DIVA(10)



時速約200キロで地面に向かう。は意外に冷静だった。コヨーテの叫びを耳の端に感じながらも、自分はまるで飛んでいるようだと感じた。自分が、こんな事をするとは思いもしなかった。ステファニー以外の他人を思って、動くなんて。
目を閉じていると鋭い風切り音が聞こえた。と、自分を包む何か。
!!」
パラシュートを装着してジャンプしてきた次元だった。
「お前ぇにはハーネスがねえから開傘して長くは飛べねえ。ぎりぎりの高度でオートで開傘する。しっかりつかまってろ!」
「・・・・・開かなかったら?」
「二人で天国に行くしかねえな!」
は手錠のついた両手を次元の首に回して、ぎゅっとつかまった。次元も両手と両足でしっかりの体をホールドする。地面がどんどん近づいて来て、突然ぐっと持ち上げられる感覚。オートのリミッターが作動してパラシュートが開いた。はほっとして下を眺める。
「・・・・・次元・・・・・・。」
やっと、彼の名を呼んだ。
「ったく、無茶しやがって!!」
「・・・・・あなたが殺されるかと思ったのよ・・・・。」
はぎゅっと彼にしがみついた。彼の生を確認するように。
「バカ。俺は殺やれやしねえよ。」
次元もを強くだきしめた。
「また、面倒かけちゃったわね。でも・・・・ありがとう・・・・。」
「まだ安心するのは早いぜ。」
二人分の体重を支えた小さなエマージェンシーパラシュートは毎秒6m近い沈下でどんどん地上に近づく。幸い風は弱いし、下は市営の広大な公園だった。かなりの沈下で二人をぶらさげたパラシュートは、小さな林につっこんだ。枝の折れる派手な音とともに、二人はぼろぼろになったパラシュートと共にやっと地上に生還した。次元はを抱きかかえる形で下敷きにりながら、パラシュートのクロスとラインの下でもがく。
「・・・・・・次元・・・・・」
は泣きそうな顔で次元を見た。次元はまたの髪に触れる。そして口づけた。
「・・・・・私たちは生きてるの?それとも・・・・ここは天国?」
次元はの髪をなで、頬に触れた。
「さあな。でもお望みとあらば、いつでも天国に連れて行ってやるぜ。」
にっと笑って再度に官能的なくちづけをした。
「・・・・・・ばか。」
は言って次元を抱きしめた。
気づくと周りが騒がしい。パトカーの音がしはじめた。
「やべえ、警察が来たな。無理もねえか。」
 次元はハーネスを外して立ち上がる。も不安そうに次元の手を借りながらゆっくり立った。
 やはりパトカーは二人の方に向かっているようだ。
「・・・・・俺ぁ、警察との相性は良いほうじゃねえ。ずらかる事にするぜ。」
 少し考えて、に向かっていう。
「待って、私も・・・・・・」
「ばか野郎。お前ぇまで逃げてどうするよ。第一お前ぇ、捜索願くらい出されてるんじゃねえか?」
 ははっと気づく。そういえばマネージャーに連絡もしていなかった。
「これを、返しておくぜ。」
 にジェンセンのペンダントを渡す。チェーンはきれいに直っていた。
「修理代にフィルムはもらっておく。いいだろう?」
 はペンダントを受け取ってうなずいた。
「・・・・・・また、会えるわね?」
「・・・・・・ああ。」
 次元は軽く手をあげて、彼女に背を向けて走った。

