切れているステファニーと、そして夕刻に出会った、黒いスーツの男がいた。男はステファニーの首に触れていた。
「・・・・・あんたは・・・。」
声を発したのは男が先だった。
は全身の毛が逆立つ思いがした。恐怖ではなく、怒りでだ。頭がくらくらして、ぐうっと視界が狭くなる。ほんの一瞬の時間で、頭の中で驚くほど冷静にいろんな事がかけめぐった。に対して斜に立っている彼の側に一歩で近寄って、あっという間に彼のヒップホルスターから銃を抜いた。思った通りだ、彼はここに銃を隠していた。男の無様なくらいに驚く顔が印象深かった。
銃はリボルバー式のもの。が想像したよりも旧式のものだったし、初めて触るものだ。でも、しくみは分かる。昔父親に教わったように、両足を開いて両手で銃を男に向かって構えた。
そして今日、男を食事に誘った時のように、まったく迷わずに、男が口を開き何かを言おうとするのも構わずに、はロックを外し引き金を引いた。これも父親に習った事だ。引き金を引くときは迷うなと。
の撃った弾丸は男の帽子をふきとばした。の教科書通りの射撃姿勢はその銃の衝撃を受け止めるのに十分であったが、彼のその銃の衝撃はが経験した中でも飛び抜けたものだった。が、彼女はひるまずにすぐに次の激鉄を上げ、構えなおした。
男の顔をまっすぐみた。
男は相変わらず驚いた顔でを見つめる。オールバックに固めた黒い長めの髪。とがった鼻に、黒い瞳。
「その銃をまともに撃てるたあ、結構やるじゃねえか。しかし、俺の大事な帽子も穴が台無しだ。」
男は意外に落ち着いた声で、こなごなになった帽子を横目で見た。両手は上げているのだが、その落ち着きぶりには余計に怒りを感じる。
「顔も見ないで殺すわけにはいかないから。」
引き金に手をかけた。
「まてよ。ステファニー・クーガーを殺したのは俺じゃない。俺が来たのはほんのさっきだ。その時はもう死んでいた。」
男はまっすぐを見ながら相変わらず落ち着いた声で言った。
「・・・・・どうやって信じろと言うの?」
男はやれやれと言うように肩をすくめる。
「まず、彼女に触ってみな。死んで1時間以上はたってるさ。」
は銃口を少し上向けて、彼を下がらせた。彼から目を離さず、利き手で銃を構えたままそっとステファニーに触れる。確かに彼女は、もう冷たかった。
「そうね、今、死んだのではないわね。・・・・でもあなたが来たのが、ほんのさっきというのはどうやって証明するの?」
男はため息をついた。
「まいったな。」
は冷たいステファニーに触れて、心が動揺するのを感じた。ちらりと、男から再度ステファニーに目をやり、また男に視線を戻す。その瞬間。
魔法でも見たのか、と思うくらいあっとういまに両手を上げている彼の右手に掌に隠れるほどの銃が現れ、そこから放たれる弾丸がの構えている銃口をかすった。かすっただけでも彼女の手からその銃をはじきとばすのには十分だった。
「きゃっ!」
は痺れる手を体によせて後ずさる。次の瞬間にはもうリボルバー式の銃は男の手に戻っていた。
結局自分も殺されるのか。
はまたステファニーを見た。
どうしてこんな事になったのだろう。悔しい思いで男をきっと睨んだ。
男はそんな彼女などおかまいなしに、リボルバー式の銃を丁寧に大事そうに点検した。
「証明はできねえけどな。俺じゃねえったら俺じゃねえんだよ。気が強いねえちゃんだと思ったが、妙に腕も立つんだな。けど、プロにはむかうにゃ、汚い手も知っておかないと太刀打ちできねえぜ。」
男はにやっと笑う。に向かってリボルバー式の銃を構えた。はじっとその銃口を見つめる。かすっただけで帽子をこなごなにするような、あんな衝撃の銃に弾丸だ。自分は無様に跡形もなくなるだろう。でも、それでいい。自分だと、誰もわかるまい。
ステファニー、自分はやるだけやった。
「ば?ん!」
男はおどけたように口で言って、くっと笑う。
「あんた、気をつけな。ステファニー・クーガーを殺した奴ら、目的は達していねえ。この辺りをちょろちょろしてると、あんたまで狙われるぜ。忠告はしたからな。」
男は言って銃をしまうと、の横を通って玄関に向かった。が、すぐに足を止める。
「まって、あなた・・・・。」
声をかけるに、彼はしっと指を立てた。
「黙れ・・・・・・じっとしてろ。玄関は・・・・、囲まれてるぞ。」
「囲まれてるって・・・・!?」
は訳が分からず小声で返す。
「だから、彼女を殺った奴らにだよ!あんたの放った銃声を聞き付けたに違いねえ。くそ、まいったな・・・・。」
男はステファニーの寝室に走る。も思わずついてゆく。
男は窓からそっと下を見た。
「あんたがもしまだ死にたくなくて、そしてもしついてこれるんだったら、俺についてきな。」
男は言い捨てて窓枠に足をかけた。

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