のペンダントから出てきたフィルムはやはりリーブスファイルだった。ルパンはファイルの重要人物からさんざん金を搾り取ったあと、ライザーに対しては、彼のヒューストン重工とリーブスの件の物件をまとめ上げ、かなり美味しい交渉に成功した。
それらが片づいたのはクリスマスも近いころだった。
「ふ?、なんやかんや言って他の仕事もしながらだけど、半年近くかかっちまったなあ。やっぱ、こういう仕事はむかねえや。」
ルパンが金勘定しながらもふうっと息をつく。
「何言ってやがんだ、自分で持ってきた話だったくせに。」
「まあね。そういやはどうしてっかな。なあ、次元。」
「しらねえよ。」
次元はそっぽを向いて答えた。
「なんだよ、良い仲だったんじゃねえのか。」
「別にそんなんじゃねえよ。」
「・・・・・・・意地張っちゃってまあ。あんな良い女はつかまえとかないと損だぜ。」
「・・・・・お互い、そんなタチじゃねえしな。」 
次元は煙草に火をつけて、部屋を出た。あてもなく町を歩く。この時期、町を歩くのも気が進まなかった。の唄うあのアヴェ・マリアやクリスマスソング、そして彼女のグラビアがNYの町にはあふれるからだ。
あれから、彼女からの連絡はない。わかっていた。世界の歌姫がどぶネズミみたいな男に連絡するものか。期待するほうがおかしい。
たまたまお互い好みではあったが、あまりにも世界が違う。別に自分もこだわりはしない。良い女を抱く事ができてラッキーだと、それだけの事だ。
自分で自分にそう言い聞かせて、この半年すごしてきた。
しかし、なぜ彼女の歌を聴くと胸の奥が痛むのだろう。
ふらりとバーに入ってバーボンのロックを注文した。
と、隣に男が座った。若い粋な感じの、スーツの男だった。
「・・・・次元、大介か?」
彼に尋ねる。
「・・・・・・あんたは?」
次元は警戒していつでも腰の銃が抜けるように体を斜に構えた。
「ああ、私は私立探偵のミュラーという者だが、あんたを探してこれを渡して欲しいという依頼を受けているんだ。」
ミュラーという男は次元に白い封筒を渡した。丁寧に蝋で封印をしてある上質なものだった。次元はだまってそれを受け取る。
「受け取り代わりに、あんたの煙草を1本くれないか?」
「煙草?」
「依頼主から、そう言われている。その煙草を持ってきたら、私があんたに会った何よりの証拠だからって。」
次元は黙って煙草を渡した。男はそのまま何も飲まず席を立った。
バーボンを傾けながら、その封筒を調べた。少し考えて、中を開ける。次元は目を丸くする。中に入っていたのは、クリスマスイブに行われるのコンサートのスペシャルシートのチケットだった。
「・・・・・!」
振り返ったが、ミュラーはもういなかった。
そのチケットを見ながらバーボンを飲み続ける。バーテンが興味深そうにちらちらとそれを見る。
「すいません、・クリスのチケットですか?いいですねえ、プラチナチケットですよ。」
うらやましそうに言った。
「ファンなのか?」
「今、このNYで彼女に熱をあげていない男などいませんよ。美しく妖艶でありながら、聖母のような清らかさですからね。クリスマスも近づくと、人恋しくなるからなおさらですねえ。」
男はため息をついて言った。

24日、うるさく詮索するルパンをなんとか巻いて次元は正装してカーネギーホールに出かけた。満員御礼の人出だった。
スペシャルシートに身を沈めて開演を待つ。開演ベルが鳴ると、あたりは沈黙につつまれた。
賛美歌の歌と共にステージに明かりがともされる。
会場の全員が息を飲むのが聞こえるようだった。だ。
初めて見るステージのは、圧倒される輝きと美しさだ。一度歌は生で聴いているのに、それでも次元は総毛立つ気がした。
曲の構成は、クリスマスにちなんだ曲が主で、他には彼女が好む歌劇の曲や唱歌がいくつか交えられていた。中には、あのときに唄った「ハバネラ」と「おぼろ月夜」も入っていた。時間が、あの日の夜に巻き戻されるような気がする。夢中で聞き入っていると、もうカーテンコールだった。
アンコールでは少し暗めの照明のなか、白い衣装で彼女は出てきた。静かな伴奏と共に、アヴェ・マリアを唄った。
次元ははっと体を起こす。はステージから彼を見ていた。今、唄っているアヴェ・マリアはあのとき次元に唄ったよりも、更に情感がこもり、官能的だった。
割れんばかりの拍手のなか、ステージは幕を閉じる。

急ぐわけでもなく、次元は指示通りにホールを出て駐車場に向かう。頭が真っ白になったような、魂を抜かれたような、そんな感覚だった。の偉大さを感じながらも、たまらなく彼女が抱きたかった。会いたかった。そんな思いを胸にくすぶらせるが、カーネギーホールで楽屋を尋ねるわけにも行かない。ぼーっとしている間に駐車場のボーイに車を尋ねられた。キーを渡し、番号を告げる。間もなくSSKが回された。次元はチップを渡して乗り込もうとするが、車を回してきたボーイは車から出ずに助手席に移る。
「おい、何をふざけてるんだ?」
次元はぎょっとして、彼を追い出そうとした。
「ふざけてるのはそっちでしょう?やっぱり楽屋に来てくれないのね。」
帽子を取ったボーイはだった。
「なっ・・・・お前ぇ、何してんだ?」
次元は面食らって言う。
「うちのスタッフとホールスタッフには指名手配を出して置いたのよ。うさんうさい髭の男の動向を私に伝えるようにってね。私が何のためにあなたにチケットを送ったと思ってるの?」
 は隣でボーイの服を脱ぎ始める。下には黒いシンプルなドレスを身につけていた。
「・・・・・あいかわらず、口の減らない女だな。」
次元はの顎に手を添えて、口づけた。周りからは拍手と口笛が飛んだ。
驚いて次元が見るとボーイや警備員たちがにこやかに二人に拍手を送っていた。
「何だ・・・・?」
「言ったじゃない。指名手配を出していたって。うさんくさい髭の男は私の思い人だから逃がさないでって、みんなに伝えておいたのよ。手間のかかる人ね。いいかげん車を出して。後ろがつかえてるわ。」
次元はSSKのアクセルを踏む。は振り返ってボーイ達に手を振った。
「・・・・・怒っているの?」
 は心配そうに次元をのぞきこむ。次元は妙に照れくさく、どんな顔をしていいかわからない。正装するために、帽子は後ろの座席に置いたままだ。
「本当はあなたが楽屋に来てくれなかったら、あきらめようかと思っていたのだけど・・・・・・顔を見たら、どうしても、会いたくなったのよ。あなたの都合も考えず、ごめんなさい。ふふ、あなただってクリスマスだものデートだってあるかもしれないのにね?」
「そんなもん、あるわけねえだろうが。」
次元はなぜだかつい不機嫌そうに言ってしまう。
「あなたに会って、きちんとお礼を言いたかったし・・・・・会いたかったのよ。あれから、あなたにどうやって連絡を取ったら良いのかわからなくて、あんな探偵まで雇ってしまったわ。びっくりしたでしょう?ごめんなさいね。」
「・・・・・今夜は予定はないのか?」
次元は運転しながら尋ねる。
「・・・・・・ばかな事を聞くのね。」
はくすっと笑って言う。
「どこに行きたい?」
「あなたが連れて行ってくれるなら、どこでも良いわ。」
次元は思い出したようにくっと笑った。
「そういや、あんたを天国に連れてくって豪語したんだっけな。」
「・・・・・ばか。」
もふと思い出してくっくっと笑う。

二人は「ザ・ピエール」のスウィートでルームサービスを頼み、シャンパンを飲んだ。そういえば次元はのドレスアップした姿を間近で見るのは初めてだった。その完璧な造形の美しさはまるで生きている人形のようだ、と思った。あまりに思い通りにならない動き回りすぎる人形ではあるが。
食事が下げられたら、時間を惜しむように二人はベッドに入り体を温め合った。ピエールの部屋は、外の寒さとは無縁だった。
生意気で冷静な口をきくくせに、ベッドではとたんに大人しく愛らしくなるは相変わらずだった。そして次元も相変わらず彼女のそんな所に弱かった。を抱いていると、たまらなく生きている事を実感する。
「・・・・・・・」
が次元の左肩の傷にふれた。コヨーテの弾丸がかすったところだ。
「あのときの傷ね?」
「ああ・・・かすり傷だ。」
「・・・・・・・・あなたが死ぬかと思ったわ。」
「ばか、それはこっちのセリフだ。間に合わなかったらどうするつもりだったんだ。」
言われてはくすっと笑った。
「本当ね・・・・。でも、それでも良いと思ったの。・・・・・・あなたを愛してるから・・・・・。」
つぶやいて、ぎゅっと目を閉じ、額を次元の胸に押し当てた。次元はその頭をぎゅっと抱きしめた。
「俺は・・・・愛なんて意味はよくわからねえ。こんな男だしな。」
言っての髪にくちづける。
「ただ・・・・・俺はあんたを死なせたくないし、傷つけたくもない。他の男に触れさせたくねえし、他の女を抱きたいとも思わねえよ。」
は次元を見上げて、また目を閉じた。
「・・・・・十分よ・・・・。」
の目から涙が落ちるのが見えた。いつかのように、次元はその涙に口づける。
「・・・・・あなたに会いたくなったらまたどんな手を使ってでも、探し出すわ。」
「そんな手間はかけさせねえよ。」
くっと次元は笑う。
「きっと、俺が会いに行くのが先だ。」
 窓の外には、セントラルパークの朝焼け。おそらくこのスウィートの値段にも含まれてるだろうその絶景も、二人には関係なかった。

Fin




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